
第五回読書会:宮沢賢治『銀河鉄道の夜』レポート
猫で描かれたアニメ映画の印象が強く、どうしても猫が払拭できなかった、という意見がありましたが、私もその一人です。
ジョバンニとカムパネルラが、どうしても猫になってしまい参りました
とにかく情景描写が美しく、その世界観に魅了されます。
賢治独自の造語が多く、「天気輪の柱」「ケンタウル祭」など、辞書を引いても出てきません。
イーハトーブと呼ばれる賢治が創造した世界観を表す数々の言葉が、物語を多少難解にさせています。
ところどころ字が抜けていたりと、未完成な部分が散見される作品です。
しかし賢治は弟に原稿を託して、出版したいならお前の好きにするがいい、と言い残しています。これで完成なのでしょう。
「いつ電車に乗ったのか読んでいて分からなかった」との意見がありましたが、まさにパラレルワールド、異次元移動、を表現していると感じました。
ふと気づいたら電車の中で、すでに銀河鉄道の旅がはじまっています。
読者側にも瞬間移動の疑似体験できるような仕掛けになっています。
三次元とは違う時間の流れ、空間移動。乗客は次々に突然現れ、気付いたら車外にいたりと普通でない動きをします。
「来ようとしたから来たんです」というのがこの鉄道での真実です。
ジョバンニの切符もポケットに手を入れれば入っています。

しかもどこまででも行ける通行券でした。
気になったのは、蠍(さそり)のエピソードです。
「みんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい」と自己犠牲のシーンがあります。令和の世の中、人の為、組織の為に身を粉にしても何にもならないと結論が出ているため、嫌悪感すら覚える場面でした。
「僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
自虐的で自己否定的な展開に、危うく、この物語が嫌いになりかけたのですが、最後に出た意見に私は共感しました。
これは少年の成長譚であり、ジョバンニがカムパネルラという相棒との旅の中で、葛藤や別れを経験し、幸せとは何かを探究する物語であると。
「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。」そう考えながらジョバンニは眼を覚ましました。しかし、銀河鉄道に乗る前のやさぐれた気持ちは消えています。
お母さんのために牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと一目散に走り出すところで、物語の幕は閉じます。
ジョバンニにとって、お母さんへ牛乳を届けることが幸せへの第一歩なのでした。
自分にしかできないささやかな生活の積み重ねから、現実は幸せの方へと動き出すのです。
それが、どこまでも銀河を旅できる切符なのでした。
2019年12月8日日曜日開催

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