第30回読書会レポート:島崎藤村『破戒』(感想・レビュー)
(レポートの性質上作品のネタバレを含みます)
差別はいけない!
そんなことは当たり前です。
でもこの世から差別が一掃されないのも事実です。
今回は重い話題、しかも長編だったにも関わらず、初参加の方が2名いらっしゃいました!
ご参加の皆さま、ありがとうございました。
参加者のご感想
・長野の風景の書き方がすごい
・描写が優れている
・テーマとは裏腹に読み易い
・さらっと書かれていて長編の割にはあっという間に読めた
・いつ”告白”するのかと焦らしに焦らされる面白さがあった
【登場人物】
登場人物も多いので整理してみましょう。
瀬川丑松……穢多であることを隠し通している主人公。飯山の小学校の青年教師。蓮華寺へ下宿することになる。
猪子蓮太郎……「我は穢多なり。」と公言。丑松が敬愛する活動家。
市村弁護士……政治家を目指し、猪子蓮太郎からも応援を受けている。
風間敬之進……丑松と同じ小学校に務める老教師。もとは士族の出で明治維新で没落し、そのまま酒に溺れ浮かばれない人生を送っている。
お志保……風間敬之進とその前妻との間に生まれた娘。生活苦のために蓮華寺に預けられている。丑松へ恋心を持つ。
省吾……風間敬之進とその前妻との間に生まれた息子。お志保の弟。丑松が担任を受け持つ生徒でもある。
土屋銀之助……丑松の親友。師範学校の同窓でもあり職場の同僚でもある。
校長……地元の名士。新しい教育観を持つ丑松や銀之助を煙たがっている。
勝野文平……丑松の同僚。郡視学の伯父を持ち、校長とも親しい。
高柳利三郎……野心あふれる政治家。選挙資金のため穢多でありながら大金持ちの娘を娶る。飯山から選挙に出馬。
蓮華寺……蓮華寺の住職。インテリであり檀家からも厚い信頼を集めている。
奥様……蓮華寺の住職夫人。住職の留守を守っている尼。世話好きで明朗な女性。
丑松の父……穢多町の「お頭」だったが、丑松が幼少の頃に北佐久の根津村に移住。丑松には「決して出自明かすな」と言い聞かせてきた。
大日向……初めに丑松が下宿していた宿の泊り客。穢多ながらも事業に成功した大金持ち。出自が明るみになると宿から放逐の辱めを受ける。それを見た丑松はすぐに蓮華寺へ転宿した。
丑松の「破戒」とは?(親ガチャを乗り越えて……)
丑松の破戒とは何を破戒しているのか?
猪子廉太郎は分かりやすく、身分制度を真に廃止すべく、広く正義を世に訴える活動家である。
その破戒とは一線を画するからこそ、色褪せない文学として成り立っているのではないか。
世の中の憤りに対する不満を爆発させるわけでもなく、丑松は静かに生徒の前で破戒を成し遂げる。
それは父親の言いつけを破る決断であった。
穢多を隠し通すことが最善策と信じて、父は子にそれを口酸っぱく言い聞かせてきた。それは父の愛に他ならない。
もちろん子供もそれは痛いほどよく理解している。
だからこそ父親の教えを守り通してきた、しかし、時代が変わり、尊敬する活動家の行動を目の当たりにするなどして、自我が芽生えてくる。
この葛藤こそ破戒の醍醐味といえよう。
親という呪縛から逃れるのがある意味、子の宿命でもある。
昨今、親ガチャという言葉を耳にするが、正に丑松はその典型例であろう。
丑松は穢多という身分に生まれただけ、ただそれだけなのだ。
ただ、ガチャガチャの玩具と人間は当たり前だが違う。
人間は自分をどんどんアップデートできる。
あるものでどうにかしようと腹をくくり、創意工夫を楽しめば心身ともに豊かになる。
その途中で大きな覚悟が必要になるときもあるが、その壁はどんな身分でも平等にやってくる壁だ。
破戒は丑松だけではなかった
この物語は、主に被差別部落の出自の人たちの葛藤を描いているように見えるが、よく読めば他の登場人物たちもそれぞれの立場から破戒を起こしている。
まずは、野心丸出しの高柳利三郎が凄い。事業で成功した穢多の娘を嫁にして財産を手に入れた。金のため、権力のためなら手段を選ばない。
校長も権謀術数をめぐらせて丑松を陥れる。人格者として求められる立ち居振る舞いを捨て、ひたすら保身に走る。
蓮華寺の住職もだ。仏門の道に励む勤勉な和尚というのは表向きの顔で、裏では何度も奥さんを悲しませてきた色情魔であった。
逆に穢多の出である、大日向の大尽は穢多という身分を乗り越えて事業で成功し、猪子蓮太郎は四民平等の思想を高らかに謳い、丑松の父親は思慮深い精神性の高い人物として描かれている。
小学校の校長や政治家、住職といった然るべき身分の登場人物と、穢多として生まれてきた登場人物との対比は、身分の高さと精神性の高さが比例しないことを表している。
これは現代にも通じる人の世の常でもある。
丑松とお志保は結ばれていない?
最後に読書会で盛り上がったのが、ハッピーエンドかバッドエンドかで意見が割れた、丑松とお志保の関係。
小学校を辞した丑松は、大日向大尽に誘われてアメリカのテキサスへ行く決意をする。
東京へ旅立つときに銀之介の仲立ちで、お志保が丑松を慕っていることが伝わり、丑松の心に深い震動を与えた。
お志保の心情を受け止めて、そのまま一緒に東京へ旅立つのかと思いきや、原作ではお志保を残して一足先に東京へ出向くところで幕を閉じる。
その最後の部分を抜粋してみよう。
『「御機嫌よう」それが最後にお志保を見た時の丑松の言葉であった。――中略――天気の好い日には、この岸からも望まれる小学校の白壁、蓮華寺の鐘楼、それも霙の空に形を隠した。丑松は二度も三度も振向いて見て、ホッと深い大溜息を吐いた時は、思わず熱い涙が頬を伝って流れ落ちたのである。(新潮文庫P.414)』
このように飯山を去っていくラストシーンだが、『「御機嫌よう」それが最後にお志保を見た時の丑松の言葉であった。』をそのまま読めば、このとき以来お志保とは会っていないことになるのではなかろうか?
最後の数行からはどうしてもお志保との明るい未来が読み取れない。
何度振向いても、思い出深い飯山の景色が霙で見えなくなっている中を橇で去る丑松。
これは飯山で築いたキャリアや人間関係を東京へ持ち込めないことの暗喩と捉えるべきではないか?
そもそも文学において、情景描写は登場人物の心情を表すとされている。
しかしネットをザッと見てみると、後々にお志保と結ばれるハッピーエンドと解釈している人のほうが多い模様。
真面目で優しすぎる男、丑松が果たして過酷な穢多の生活の中へ、武士の出であるお志保を引き込む決断を本当にできたのか?
できないと私は踏んでいるのだが。
ところであなたは人生で、破戒を起こしたことはありますか?
(2022年7月10日日曜日開催)
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