見出し画像

モラハラ夫の予備軍に遭遇した話

これは大好きな先輩が、私の目の前で、モラハラ夫の予備軍と化していった物語である。

新卒で入った会社で出会った、だいすきな先輩2人は、私を本当の妹のように可愛がってくれていた。彼らは会社公認のカップルだった。

彼らがまだ恋人同士だったときから、彼らのことをお兄ちゃん、お姉ちゃんと呼び、親しんできた。彼らが結婚してからも何度かおうちに遊びに行った。お兄ちゃんは弱気な私の応援団長、お姉ちゃんは何があっても私の味方でいてくれる力強い存在で、数少ない私が気軽に連絡できる間柄である。特にお姉ちゃんは私の直属の先輩で、仕事をテキパキとこなす頼れるアネゴ肌だった。

そろそろ彼らが結婚して5年が経つ。子供はまだおらず、自由気ままな二人暮らしを楽しんでいるようだった。

お姉ちゃんは、できればあんまり働きたくないと思うタイプの人で、お兄ちゃんの転勤について行って専業主婦をしたり、お小遣い稼ぎ目的で派遣の事務をやったりしていた。元同僚の私からしたら、あんなに仕事ができるお姉ちゃんが働かないなんてもったいないなぁ、と呑気に思っていた。

対して、お兄ちゃんはバリバリの商社マンで仕事だいすき人間。仕事ができる自分を誇りに思っているようだった。私は仕事面でもお兄ちゃんをとても尊敬していたし、お兄ちゃんと仕事の話をするのは好きだった。

いびつな夫婦像、違和感の表面化

先日、お兄ちゃんお姉ちゃん夫婦と私と夫の4人で飲みに行った。いつもと変わらぬ楽しさ、笑い声、ツッコミ、酒。

しかし、結論からいうと、帰りの電車はとても嫌な気持ちになってしまった。以前から私が抱えていたモヤモヤが、今回の飲み会で表面化してしまったのだ。私が気づかないように、気づかないようにと抱えてきた”何か”を目の前に突きつけられたのだ。

それは、お兄ちゃんの言動の節々から感じられる「何もできない嫁を俺が養ってやっている」感。そして、お姉ちゃんの態度から感じる「働かないでいさせてもらっているのだから、自分が、相手に従ったり下手に出たりするのは当たり前。ぜんぶ基本私が悪い」感。

これらの違和感はどこから感じたのか? そう問われると、私は考え込んでししまう。なぜなら、お兄ちゃんとお姉ちゃんが結婚して5年間、そばで見てきた私は、その違和感が徐々に色濃くなっていくのを目撃してきたからである。

夫が妻を見下す、3つの正体

結婚を堺にこの夫婦には対等な関係がなくなっていった。明らかに主従関係・上下関係が結ばれ、徐々にゆがんでいった。私は、頭を整理し、お兄ちゃんお姉ちゃん夫婦の違和感の正体を以下の3つだと突き止めた。

1.養う・食わせる視点の収入格差問題
2.一人暮らし経験の格差問題
3.単純な年齢格差


ざっくりいうと、この3つの原因すべてにおいて、お兄ちゃんが威張っていて、お姉ちゃんが萎縮している。これが違和感の構図だ。

順番に考察していく。


1.「こいつを俺が食わせてる」的な収入格差問題

先述したとおり、お兄ちゃんはバリバリ働いている状態。おそらく年収も相当いい。対してお姉ちゃんは働いても、扶養内に収まる程度の収入である。もちろん、この働き方はこの夫婦間で納得の上で成り立っているのもだ。

しかし、収入面で家計を支えられていない罪悪感からか、お姉ちゃんはいつも申し訳なさそうにしている。「働いてもらってるからこれくらい(家事とかもろもろ)はしなくちゃね」と彼女はよく我慢を口に出す。

お兄ちゃんはいい意味でも悪い意味でも「こいつを食わせてかなきゃなんねぇから」と口癖のように言う。どうやら、収入があるほうがえらいという認識。

本当に収入がすべてなのだろうか。たとえば、私と私の夫との夫婦関係でいえば、私はフリーランスなので年収や月収が不安定で、年収700万の年もあれば年収200万の年もあったりする。収入によって関係性が変わると仮定すれば、私と夫は毎年毎年、関係性を見直す必要があるのだけど、実際そんなことしていない。

くだらない上下関係を生まない理由は、私たちがお互いを収入格差で切り捨ててないから。私と夫はお互いを食わせてやっている意識もない。仮にどっちかが働けなくなったとしても、関係性は変わらない。

お兄ちゃんは、まるで俺がいなければお姉ちゃんは生きられないかのように言うけれど、たぶん、お姉ちゃんだっていざとなったら生きられるエネルギーは持ってるはずだ。それに、働いていようがいまいが、どっちだっていい。大切なのは、ふたりで夫婦をやってるってことだと思う。

たとえば、主婦だからといって尊厳を傷つけられる筋合いはないと思う。


2.「一人暮らしってそんなに偉いの?」問題

お姉ちゃんは、箱入り娘で、結婚してからはじめて実家を出た口だ。結婚するまで実家ぐらしだろうが一人暮らしだろうがどっちでもよくない?と思うのだが、お兄ちゃんにとってはこの部分攻撃の対象なのである。よく「俺の嫁は住民票の出し方もわからないんだ」と衝撃的なことを言って笑いを誘う。

お兄ちゃんは一人暮らし歴がものすごく長くて、生活全般のスキルがとても高い。たとえば掃除洗濯、料理の腕もすごい(おいしい)、お金周りのことなんかも詳しい。だからこそ、お姉ちゃんみたいな箱入り娘が珍しかったのかもしれない。いや、むしろ、何も知らないお姉ちゃんを可愛いと思っているのかも。

それでも理由がなんであれ、「俺の嫁は住民票の出し方もわからない」「うちの嫁はこんなこともできない」とか言う話、私は聞きたくない。

お姉ちゃんもこのことに関してはいつも萎縮している。

3.単純な年齢格差問題

お兄ちゃんとお姉ちゃんは10個以上年齢が離れている。これはどちらかというと、お姉ちゃんの気持ちに関係していることかもしれないが、知らぬ間に年齢フィルターが作動し、「年上の旦那さん」感が醸し出されているのをしばしば感じる。

お兄ちゃんは「10個以上離れた嫁を養う俺」と思っているし、お姉ちゃんは「年上の旦那さんを持った私」を強く意識していると思う。私にとっては年齢差なんてどうでもいい事項のひとつだ。でも、年齢は変わらぬ事実でもある。

もしかしたら、年齢が彼ら夫婦にとっての"抗えない何か”となっている可能性は十分ある。

以前、お兄ちゃんがこう言った。「俺は同い年の女の子を捕まえられなかった人間で、嫁も同い年の男の子にもらってもらえなかった人間なの」と。

モラハラ夫の論点のすり替え

いびつな夫婦像を思い知ったエピソードがあるので紹介したい。

-----

飲み会や接待が長引きそうな夜は、深夜0時前には申告する。これがお兄ちゃんとお姉ちゃんのルールらしい。

お兄ちゃんが地方へ転勤した年のある日のこと、お姉ちゃんの家族がその地へ観光に訪れていた。「明日は家族と一緒に食事をしよう」と予定を立てていた前の晩、お兄ちゃんに外せない飲み会が入った。歓送迎会シーズンだった。

しかし、深夜0時を過ぎてもお兄ちゃんから連絡はない。明日は家族との約束があるのに。そわそわするお姉ちゃんの不安をよそに、お兄ちゃんは深夜4時過ぎに帰宅した。酔っ払っているのか、そのまま眠りにつこうとした。

明日大切な家族との予定があるとわかっていながら、連絡がない。帰ってきて謝罪もない。たまらずお姉ちゃんは起こって近くにあったゴミ箱を蹴った。

「こいつやばくない? だから俺、そんとき暴力はダメだぞって話をしたんだ」

-----

ここまで話を聞いて、私は耳を疑った。なぜ、今”暴力はいけない”という話になるのだろう。もちろん、蹴ったりするのはだめだけど、きっとそれよりも話し合うべき、ケアをすべき大切なことがあるのではないだろうか。

”一人暮らしを一度もしたことのない、箱入り娘のお姉ちゃん。夫の転勤地にひとちぼっちで来た、知り合いもいない。友達もできない。久々に自分の家族が来てくれた。明日楽しみだけど、もう深夜0時を過ぎてしまった。あれ、夫(お兄ちゃん)から連絡がない。どうしよう。心配だ。大丈夫かな。なんで連絡くれないんだろう。私のことなんだと思ってんの? ありえない。もう、待ち疲れた”ーーー私はお姉ちゃん自身ではないのでわからないが、おなじ立場になったときにはさまざまな感情が溢れ出てくるのは間違いない。

それでもお兄ちゃんは「暴力はいけない」とだけお姉ちゃんを咎める。なぜ、お姉ちゃんの気持ちに寄り添わないのか。「仕事だから」とお兄ちゃんは言った。

「俺だって好きで飲んでいるわけじゃないんだ。抜けられない飲み会だってあるんだ」

仕事だからで片づけられるほど、人間の気持ちは単純ではない。ましてや、お姉ちゃんの当時の心細い状況ではなおさらだ。お姉ちゃんの気持ちに寄り添えないのは、お兄ちゃんの気持ちの根底に、先述した「見下す」気持ちがあったからかもしれない、と私は悟った。どちらかが「見下す」気持ちを持っているからこそ、このような論点のすり替えが起こるのである。

「俺が嫁を食わせてやっている」「俺がいないとこいつはなにもできない」「俺が嫁を養ってやっている」ーーーお兄ちゃんの口癖が嫌にこだました。

そして、最大の問題は、これをお姉ちゃんが受け入れてしまっていることにある。お姉ちゃんは「いいの、私が悪いから」と言い、深夜0時を過ぎても連絡をくれなかったことや気持ちをないがしろにされたこと、謝ってもらえなかったことなどについては怒っていないと言った。

「できない嫁」で笑いを取る女

この飲み会中、ずっと気になっていることがあった。

「こいつ住民票も出せないんだぜ」「嫁のトイレそうじの仕方が雑」「だから俺、こいつに暴力はダメだぞって話をしたんだ」などお兄ちゃんがお姉ちゃんにチクチク言葉を浴びせているとき、お姉ちゃんはそれを笑い話として消化していたのだ。

お兄ちゃんの「俺の嫁はなにもできないぞ自慢」は結構な回数で話題に上がった。

お姉ちゃんは笑ってた? いや、ときおり下を向いて、はにかんでいた。「仕方がない」とばかりに。お姉ちゃんは完全に「できない嫁」「咎められる嫁」「なにもできない嫁」を笑いとして受け入れていた。異常性に気づいているのか気づいていないのか。でも、それがあたかもそれが普通かのように。

私はそれがショックで、情けなくて、ふがいなかった。5年前、私が憧れたお姉ちゃんの姿ではなかった。

お姉ちゃん、お願いだからなんか言い返してよ。

「男の子の意地悪は好意の裏返し」は通用しない

さらに情けないことが起こったので記録しておく。私の夫も、お兄ちゃんの「俺の嫁はなにもできないぞ自慢」に便乗していたのだ。

風呂掃除の話題をお兄ちゃんが出せば、「うちのひさ子だって排水溝ぜんぜん掃除してくれないんですよ〜」。洗濯の話題になれば、「ひさ子が脱いだ靴下、俺いつも洗濯機に入れてるんですよね〜」などと。

お兄ちゃんと私の夫で、公開愚痴大会が開催され、徐々に令和・嫁不満自慢合戦の場と化した。

私は掃除が苦手なことを自分で気にしている。だから笑い話にしてほしくなかった。「その話、誰も楽しくない話題だけど大丈夫?」と心の中で何度も夫に聞いていた。唯一、楽しいと感じているのはお兄ちゃんだけのようだった。

「男だから」「女だから」というラベリングは好きではないが、こういった嫁の不幸自慢は、男性特有のものなのだろうか? いや、女のわたしだって夫の愚痴を言うときだってある。でも、それは夫の目の前では言わない。なぜ、わざわざ互いの配偶者の前で言う必要があるのか。

その答えらしきものは、最近読み始めた『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン』という本に載っていた。

この本は、ジェンダー平等時代に向けた、男の子の子育て論を説く本だ。私は、著者が問題視している《「男の子の意地悪は好意の裏返し」問題》について書かれた以下の部分にヒントをもらった。一部引用する。

相手への好意があるということによって、相手に嫌な思いをさせる好意の「悪さが少し減る」かのような勘違いを子どもにさせかねないリスクがあると思います。(中略)動機が相手への好意であろうがなかろうが、いけないことはいけないというのはもちろんですし、好意の表現として相手が嫌がることをするというのは、表現方法としては歪んでいます。

これは、男の子が女の子に意地悪をして泣かせたりしたとき、男の子をしかりつつも「でもあの女の子のことが好きなんでしょ?」とからかったり、女の子側には「あの男の子はあなたのことが好きだから意地悪しちゃったの、許してあげて」的なことをいう問題である。

要は、「男の子は好きだから意地悪しちゃうのしょうがないよね」っている論理、おかしいよねという話なのだが、もしかしたら、お兄ちゃんと夫は、それぞれ妻への愛情表現のひとつとして令和・嫁不満自慢合戦をしていた……?  と私は感じたのである。

しばらく経ってから夫にこの話をしてみたら「たしかにそうだったかも。悪気があったというよりかは、僕の奥さんの自慢をしている感覚だった」と言っていた。

また、《「男の子の意地悪は好意の裏返し」問題》は女にとっても有害だと書かれていた。以下に引用する。

こうした言説は女の子にとっても有害です。嫌な思いをしていても、それに対して起こったり講義したい気持ちを殺いでしまう発想を内面化させてしまうからです。

おもしろいことに、私もお姉ちゃんも、その場でいくら自分らの悪口を聞いても、にへらにへら笑っていた。少なくとも私は嫌だったし、心の中で「その話、誰も楽しくない話題だけど大丈夫?」と夫へつぶやいていたくらいだ。

たいへんおそろしいことになった。なんて、なんておそろしいことだ。

私はこの話を夫にして「私を蔑んで笑いを取るのはやめてほしい」と言った。そして、改めて考えた。誰かを見下したり、悪口を言ったりする笑いの取り方ってもう古いよね、と。

「誰も傷つけない」ぺこぱの笑いが支持される理由

ちょっと話が変わってしまうが、先日こんな記事を読んだ。これはお笑い芸人の東野さんが時代とともにお笑いもアップデートしていくべきっていうYouTubeを上げたという記事なのだけど、すごく感銘を受けた。

たとえば、オネエキャラの芸人に対して「おっさんやないか!」という落とすツッコミではもう誰も笑わない。「ブス」や「モテない」ことで女芸人を卑下して笑いを取るような人はまずいない

ぺこぱの誰も傷つけないお笑いが今の時代にフィットしているように、見下すのもディスで笑いを取るのはもう違うと思う。

いろいろな要因から、自分の夫からディスられるのを受け入れてしまっているお姉ちゃんもなんか違う。それを笑いにしちゃう空気もなんか違う。その場で、違和感を持っていたのに、おかしいことをおかしいと言えず、お姉ちゃんをの味方になることもできなかった私自身は、いちばん恥ずかしい。

おわりに

今、時代がそういう時代だから、考え方をあわせにいってるんじゃなくて、今の時代のその考え方が私にフィットしてるってだけの話。収入も格差も経験もクソくらえと思ってる。夫婦はふたりでつくっていくものだから、そういうめんどうなものをものさしにするのは反則だと思ってる。

でも、「正しいことを正しい」と言うことだけが正義じゃないのも知っているし、人間関係は複雑な感情の上に成り立っていることも承知済みだ。だから、今できることは、私は、私が感じた違和感を大事にしていくことだと思ってる。

私の大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんのことは見守りつつ、ときには私が感じたことを伝えていこうと思っている。

大切な人に、それを伝えて。どうか、みちを踏み外さないように。




今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!