記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

無知蒙昧うろ覚え映画散歩◆愛を疑え

◆無知蒙昧うろ覚え映画散歩◆
No.1 愛を疑え
〇フェミニズムの文脈から見る映画〇
ココシャネル コルセットからの解放とスカート丈の革命
「ココ・アヴァン・シャネル」の巻

◆前説◆

はあい、悪意表出ソムリエです。ご機嫌よう。(*・ω・)ノ
瓢箪から駒の発想で偶然思い付いた新たな記事を書いて行くだーよ。ご協力下さったしずのんさん、有難う御座います。m(_ _)m
ま、ありがちな映画話なんですけどね。(^^;;

誰からもお金貰ってないので、テーマは自分で決めます。
テーマに注視するので、映画の隅々までは多分語りません。
一種の思考実験みたいな試みです。
なるべく社会問題や時事ネタと関係のある事柄に絞って行こうかな(別に拘らなくてもいいですが)。
当方は愛だの恋だの青春だのというお祭りには興味も関心もないので、どうしてもそちらに傾くよなあ。
更新は内容がある程度纏まってからね。
あと、著作権の問題もあるので挿絵は自前で行きます。
だから更新頻度は不定期で、極たまーにですよ。
あ、プロの映画評を望む方は、町山智浩さんの音声ファイルやポッドキャストを購入なさって下さい。
オレは無知蒙昧なのでだいぶ偏っていますし、そもそも町山智浩さんの足元にも及ばないんで。大体、この記事は映画評ですらありません。

それから、映画のネタバレを嫌う方は読まないで下さい。
前以て明言したので、その手の苦情は一切受け付けません。キッパリ。

◆本題開始◆

「ココ・アヴァン・シャネル」の巻

インターネットとスマートフォンが普及して便利な時代になりました。Netflixなどのネット配信で見られる映画やドラマが豊富になり、自分の都合で自由に観る作品を選べるからです。
映画館が減ってしまった現在、遠出しなくても映画を見られる環境は、出不精でカタワの当方にとって大変有難いのです。
アマゾンプライム会員の小生は、面倒の少ないアマゾンプライムビデオを見ています。
脳が老化しているので、リハビリ目的で見てますけどね。

自分一人で見る時もあり、どなたかと一緒の場合もあり。今回はしずのんさんと一緒でした。
色々と映画のタイトルとサムネイルを物色する内、ココシャネルの作品「ココ・アヴァン・シャネル」を見付けました。
小生は飽くまでも無知な素人なので、

夙谷「え?こういうの初めて知った!」

のでした。
そもそもシャネルブランドとは縁遠い貧民ですし。
まず、予告編をチラ見すると、長いドレスの裾を引き摺ってる女の人たちが画面いっぱいに…。

夙谷「あれ?十九世紀末の方だったんですか?!あのう、ココシャネルってスカートの丈を短くした人と違います?革命家みたいなモンですわ!」

しずのんさん「今ではすごく正統派な感じだけど、当時は革命的だったんですね。」

夙谷「これはもしかしてフェミニズムの文脈で描かれているんですかね?スゲー見たい!てか、気合い入れて見ます!!」

しずのんさんと当方にとって、フェミニズムとは言葉狩りで歴史を歪曲する事を意味しません。
誰もが平等でしがらみから自由になる、それがフェミニズムの理念である、という情報を共有しています。
しずのんさんと当方は元来フェミニズムに興味があって、最近の論客ではろくでなし子さんに関心を持つ同士で、共有する情報が割と多いのですね。
そして当方は元々、フラッパー(日本ではモガかな?)の短いスカート丈の流行は誰が作ったのか疑問でした。
とはいえ関心が他の分野にも渡るので、調べるのは後回しにしていました。
自分ツッコミするとググれカスの一言なんですが、どうせなら楽しみつつ調べてみたいですやん。
この作品で検証出来るかも?という下心がありました。ヘッヘッヘ。
ところで、小生は服飾の歴史については素人なので、詳しい事は専門家に訊いて下さいネ。

◆映画データ◆

「ココ・アヴァン・シャネル」
2009年フランス映画
原作
エドモンド・シャルル=ルー
監督
アンヌ・フォンテーヌ

出演
オドレイ・トトゥ
ブノワ・ポールヴールド
アレッサンドロ・ニヴォラ
(Wikipediaより引用)

◆吹き替え版の本編再生開始◆

夙谷「えっ?!孤児院に行くトコから始まるの?」

しずのんさん「ミュージカル??」

夙谷「いやあ、昔から酒場には生歌生演奏が付き物でして。」

しずのんさん「芸者と娼婦は違うよ!」

夙谷「ヨーロッパにはジャポニズムブームがあったんですが、芸の出来ない昆布巻芸者は売春…」

(以下省略)

…見終わって。

オドレイ・トトゥ主演「ココ・アヴァン・シャネル」は結論から言うと、ラブロマンスに照準を当てており、服飾で何を成し遂げたのかが端折ってあったので、しずのんさんと当方は見ながらツッコミまくりました(すみませんねえ、いつもそういう見方してるんですよ)。
愛人が事故死してから物作りに集中し始める様な流れになっていて、現実逃避に見えちゃうんですよ。

「これではココシャネルがどうして偉大なのか、全く説明していないではないか!意味不明過ぎる!」

とね。(^^;;
まあ、この二人はココシャネルの仕事面でも、特に社会を変えたトコを期待してしまう訳ですけど、ワイドショー的な出歯亀趣味を満たすには、この映画で充分なのではないかなーと思います。

また、原作はチェックしていないため、何が本当の事なのか判別がつきません。悪しからず。

そうは言っても、人物像や概ねの成り行きなどは少し把握出来ました。

◆把握出来た要素◆

〇ココシャネルは、姉と共に基督教系の孤児院で子供時代を過ごした。母親は病死したらしい。
〇面会に来ると約束したはずの父ちゃんはその後現れないというありがちな無責任さ。
〇自立心旺盛で物事をハッキリ言う強い意思の持ち主、そして庶民である故に合理的な考え方の成人に育つ。
〇貴族階級のファッションに対して装飾過剰だと批判的。
〇ワイン商だった父ちゃんはアメリカに渡って鍋を売っている。
〇親戚に虐待された経験があったらしい。
〇仕立て屋で働きながら、夜は姉と二人組で酒場の歌手もしていた。歌い踊る時にコルセットが邪魔である事に気付いている。
〇ココの本名はガブリエル。持ち歌のシャンソン「ココ」から愛称が定着。
〇色気で媚びる事はほぼない。当時としては変わり者。
〇姉は酒場の客である男爵と婚約してパリ郊外へ行き、ココは一人で自活する事になる。
〇馬車で移動する時代であり、何もかもがほぼ人力。車は大金持ちしか所有していない。
〇初めは服飾で開業するつもりは無く、軍人の持つお城で愛人生活の傍ら帽子作りを開始。
〇音楽の方はオーディションに落ちて諦める。
〇軍人の私服を改造して着用。つまり男装。
〇乗馬は横座りではなく、足を開いて跨る。当然ズボン着用。
〇社交界の価値観や交流が苦手。
〇いつも裁縫して何か作っている。
〇女らしくしろと言われても従わない。
〇ムッとすると部屋に閉じこもる。
〇社交界のゲスっぷりに呆れている。
〇麦わら帽子がきっかけで穴兄妹の舞台女優と仲良くなり、帽子作りが何となく商売へ繋がる。
〇愛人滞在日数記録最長を更新。
〇当時のフランスでは女は働かなかったらしい。
〇女は馬鹿な方がいいという世間の風潮が根強い。
〇もう一人愛人(イギリス人実業家)が出来て、最初の帽子屋の開業資金はその人に出して貰った。
〇最高の色は黒。
〇二股でも変だと思っていない。かなりポリアモリー的。結婚にも拘らない。
〇当時の女は基本的に男の所有物。
〇珍しい生地を見ると、それで何か作る事を考える。
〇愛人の出身地や一緒に行った土地の服装を取り入れる事から、独自のスタイル作り開始。つまり、服飾全般を手掛ける事自体は遅咲き。
〇目を付けたのは、男物の服装、乗馬の仕方の男女差、漁師のボーダーシャツ、イギリスのジャージ生地など。
〇姉は結婚願望が強かったが、家柄が釣り合わないという理由で結婚出来なかった模様。
〇人脈を作る事が苦手というか、その必要性を解っていなかった模様。
〇銀行の融資は愛人が保証人でなくては通らないという時代で、女が店を経営する事自体難しかった。本人もそれに苛立っていた。
〇愛人は交通事故死。

はい、大体こんな流れをおさえられました。
ココが男物の服を改造して着ていた事を初めて知りました(遅っ!)。
合理的に思考すると、女物のドレスより男物の方が人体に合っていて楽という判断があったみたいです。当時は男装してたらモロに変人扱いを受ける訳ですけどね。

庶民出身で質素な孤児院にいたから合理的な思考が身に付いたのだと推測しますが、ココが自分の頭脳で考えた事柄は概ね軽視されます。
会話で上手い事を切り返せば、頭を使うよりも愛想良くする事を強いられます。
働きたいと言えば、結婚して家に入れと言われます。

これは上流社会と庶民の価値観の差が原因ですかね。
まあ、ココはそんな事は大して気にしないのです。自分の価値観や思考に自信があるからです。

シャネルスーツや香水など、発明と呼べるものの描写は余り無かったので、しずのんさんとオレは相当モヤモヤ致しました。
特にジャージ生地は工業製品と思われるので、産業革命と大変関わりが深い筈です。ボーダーシャツもモードを語る上で外せないアイテムです。
ココシャネルはどうやってそれらをヒットさせたのか?時代背景との関連は?
そこを描いてくれないと、ココシャネルが偉人だという理由が判明しません。この作品にそういう事を期待したらアカンかった様です。

◆物作りの思考回路◆

しかしながら、物造りで商売する人種特有の思考回路がちゃんと描写されていましたね。
珍しい素材から何か作る事をまず考えるという点です。
ココがそういう思考回路だったと描かれていてホッとしました。
消費者は視界を何となくしか見ていなくて、ただ単に何かを消費したら包みをゴミ箱に捨てて便所に行ってお終いなのですが、作る視点で見ている人種は

「これは自力で再現出来る」
「これはアレンジを変えればもっと良くなる」
「このネタから新作が作れそうだ」

など、作る事を最優先する癖がついているものなんですね。生活習慣みたいなものです。それで食ってる訳ですから、自分の命が懸かっているんですよ。

今現在、作る行為のジャンルは多岐に渡ります。文章、料理、音楽、演劇、お笑い、絵画、映像、ボカロ、MAD動画、その他諸々。
何かしら作る人には、ココの思考回路が解りやすいのではないかな?と思いました。

物造りと環境の関わりも描かれています。しかし、今回はそこをスッ飛ばします。

◆コルセットから性を解放◆ 

この作品では、ココの性的な側面が描かれています。
心身と性は切り離せない事であり、所有権も決定権も自分のものです。
これ実はフェミニズムの視点から考察する時の重要なポイントでもあります。

ココが姉と一緒に酒場で歌っていた頃にはこんな会話がありました。

(夜、安宿の寝床の中で)

姉「私は彼を愛してるの。」

ココ「愛なんておとぎ話よ。」

姉「冷たい人ね。」

ココ「私が惹かれるのは愛よりもセックス。」

姉「男無しで出来ればね。」

二人「アハハハハ!」

また、社交の場でも下ネタの話題が上がり、チンポの大きさについて訊ねられ、こう答えます。

「見えなければ肌と肌だわ。灯りを消せばいいのよ。」

即物的でドライな価値観ですが、性欲や快楽を肯定するのが素敵じゃありませんか。体を楽にする服を普及させる人ならではの考え方だろうと思います。
体の内外両方とも自然に、と言った所でしょうか。

ココは乗馬する時、横座りではなく跨る派です。恐らく自分のまんこの在り処はとっくに自分で心得ていたのでしょう。
こういう身体性の獲得は、まんこの所有権に通じる事なのですね。
ココはまんこを自分で所有していたと思われます。

まんこの在り処と所有権を巡る攻防については、上野千鶴子先生の「スカートの下の劇場」という書籍をご確認下さい。下着デザインの歴史との関連が詳細に書かれています。

この作品では、ココシャネルがコルセットを服装から排除した結果、女の人の性が解放された様に描かれています。
舞台女優の衣装として孤児院の制服を作れば、興行の前夜祭か何かの仮装パーティーで、こんな感想を聞かされます。

「この服の方が彼も興奮するみたい。」

制服フェチのジャンルと見てもいいのですが、それだけではないんです。
ココ本人のベッドシーンでも愛人がこう言います。

「脱がせやすい服だ。」

性生活の革命を意味する様に受け取れますね。
いや、コルセットからの解放はそれだけが収穫ではない筈ですけど、この映画では描かれていなかったので、性的な方面に行きました。ふしだらだと思った方がおられたらごめんなさい。(^^;;

◆愛を疑え◆

しずのんさんがふと仰った事ですが、ラブロマンスにしては女優さんの色気が足りないのではないかな?という点について考えてみます。

当方は、色気の無い人なりのラブロマンスもアリなのではないかと思います。

誰もが美男美女に生まれつく訳ではありません。
肖像写真を見る限り、ココシャネル本人の顔は綺麗であっても、色気のある系統かと言われたら余り該当しないですし。
美男美女のラブロマンスストーリーなら、他でもいっぱいありますよね。

それに、この作品のココシャネル像は前提として愛に対して懐疑的なんですね。
理由については大体こんな内容の長ゼリフがありました。

“愛なんて信じない。
父が浮気を繰り返し、母が待ち草臥れて病死。
母は最期まで父を愛していたが、そんなモノを信じて死ぬのは馬鹿らしい。
愛なんて不確かなモノに依拠する結婚など自分はしない。
ただ、その決心が揺らぐ時があって困惑する。”

この前提には毒親問題要素も含まれますが、いわゆる恋多き女というベタな路線とは違う、自立した女の人のラブストーリーと考えていいのではないかと思います。

ただ、ココが相手を選ぶ基準はよく解りません。

最初の愛人は頭の薄いヤリチンセクハラ親父で、ココの頭脳よりも身体を好んでいます。
次の愛人も実業家とは名ばかりの遊び人で、ココの創造を軽視して儲けしか頭にないっぽいのです。
二人ともココの職場に押し掛けていますし、何かあるとすぐに結婚を迫るし、気に入った女を取り敢えず傍に置きたいというのがミエミエでして。

特に酷いのがイギリス人実業家のこの台詞です。

「玩具を与えたら自由まで手に入れたか」

商売が上手く行ってんだからさあ、自由くらいあげたらエエですやん?!束縛しても嫌われるだけですって!
だいたい玩具って何ですかその言い草は?

幾ら女に参政権が無く人間扱いされなかった時代とはいえ、どーしてそんな連中と付き合ったのか、本当に解らない程でした。
大体、何年も付き合っているのに、自分が出資している商品を吟味していなかったのも、その愛人は経営者としてちょっとどうかと思います。

ココも彼らと一緒にいてイラッと来る描写は、結構ありましたね。
それでも同じ空気を吸いたいのは、性欲優先なのか、愛なのか、執着なのか。
見る人の解釈はそれぞれ異なるでしょう。

多分、二十世紀の自立した女の人の理想形として描きたかったのではないかと推測します。
女らしさの既成概念に囚われず成功し、そして内面では愛とは何か悩むココシャネル像。

愛と性と結婚は一致しなくていい。
そこばっかりにこだわっていたら、人任せの怠惰な生き方しか出来ない、自分の頭で考えて自分の脚で歩こう。
そういう意味なんだろうと薄々解ってはおります。

政策の面から言えば、結婚の制度と出産育児を切り離す事で出生率を回復させた、フランスならではの描き方だと思います。

特に印象的な台詞を書いて置きます。

ココシャネル「貴方、まさか愛を信じる事にしたの?」

これは、フランス発の二十一世紀に対する問い掛けの様な気がしてなりません。
きっと、今はそういった規範が変化する過渡期なのでしょう。
旦那デスノートを読んでいる方はリアルに共感出来る設問ではないかな、とも思います。

◆小ネタ◆

どうでもいい枝葉末節な事ですが、オーディションの場面で歌い踊る曲の歌詞が

「あたし、ゆらり泳ぐのよシビレエイ♪」

という下ネタで、個人的に嬉しかったです。
いやまあ、エイの排泄口はまんこソックリらしいのです。
昔から船乗りはエイを捕まえてオナホ代わりに使っていたのですよ。
日本でもよく聞く話題ですし、南米を舞台とした映画「モーターサイクルダイアリーズ」にもエイの下ネタは出て来ましたから、どうやら万国共通の様です。

あ…どうしてココシャネルが歌手志望だったのかも不明だった! (・◇・)

◆検証は続く◆

革命から正統派と呼ばれる定番になるまでというのは、どんなジャンルでも長い時間が掛かるものです。
発明したものを広く配布する事自体が物理的に大変な作業です。また、誰でも新たなものに対しては抵抗が強く、慣れるのに時間が掛かるというのもあります。

ココシャネルのモードはどの様に作られヒットしたのか?しずのんさんとオレはどーしても気になるので、別の映画を見る事に致しました。
はい、軽く検索したら、ココシャネルの映画は四本あると解ったのです。その内、シャーリーマクレーン主演の作品を見る事に致しました。

次回「ココシャネル 2008」の巻に続く!

❁❀以下予告✿✾

◆無知蒙昧うろ覚え映画散歩◆第1シーズン◆
〇フェミニズムの文脈から見る映画〇
各記事の注視ポイント

●ココシャネル コルセットからの解放とスカート丈の革命
「ココ・アヴァン・シャネル」の巻
「ココシャネル 2008」の巻
ココシャネルによる偉業の確認

●キャットウーマン 悪役の女が気になる!①
「バットマンリターンズ」の巻
ココシャネルから百年後の職業
金髪女は馬鹿という迷信の発祥

●ポイズンアイビー 悪役の女が気になる!②
「バットマン&ロビン」の巻
高学歴の女に望まれる事って何だろう?

●マリリンモンロー 頭のいい女はいない事にされる?
「マリリンモンローラストシーン」の巻
私がウーマンリブに寄与した事を忘れないで下さい

●日本の働く女って最近どうなの?
「クヒオ大佐」の巻
仕事はコミュ力がモノを言う?

●東電OL 女の賞味期限
「恋の罪」の巻
セックスワーカーの危うさについて

(予告通りに進まず横道に逸れる事がありますので、ご承知置き下さい。)

-----------------------------

〇奥付〇
無知蒙昧うろ覚え映画散歩
第1シーズン No.1 愛を疑え
2018年3月8日 下書き完成
2019年10月26日 初版発行

記録・考案・執筆・作画
夙谷稀

発案協力
©️しずのん

Special thanks
©️あきぽん

発行責任者
©️夙谷稀 

※引用の要件を満たす場合に於いては権利者の許諾を不要とする。
※盗用剽窃行為に対しては法的措置を執らせて貰うので、知識盗人の皆さんお覚悟召されよ。

#ココシャネル
#映画感想文
#ネタバレ
#フェミニズム
#オドレイトトゥ
#モード
#革命
#コルセット
#教えてフェミさん

この記事が参加している募集

映画感想文

アテクシは一介のサブカルクソ野郎で結構で御座いますよ。