見出し画像

「教員志望から学生起業の道へ」株式会社WIDE 代表取締役 北原誠大

0→1(ゼロイチ)を生み出す地方プレイヤーの「1歩目」に焦点を当てた「0.1(ゼロ テン イチ)」。地方という土地で活動している人たちは今の活動をどんなきっかけで、どんなことから始めたのか。これから新しい1歩踏み出す人を後押しするための記事です!


「教員志望から学生起業の道へ」
株式会社WIDE 代表取締役 北原誠大

株式会社WIDE 代表取締役 北原さん

僕の高校の先輩であり、サッカー部の時の恩師、そして大学生になった今も先輩起業家としてお世話になっている北原さん。近年、話題になっている部活動の地域移行や教員の働き方改革の問題をビジネスの観点から解決に取り組む。教員志望だった高校時代から起業に踏み切った北原さんの「1歩目」とは。


自己紹介:すべての子どもたちに専門的な指導を

部活動と外部指導者のマッチングサービスを展開する北原さん

―(梶原)自己紹介をお願いします。

(北原)2000年生まれの今年23歳。身長が190センチあります。佐賀県鹿島市の出身で生まれてからずっと佐賀在住です。小学校1年生の時からサッカーを始めて高校生までずっとサッカーをやっていました。大学は部活動の顧問の先生になりたくて教育学部に入りました。大学2年の冬から大学3年の春にかけて高校の同級生3人と学生団体WIDEを設立して、1年後の大学4年の4月に株式会社WIDEを設立しました。「すべての子どもたちに専門的な指導を」をビジョン掲げ活動していて、「すくスポ」という部活動と外部指導者のマッチングサービスの運営を行っています。

九州内でも多くの注目を集める「すくスポ」

―教員志望で大学の教育学部に通っていたにも関わらず、急に起業に方向転換したのはどうしてですか?

(北原)急に方向転換したわけではなくて大学の教育学部で1年間、先生になりたいと思っている同じ学部の人たちと過ごし、大学の授業を受けていく中でなにか違うなって少しずつ違和感を抱いていました。
そんな大学1年の前期に教育課題について考える授業があって、その授業をやればやるほど「教員の労働環境って問題だらけじゃないか、、、」って思うようになりました。それから「今ここに受講してる140人くらいの人たちはこの労働環境を知ったうえで教員の世界に飛び込んでいく。でもその中に、この仕組み自体を変える側の人間がいてもいいのではないか?」と思うようになりました。結局、教育とかの政策って国だより、国の動き待ちみたいなところがあります。でも、政府の動きを待つだけじゃなくて民間からこの仕組みを変えていくような動きがあってもいいんじゃないかなって。「自分は教員になるというよりはここにいる先生になるであろう人たちの働きやすい環境をつくったり、先生たちが教えている子ども達がより幸せな環境で学べるようになにかできないかな」と。そんな風に考えるようになりました。

マインドの1歩目:原体験と環境

小中高とサッカーに明け暮れた

―起業や現在行ってるサービスには北原さんの原体験が大きく関わっているんですね。

(北原)そうですね。でも元をたどれば大学の時の経験よりも高校の時に経験した原体験の方が今の事業には大きく関係しています。高校1年生の時に専門の指導ができる顧問の先生がいなくて、当時は自分たちで練習メニューとかを考えて日々練習をしていました。高校2年生の時に専門の先生がきて、めちゃくちゃチームが変わったっていう経験があって、それが自分の中で高校生の時に一番衝撃的な出来事でした。技術だけじゃなくて人としても成長できましたし、専門の先生がいた方がいいというのはこの時の経験からずっと思っていました。なので、最初は生徒側の視点で外部指導者の必要性を感じ、その後大学の教育学部で勉強した際に教員目線でも外部指導者は必要だと感じるようになったんです。

ー今、一緒に事業を行ってる友人は北原さんが誘ったんですか?

(北原)いや起業しようと言い出したのは他の3人
大学2年生の時にコロナが流行り始めて、県外に行った友達とかも地元に帰ってきていたからその時はみんなで暮らしているくらいの感じでした。それもあって「こういう生活がずっと続けばいいのになー」って話から、このメンバーで起業したら一緒に仕事できるよねって結論になったんです。他の3人は起業が先にたっていて。なにで起業するとかは決まってなかった。その時、僕は起業したいってわけではなくて「これ課題だな」って思っていただけだった。そしたら僕の課題観とちょうど起業したいやつらと合わさって、そしたら4人で起業しようってことで僕を含めた高校の友人4人で起業したんです。

動きの「1歩目」:応援される環境づくり

高校時代の友人4人で起業

―友人と「起業しよう!」ってなってからはなにから始めたんですか。

(北原)自分たちのやりたいことを言語化して「部活動の当たり前にケチつけてみました」ってタイトルでNoteを書いてそれをTwitterに載せました。そしたら結構反響があってTwitterで株式会社Dessunの社長さんの高橋さんって方に声をかけてもらってオフィスに遊びにいかせてもらいました。その後は、佐賀県の起業家向けのイベントに参加したり、ビジネスコンテストに高橋さんに教えてもらいながら参加してみたり。色んな人に会って色んな人にアドバイスもらいながら1年間は色んなイベントに参加して、人との繋がりをつくるみたいな1年でした。

―最初にNoteを書いたのは、どうしてですか?

(北原)自分たちがなにをしたいのかを正確に伝えたいなという思いからですね。あとは承認欲求です。「自分達の思いを世の中に伝えたい!」かっこつけて言うこともありますが、自分達は「こういうこと考えていて、これからやっていくんだぞ!すげえだろ!」みたいな。周りに認めてもらいたい、認めさせてやるって気持ちもすごくありました。

数々のビジネスプランコンテストで受賞を続けたWIDE

ー打算で自分たちの事業をどう広めようとかじゃなくて、自分達のことを知ってくれ!みたいな思いが一番だったんですね。

(北原)その時は尖っていたから(笑)最近は「起業します!」とか大学生言いがちじゃないですか。でも、よくわからないことの方が多い。「結局、起業してなにをしたいの?お前はなにやっているの?」って。そこが分かりづらいから周りからは怪しいって言われる。だから一番初めに「自分たちはこういうことをしたい。」というのを社会に提示して、周りに応援してもらう。みんなに「それおもしろいね、頑張ってね」って言ってもらえるような環境をつくらないといけないという思いがありました。

原動力:「人」

起業するにあたって多くの人の支えがあった

―現在の事業を最初の課題観からここまで形にして、ビジネスとして起業した北原さんにとって、活動を続けていく上で一番大きかったこと、原動力になったことってなんですか?

(北原)やっぱり「人」ですね。出会った人。もちろんメンバーの3人や最初にNoteを読んで声をかけてくれた高橋さん。次に繋げてくれた人たち、県庁の人たち。奇跡的に佐賀県が学生起業やスタートアップに力を入れていて、その業界に切磋琢磨できるめちゃくちゃすごい人達がいて、その周りに僕たちの活動をサポートしてくれる協力的な人たちがいてくれたことは大きかった。若くして頑張ろうとしている人たちを応援してあげようみたいな空気感が佐賀はすごくて、そういう人たちが頑張ってねって言ってくれたこと。あれがなかったらここまでやれてなかったと思います。学生団体も中途半端なところでやめて、就活していたと思う。「起業したいです。起業しようと思っていました。」って言うのは簡単だけど実際に起業しましたってなったら全然違うから。僕たちが実際に起業できたのは支えてくれた周りの人たちのおかげ。この場を借りて感謝申し上げます。

切磋琢磨する仲間や行政のサポートも手厚かった

ー最初は自分たちがやるって決めていたことだけど、ここまで形にできたのは周りの人のおかげだと。

(北原)最初なんて「起業したい!」ってことしか言ってなかったし、後は課題意識があっただけでした。それ以外はなにもなかった。起業に必要な知識とかお金とか、そういうのはまったくなかった。それでも実際に起業できたのは周りの人たちのおかげです。でも、逆に起業するにあたって一番大事な部分は持ってた。起業したいなとか、こういう現状を変えたいとか、そういう部分さえあればなんとかなる。だからそういう意味では必要な部分は持っていたと思います。


高校の時からお世話になってる北原さんですが、ここまで深くお話をお聞きすることは初めてでした。僕も北原さんに繋いでいただいたご縁を大切に活動を続けていきたいと思います!
こちら北原さんが代表を務められている株式会社WIDEのHPです。ぜひご覧ください!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?