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自己紹介と脳脊髄液減少症について

初めまして。
shuki(しゅーき)と申します。
鍼灸師免許を2022年4月に取得しました。

 免許取得後は伝統的な鍼灸を学ぶために修行をしながらサッカーチームのトレーナーをしていました。2023年で大阪から離れ、2024年から地元で実際に出張専門鍼灸師として、またサッカーチームでトレーナーとして活動しています。 

 せっかく初めての投稿するので、大好きなサッカーに関連することと私に起きた出来事について書かせて頂こうと思います。

 親が野球をしていた家だったので小さい頃は野球をしていました。その後友達の誘いで地域のミニバスに入ってバスケを2年間していました。ヘッタクソでした。そんな小4の時に友達の誘いでサッカーを知って誘ってもらって、地域のクラブチームでサッカーを、中学校と高校は部活で、専門学校1年生の時は社会人チームに入っていました。ボールを扱ったりするのがうまいとか、身長が高く圧倒的なフィジカルがあるとか、そういう選手ではなかった自分ですが、「楽しいから」という理由で熱心に取り組めていました。強豪校に進学したわけではなかったので特に結果を残したりはありませんでした。

 高校の1年生の時にちょっと大きな怪我をして、そこで出会ったのが鍼灸師のトレーナーの大先生だったわけです。鍼灸師、トレーナーを志すきっかけを与えてくださった大先生です。そこで鍼灸を知って、ということになりますが一旦鍼灸のことは置いておきます笑

 その後専門学校1年生の時は社会人チームで月2回ほどサッカーの試合に行っていました。学校が大阪で下宿をしており、サッカーは地元だったので試合のある週末に帰って試合をしてまた大阪に戻るという形でした。死ぬほど暑い中人数が揃わなくて少人数でなんとか引き分けたり、高校生たちが手伝ってくれてなんとか勝てたり。それなりに楽しくサッカーさせてもらってました。笑

 そんな専門学校1年生の秋、いつも通りにサッカーの試合をしていた際です。スライディングでボールを止めに入った時に左側頭部に走ってきた相手選手の膝が入って接触。詳しく覚えてませんが、うつ伏せになってて頭痛とめまいがしていました。
 その後意外とすぐに頭痛とめまいもおさまったのでプレーを続行ー。翌日学校に備えるためいつも通り大阪に帰りました。
 今となってはあの時にプレーをやめて大人しくしてすぐに病院に行ってれば、よかったのかなと。

 その後2週間普通に学校に行ってアルバイトして…という生活を送っていると徐々に車酔いのような、船酔いのような症状と頭痛、だるさが出始めました。
 まあでも疲れてるんだろうなって、すぐ治るだろうなって。でもぜーんぜん治らなかったんですよね。そこで初めて下宿の近くの脳神経外科検査をしてもらったんです。

「軽い脳震盪と軽い鞭打ちでしょうね」

ということでした。あーなんだ、そのうち治るやつじゃん。って当時思っていました。その後ちょっと船酔いをしたりする感覚は持ち直します。でもなんかだるいし、頭痛がひどくて。なかなか治らず半年後にようやく診断が出まして、

「脳脊髄液減少症の疑い」

 それで色々検査入院したり、処置入院したり…バタバタ…。。本当に当時しんどかったんですよね。
もちろんそれ以降、思いっきりサッカーなんてできません。サッカーは大好きですけどね?やっぱりまた接触あると怖いんですよね。
トラウマというやつです。本気でサッカーをやりたいなとは到底思えません。ボールを蹴ったりするのは楽しくて好きですが笑

 体調もそれ以降落ち着いてきて鍼灸師国家試験にも受かり、卒後〜現在では小学校の時にお世話になっていたサッカークラブで、鍼灸師として身体を通してサッカーに関わらせていただいています。怪我や身体の不調に対するはりきゅうなどを使った施術や、医学的な知識を使ったパーソナルトレーニングを実施しております。

 私自身、半月板損傷、脛骨疲労骨折、度重なる捻挫、手首の骨折…などなどと怪我が多かったサッカー人生でした。なのでチームでプレーしてくれる選手には怪我なく、ストレスフリーで、健康で、生き生きとしてプレーしてほしいという願いを持っています。

 最後までご覧いただきありがとうございます。
今後はサッカーや鍼灸に関わること、論文など医学的なこと、東洋医学的なことをぶつぶつとマイペース投稿していけたらと思っています。暇な時にどうぞお付き合いくださいませ。

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