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就活しくじり記 #1

この時期の大学4年生の大多数に倣って就活をしている。
が、私はこの就活戦線という場において大変名誉なことにしんがりを務めさせていただいているので、一向に「最終面接」というやつやら「内定」というものとは縁がない。
どうやら周りを見渡すとこのどちらかは経験がある人が殆どなのだけど、一番進んだもので三次だし、そこも普通に落ちている。
ある程度時期が進むと面接で「まだ内定がないです」と言うだけで他の企業ではいらない人なのだと不利になるらしいので、ここからは内定がない人間はどんどん不利な方へ転けていくなんて話も聞いた。本気か?
このままだと学チカ(学生時代に力を入れたこと、というやつだ)は「就活戦線のしんがりとして不特定多数の人に安心感を与えてきたこと」になってしまう。

とはいえ、4年間就活に対して何もしてこなかったわけではないだろうと頭をひねる。
しかし出てくるのは「私が就活すれば接待相手になる上司は10くらい上なのでサクラ大戦でも歌えるようになっておこう」と帝国華撃団を履修したことだったり、あるいは面接で特技として披露しようかと方丈記の冒頭を暗記しようとしたことくらいであった。
方丈記に関して冒頭がどこまでかもわかりづらい上、私が面接官なら「特技:方丈記」は怖いということに気がついてやめた。
この時スピードラーニングしようと録音した方丈記(前半一部)の音源はいつでも人に貸せるので、私を超えてやろうという人は連絡して欲しい。

ともかく、4年間をそんな無駄に投じた結果「SPI」だとか「玉手箱」なんて言葉には縁がなく、3年の2月まで「行く川の流れは絶えずして」で就活戦線に挑もうと本気で考えている馬鹿が誕生した訳だ。

そうして始まった就活期、第一波として私が受けたのは出版社をいくつかだった。
理由としては、私は自分の人生があらゆる文学や漫画にめちゃくちゃにされたのだという自負だけが強くあったから、私も誰かの人生をめちゃくちゃにしてやらないと気が済まないというのが一つ、もうひとつはそのことを面接官に報告したいというものだった。
後になって考えると、そんな理由で受けるなと思うのだけど、私は結構真剣に「面と向かって被害報告ができるのはここだけだ」とESを書いていた。

出版社のESでは、普通のフォーム以外にA4一枚に自分のことを自由に表現するという課題が出たりもした。
これだけは妙に楽しく、自分に関するクソアフェリエイトサイトのようなものを作ったり、双六を作ったりとウキウキで挑んでいた覚えがある。
そういうフォーム以外の課題があるところだけ通過率が高く、何もないところでは惨敗したので、ウキウキさが伝わっていたのだろうか。

また、結果としては全敗なのだけど、一社だけ前述したように三次まで進めたところもあった。
出版社では、spiを通過しても一般常識テストのような筆記試験が更に登場する。
なので本気で志望するひとたちは皆、1年間ニュースを追ったり本を読んで対策をする。
が、この時期の私はちょうど方丈がどうとか言っていた一番愚かな時期だったので、鴨長明以外のことは何一つわからないという悲しきモンスターになっていた。
むしろ、鴨長明さえ出れば無双できたのかもしれないが、そんなモンスターの前に出されたのは「この競技でメダルをとったメダリストの名前」だとか「このアパレルブランドの名前」だとか「このファッションの名前」みたいなものであった。

知るか!!!!!!!

というわけで、あまりにも何を聞かれているのかわからず、私はもうどうにでもなれと適当にマスを埋めた。メダリストの名前には友達の名前を書いたし、アパレルブランドの欄には「僕が考えた最強のブランド名」を入れた。
一番酷かったのは映画のタイトルを聞かれた問題で、何も思いつかなかったので「暴君 ー怒りの反逆ー」みたいな一昔前のインド映画みたいなものをスポーツ邦画の題名に充てがった。邦キチもびっくりである。

この試験は全部で50問であったのだけど、たぶん合っていたのは5問くらいだったと思う。なので、むしろ妙にすっきりした気持ちでその後合わせて行われた面接に挑んだ。
面接前の待合室で「無敵の人とはこうしてできるものなのか」と、妙な歓喜に震えた。
無敵の私は「最近は奪衣婆にハマってますね、地獄にいる服を脱がす婆です」などとおおよそ面接で使われない言葉を話し、そのまま軽やかに帰宅した。

その後で落ちたとはいえ、それでその筆記と面接は通過したのだから世の中はわからないものだ。

あとは、この時期には某放送局にもエントリーして、一次面接までは参加していた。もちろん落ちているが。
この「落ち」に関しては明確に身に覚えがある。
学生2、面接官2の面接だった。
「この放送局の番組でどの番組を聴いているか」というベタな質問に対し、私は確か非常に無難な回答をした。

問題は学生2のもう片割れである。
その学生はこともあろうか他局の番組を挙げた。
私はこの時点でもう、冷や冷やしすぎて酷い顔をしていたと思う。
しかし、もう一人の学生は語るのをやめない。そしてまた追撃。
「パーソナリティの〇〇さんが」と挙げたパーソナリティの名前が、番組のパーソナリティと異なるものだったのだ。
そしてさらに最後に「と、いうことでその番組を聴いてみようと思います。」と。

聴いたことなかったんかい。

場の空気が一気にひんやりとした感覚があった。
そしてこの一連のやり取りがなぜか妙に私の緊張を誘い、ここから私は過去最悪とも言える緊張で面接を終えた。
断っておくとあの片割れの子は何も悪くない。し、あの空気から挽回できる奴が受かるんだと思う。
だから落ちた理由は空気に飲まれた、あの局っぽいワードで言えば「板の上の魔物に食われた」ことにある。

そんなわけで4月。私はまだひいひい言いながらspiを解いたり、面接に出かけたり、慣れないパンプスにかかとを抉られたりしている。
後どれだけこの泥仕合が続くかはわからないが、もう少し戦ってみようと思う。


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