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その時、私は

2日前、今年の3月11日で東日本大震災から11年となった。

毎年この時期になると、テレビで被災地の復興の現状や未だに続いている震災の影響についての特集が放送されている。

活気を取り戻していく被災地に勇気づけられるのと同時に、あの震災がいかに日本人にとって大きいものであったのかを感じる。

その影響はもちろん、テレビの中だけの話ではない。

直接大きな被害が出たわけではない私の周りでも、「そういえば、震災の日はどこで何をしてた?」という話題が、この時期は決まって交わされるのだ。
同じような話題を、多くの人が話していることは想像に難くない。

私が当時住んでいた神奈川県では、震度4から5弱に近い揺れがあった。津波などの被害は起きなかったものの、その強く長い異質な揺れの恐怖は未だに身体が覚えている。

そして、震災当時の話を色んな人に聞いているうちに、ほとんどの人が10年近くも前の日の出来事を鮮明に話せることの特殊さに気がついた。

変化の少ない日々を過ごしていると、たった数週間前の出来事でも人は忘れてしまうし、下手をすると昨日の夕飯を思い出せない時すらあるものだ。

私の人生の中で、印象的で今でも覚えている日は震災の他にももちろんあるが、それはあくまで個人的に印象的な出来事だっただけで、他人と共有できるものではない。
しかし、震災に関しては、全く同じ日の全く同じ瞬間に関する記憶を、数え切れないほど多くの人が共有しているのだ。

今回は『週刊 ん?』のメンバーに震災直前の記憶について話してもらい、それぞれの文章を地震のタイミングから逆算して並行に記述した。

当時は知り合ってすらいない、全く別々に送られているそれぞれの人生が、地震の物理的な振動によって一瞬だけ繋がってしまう。

その妙な感覚を、文章をタイムラインとして使うことで残すことができないかと試みた。


遠藤紘也
ゲーム会社でUIやインタラクションのデザインをしながら、個人でメディアの特性や身体感覚、人間の知覚メカニズムなどに基づいた制作をしています。好きなセンサーは圧力センサーです。
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