手ぶらで散歩をする勇気 感情#1
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「散歩」を捉え直す
飲食店での無銭飲食は犯罪です。でも、家々から漂う夕食の香りを散歩しながら味わうのは好きにしていいはずです。
世界的に有名なキャンバスに描かれた絵を見るにはいくらかお金を支払わないといけないかもしれません。でも、世界で一番大きなキャンバスよりもっともっと大きな空はいつでも眺められます。
半ば無自覚のうちに競争社会の渦に飲み込まれて、気づけば自分を見失っている。そうして疲弊した僕にとっては、散歩はまるで最後の砦です。
慣れた手つきでSNSを開き、努力して競争に勝った者たちの成功論に打ちのめされる日々。音楽を聴こうと開いたYouTubeで何の役にも立たないショート動画の快楽を浴びる日々。
そんな時間からの解放が散歩です。お金もカメラも煩わしいスマホも全てをほったらかして、何も持たずに目的もなく散歩に出かけることが疲れた心を癒してくれます。
どれだけ時間を浪費してどれだけ不安に駆られていても、大きく広がる夕日を見て、四季折々の植物の香りを味わい、肌で空気の温度を感じると心地の良い気持ちになるものです。
「人間」を捉え直す
高度な社会性と知能を持っている人間も、レンズを変えて見てみればただの動物です。両足でしっかりと土を踏みながら自然の壮大さを感じると、おのずと地球に溶け込むことができます。
手ぶらで散歩に出かけると"面白いこと"に気づけます。
ポケットにスマホが入ってない状態にソワソワするのです。落ち着かない手を安心させるかのように、空のポケットに手を突っ込んでしまうのです。
緊急事態に備えてスマホは携帯する必要があるかもしれません。しかし、そんなことも全部忘れて散歩する時間は心のわだかまりを解いてくれます。
人間が生物である以上、幸福度は体の機能によって左右されます。
散歩のような反復運動(リズム運動)はセロトニンの分泌を促します。そして、日光によるセロトニン生成を考慮すると朝散歩がベターだと言われます。
しかし、理由もなく目的もなく、ただそぞろ歩きするのもなかなかに良いものです。
共有しない勇気
ところで、もうすぐ金木犀の時期ですね。(9月末)
金木犀は綺麗なオレンジ色をしていますが、なんと言ってもあの香りが特徴的です。
今の僕たちの技術では香りをスマホで共有することは出来ません。しかし、夏の打ち上げ花火や公園の野良猫はある程度スマホだけで共有することが出来ます。
それが真の意味での共有ではないにせよ、自分の感情を他者に伝えられたという感覚は十分に得られます。
これは、技術の進歩がもたらした良い事のように思えます。実際、共感は安心感を育む良いものです。例えば、一緒に映画を見たり家族と時間を過ごす時間は共感や共有そのものです。
しかし、ここで僕がオススメしたいのは「あえてスマホで共有しない選択をする」ということです。
それは、体験の情報量を増やすためでもあります。
スマホで写真を撮っているときは被写体の観察が疎かになります。クローバーの模様や動き、周囲の植物の種類といった多くの情報を見失ってしまっているのです。
四つ葉のクローバーを見つけても、あえて写真を撮らずに自分だけの体験にする。綺麗な虹を見かけても、あえて写真を撮らずにただ眺める。
そうすることで体験の質は自ずと高くなっていきます。
そうは言っても...
そうは言っても、散歩が億劫だったりSNSに投稿したい気持ちは僕にもあります。
前述の通り、僕たちは人間である以上そのように感じるのも当然であって、否定することでも嫌悪することでもありません。
散歩に行こうと思えたときにこの記事を思い出してみてください。いつもの道を歩いているのに、少し新鮮な体験ができると思います。
僕も次の旅行では深い体験ができるよう心掛けて楽しんできます。