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キャベツ大盛りの愛情

洋食屋が好きで、馴染みのない土地に行くときは必ずその周辺の店をチェックする。洋食文化が好きなのもあるけれど、どこかで食事をするとして、どこにでもあるチェーン店に入るのも面白くないし、その街らしさをもっと楽しみたい思った時に、値段も手頃な洋食屋は丁度良い。正直、味はわりとどうでもよかったりする。店それぞれにこだわりや味の違いはあれど、ハンバーグなんてだいたいどれも美味しいわけで、行ってそこで食事を楽しめば、なんとなくその街にささやかな愛着が芽生える。それが僕のいう「洋食屋が好き」。

忘日忘所、18時。この日もあまり馴染みのない街にいた。スマホのマップ片手に事前にチェックしておいたお目当ての洋食屋の前に到着。初めての店だ。オープンしたての店内をドアのガラス越しに覗くと客はまだ居ないようだ。そしてその時に見えた風変わりな内装に少し入るのをためらったが、思い切ってドアを開けた。

「いらっしゃい、どうぞ〜」

赤いメッシュの入った髪にショッキングピンクのマスクをした老齢の小柄な女性が笑顔で迎えてくれた。カウンターの向こうには白髪の同じ年齢くらいの男性が黙々と調理の準備をしている。カウンターに数席と奥にテーブル席が1つほどの小さな店だった。

手を消毒してカウンター席に着いて、壁のいたるところに貼られたたくさんのメニューの中から、店の名前がついた看板メニューらしきセットを注文した。一息ついてあらためて店内を見回すと、様々なお土産物や写真が乱雑に置かれたり貼り付けられたり吊るされたりしている。まるで夏祭りのくじ引きの屋台のディスプレイみたいに壁や天井、カウンターが見えないくらいに所狭しと物です埋め尽くされているのである。

ひとつひとつを見てみると国名とそれを持ってきたお客さんの名前の札が付いているものもある。常連さんが持ち込む海外や国内旅行の土産雑貨をディスプレイしているうちにこの様になったのだろうか。年季の入ったものから、比較的新しそうなものまで様々だ。

しばらくすると料理が運ばれてきた。見たことがないくらいものすごい量のキャベツの上にエビフライ、クリームコロッケ、メンチカツが乗っている。すごいボリュームだ。

「このアングルの方がいいわよ。」
出てきた料理の写真を撮ろうとしてると、お店の女将さんが声をかけてくれた。指示に従い写真を撮る。上手く撮れた。

「ご飯これくらいでいい?」とよそいながら見せてくれた大きなお茶碗には3杯分くらいのお米が乗っている。食べきれなさそうなので「その半分にしてください!」とお願いした。しばらくして「半分だとちょっと少ないから...」と言いながら持ってきてくれたお茶碗にはキムチ、昆布の佃煮、ふりかけが白米が見えないくらい盛られている。壁が見えないくらいに埋め尽くされたお土産もの、そしてこの白米が見えないくらい埋め尽くされたオカズ、自分の中で「もちろん」と合点がいった。

客は僕ひとり。黙々と食べているとお腹が満たされてきて、少し口に運ぶペースが落ちた頃を見計らったかのように女将さんがしゃべりかけてくれて、そこからは談笑しながら食べた。店を初めて48年目になること、どんなに野菜の値段が高騰している時でもキャベツの量を減らさないこと、そのキャベツの切り方へのこだわりなど。主に女将さんが喋って、大将はそれをニコニコ頷きながら聞いている。この二人はご夫婦なのだろうか。でも女将さんには、開業当初からバイトしている大人気の看板娘が今もずっと働いているみたいな雰囲気もある。とても楽しいひとときだった。

最初こそお客さんからの土産雑貨で埋め尽くされた内装に圧倒されたけど、食べ終わる頃にはその内装以外考えられない、というくらい納得していた。自然だった。お客さんたちはその壁の余白を見つけて埋めようとするのだろう。それだけお店の味やおふたりの人柄が愛されているということだ。愛が集合して、可視化されてる。大盛りのキャベツも白米が見えないくらいのオカズも、それは全て愛情表現なのだ。

大袈裟かもしれないが、街の洋食屋さんの一つの究極の形がここにある気がした。

ものすごいボリュームだったけれど、絶対残したくないと思って頑張って全部食べた。時計を見ると次の予定の時間が迫っていたので挨拶をして店を出た。

「また来ます。」

そして先日いっしょに仕事をしたお笑い芸人の方の独演会を見るために、数100メートル先の劇場へ走って向かった。パンパンになって苦しいお腹にキャベツ大盛りの愛情を感じながら、最近Twitterでみた「#くいもんみんなちいさくなってませんか日本」の事をなぜか思い出していた。ちいさくなってないところもあるよね。

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