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嫌いな上司がいなくなったら仕事する気がなくなりました

数年ほどの間、直属の上司が嫌いでした。
私の入社4年目にやってきた彼は、その能力をいかんなく発揮し半年足らずでチーム全員に嫌われました。
ある人は
「喋りたくない、顔も見たくない」
と距離を置き、ある人は個人面談で
言ってはいけないこと!!」
と発言し、ある人はそのストレスから高血圧となってしまいました。
会社のカラーもあり社員は真面目な人が多いし、合理的で大人な判断ができるアダルティなチームだなと思っていたので、これは相当な影響力でした。
そんな彼ですが、喜ばしいことにこの4月の組織改編で他部署へ異動となり、代わりに新しい上司が着任し、この環境に絶望していた人たちが一筋の希望に胸を躍らせる中、
私は何故か全く仕事のやる気が起きません。
この虚無感は一体何なのでしょうか。

ちょっと時間をとって考えました

考えてみた結果、張り合う相手がいなくなって寂しいのだという結論に至りました。
私は嫌いだったこの上司にいつからか勝手に対抗心を燃やし、この人に何も言われなくなること、黙らせることをモチベーションに仕事をしていたようです。
何故そこまで嫌いになってしまったのか、振り返ると、それはそれはいろいろ思うことは山のようにあるのですが、3つにまとめることができそうです。

個人的上司嫌いポイント
・聞かない
・準備しない
・調整しない


聞かない

この人は最後まで人の話を聞いた試しがありません。0.5秒待って考えればその説明がこれからあるんだなって分かるはずなのに、とにかく無駄な問いかけをします。そしてそれ以降話が脱線していることにも気づかず今議論すべきではないことに時間を費やします。相手のペースに捕まり本来話したいことを話せなくなることほど苦痛なことはありませんでした。

いいから黙って聞けや

準備しない

電話やデスクで部下に何か確認を取るとき、チームミーティングで上層部からの情報を下ろすときなど、伝えたいことを事前に簡潔にまとめることをしません。考えながら喋るがために回りくどい言い方で、それ故話が長く、余計な情報で部下を混乱させ、結局何が知りたいの?何を伝えたいの?どうしたいの?と部下が上司の真意を汲み取ることに苦労します。なぜ我々が上司の伝えたいことを頑張って引き出そうとしなければならないのでしょうか。

出直してこい

調整しない

本来であれば山ほどある仕事に優先順位をつけ他部門と折り合いをつけ、部下の仕事量を調整して欲しいのですが、この人は周りから頼まれたことは全て引き受け、自分が違和感を感じたことはそれが解消されるまで徹底的に究明させ、すなわち自分に関わる仕事には妥協を一切許しません。
思い通りの回答になるまでほころびをつぶさに指摘し、修正内容をこと細かく指示し、何故そうするのかのフィードバックも無く、そうして出来上がった思考とそれに付随する資料は、部下にとってはもはや誰のための、何のための仕事で、何故自分がこれをやっているのか分からなくなる状況に陥ってしまうのです。
会社から見れば、この人は仕事に対して真面目でやるべきことをやり通す間違いのない人のように映り、部下から見れば、玉石混交の業務をそのまま部下に割り振りそれらすべてに完璧を求めロジカルな命令を下せば人がその通りに動くと思っている、人を人と思わない人として欠陥のある機械のような人、に見えるのです。

もうお前が全部やれよ

この数年間、この上司は我々部下の時間と各々の知識見識をブラックホールの如く吸い取り、本来の職務であるフィードバックや業務調整やアウトプットは疎かで、対外関係で援護射撃どころか後ろから部下を撃ち抜き、部下の目の前の障害物はそのままに砂利を巻いて進みにくくし‥‥‥
思い出せば思い出すほど深いため息が出ます。よくあんな環境でやってたな私達、と思わざるを得ません。

でも、そんな環境に周りの同僚が疲弊し、不平不満のオーラが渦巻いている最中、私はそういうときほど「自分は違う」と思いたがる節があり、あんな人でも学べることあるはずと、めげずに向き合うことを心がけていました。
気づけば私の仕事に対するモチベーションは冒頭に述べた通りで、自分の持っている情報はすべて上司に共有し、それらの情報で判断を行うことで業務の進捗を認識させ、うまく行かない可能性の抽出とそのバックアップ策も提示し、そしてそれらの業務を最短距離で進めることを重要視し、あの人を黙らせるためにありとあらゆる策を講じました。

これらの結果、多いときは同じチームなのに2日に1回のペースで鳴っていた上司からの電話はほぼ0になり、話の途中で腰を折られることも減り、業務調整は自身で判断することが増え、だらだら喋っている上司の話を聞くことをやめてメールの返信をやり‥
そうしてこの人と喋る時間が減ったおかげで自分の時間が増え、さらに効率が上がったのです。
それまではどちらかというといい加減で大雑把で大体のことを「まあええか」精神で乗り越え、物事の表層だけ理解して深掘りすることをめんどくさがるタイプだった私でしたが、この人のお陰で自然と、以前の自分と比較してより速く、より深いところまで物事を突き詰めることができるようになっていました。


こうして整理してみると、先に挙げた嫌いポイント3点は
「自分の時間を奪われる」
という一言に収めることができ、そこから解放されるためのプロセスを経て、勝手ながら自身の成長を実感することができたのです。

私が恵まれていたのは、この元上司もまた合理的な人であり仕事として間違ったことは言わなかったことでした。ただ、その時の状況に応じた周りの人への配慮が決定的に欠けている、部下に「仕事をしたい」と思わせるのが極端に下手な人、なだけだったのではないかと思うのです。
そんな人に真摯に向き合ったものだから、最終的には彼の言葉の節々から私への信頼と感謝の気持ちが伝わってきましたし、私自身も最後の異動セレモニーの際のスピーチで、彼のもとで仕事ができて良かったと感謝の意を伝えることとなりました。


この一連の出来事の結論として、私が考えるのは

どんな環境でも考え方、向き合い方次第で得るものは変えられる

ということです。
逃げたら逃げたで得られるものはあります。
しかし、進んでもまた違うものが得られるはずです。どちらが正解かは人それぞれですが、どちらにせよ「自分の意志」で
 →進む!
 →逃げる!
を選択していきたいですね。


彼なき今、私には今燃えるものがありません。
それはこれからまた自然と出てくるのでしょうが、次はできればポジティブな感情を持って仕事に励みたいですね。

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