彼方へ
速水カナタは思い出す。
荒涼たる大地が近づいてくる。土煙が巻き上がる。不思議なぐらい静かに、探査機は着陸する。ハッチが開かれる。ウェスリー・シムズは大地に降り立つ。人類初の、有人火星着陸の瞬間。
その時カナタは決めた。少年カナタにとって、それは天啓に近かった。父親にせがむ。火星着陸VRを購入する。何度も何度も、ウェスリーの偉業を追体験する……。
過酷なミッション。試練の数々。
新世界への到達。身を焦がすような達成感。
……憧れ。
『ウェヌス三号、こちら管制室』
追憶は、通信によって掻き消される。カナタは応答した。
「こちらウェヌス三号」
『交信データの欠落を確認。状況は?』
「位相正常。バイタル正常。精神汚染なし」
『了解した。データの補正を開始する』
「OK。ミッションは継続」
探査船ウェヌス三号の船外には広がっている。
そこには完璧な漆黒だけがある。
通称「ケイヴ」。
ウェスリーが火星へと降り立った瞬間、それは太平洋上に出現した。この世界とは隔絶した位相を持つ、光無き大穴。人類は十年以上の歳月をかけて探索を続け、ついに有人探査へと踏み出していた。
「……?」
カナタは目をすがめる。
「そんな……」
漆黒の中に、懐かしい光景が見える。
『ウェヌス三号。データの欠落が連続している……』
荒涼たる大地が近づいてくる。土煙が巻き上がる。
「さあ」
カナタは振り返った。ウェスリー・シムズが微笑んでいる。
「偉大なる栄光の時だ」
『おいウェヌス三号……おい……』
不思議なぐらい静かに、探査機は着陸する。ハッチが開かれる。
「君の新世界だよ、カナタ」
声に押されるようにカナタは降り立つ。黒い太陽、漆黒の空。その下には白で染まった大地が広がっている。カナタは背後を見た。ウェスリーは、もう居ない。
ウェスリーはどうなった? そうだ。彼は火星探査の途上、忽然と姿を消した。そしてカナタには、なぜか理解できる。
「ここは……」
焦がれ続けていた。
……火星だ。
【続く】
きっと励みになります。