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本バカ一代記 ――花の版元・蔦屋重三郎―― 第九話(下)

【前回】 

         *

 朝一番、耕書堂に山ほどの荷が届けられた。山東京伝の筆禍から三ヵ月余り、寛政三年の六月も終わらんという日であった。
 紙に包まれたその品は、七月に売り出す絵――がわうた麿まろの美人画である。十枚ひと組の小箱入りで、深緑の蓋の中央に『じょにんそうじっぽん』と記した札が貼られていた。
 その蓋を開け、一枚を手に取る。仕上がりの素晴らしさに、重三郎はぶるりと身を震わせた。
「こんなに良く刷れてるとは……」
 手にした絵は、歌麿から最初に受け取った「煙草を吸う女」である。筆の線だけの絵でさえ「本物だ」と感じたが、錦絵として刷り上がってみると、さらに艶を増したように思える。
しろ刷りもいい。狙いどおりだ」
 背景に何も描かず、白うんの粉を塗る刷り方である。湯上がりなのだろう夕涼みの女、だらしない着付けで乳房が露わになった姿は如何にもだるそうだが、そこに白雲母の鈍い輝きが加わったことで得も言われぬ色香に昇華している。
「何てったって、この描き方が新しい」
 これまで美人画と言えば、押しべて総身を描き、姿の美しさを表そうとしていた。その分だけ顔の描き方は小さく、面差しに細かい筆を入れにくい。結果として全ての女が似た顔になるという難点があった。
 歌麿は、違う。人の腰から上、または胸から上だけを絵にした。それによって面差しや表情を描き分けやすくし、個々に違う女の美しさを見事に表している。歌麿が編み出したこの手法を、重三郎は「おおくび」と名付けた。
「次は『ポッピンを吹く女』か」
 細い管の先に丸いものが付いたビードロの玩具、吹くと「ぽぴん」と音がするのがポッピンである。これを吹く女の着物が良い。紅白の市松模様に、梅か桜か、薄桃色の花がちりばめられている。華やかな着物と女のすまし顔が相まって、上品で爽やかな色香が漂うようだ。しかしながら、ポッピンの管をくわえる口元にだけは、濃厚な艶めかしさがあふれている。
「いいねえ。実に、いい」
 仕上がりを確かめるつもりが、ついつい一枚ずつ味わっていた。そこへお甲が、開け放った障子の外から声を寄越す。
「おまえさん。歌麿さんの絵、届いたんだって?」
「お、来たね。見てごらんよ、やっぱり歌麿さんは本物だ」
 お甲がそそくさと部屋に入り、重三郎の左脇に座って絵を見てゆく。一枚ごとに、小さく「はあ」と感嘆の息が漏れていた。
「どの絵も綺麗だねえ。今までの美人画より色っぽいし、それに見やすいよ」
「だろ? 売れるよ、こいつは」
 本物の力を備えた絵師が、その力を余すところなく示した。この絵は皆が考える「美人画とはこういうもの」を壊し、新しい流れを作るに違いない。
 重三郎はそう確信していたし、そうなってもらわなければ困るところでもあった。身から出たさびとは言え、やはり重三郎と耕書堂にとって、山東京伝の筆禍は足枷あしかせとなっているからだ。
 鱗形屋が盗版で罰せられた折には、庶民はこの版元を酷く罵ったものだ。先代・鱗形屋まごは強引な手管もいとわなかった人で、そのために庶民受けが悪く、憂さ晴らしに使われてしまったのだろう。
 今のところ、耕書堂はそこまでの向かい風にさらされていない。それでも京伝の一件以来、知った顔に会うたび「身代半減の罰と聞いた」と言われるくらいだから、巷間こうかんにどんな噂が流れているか分かったものではない。そして確かに、商売も前年の七分目ほどまで落ち込んでいる。
 歌麿の美人画は、これを一気に覆してくれるはずだ。そう信じて七月を迎え、新刊の本と共に売り出した。
 そして、数日の後――。
「ちょっと鉄三郎さん。廊下を走るんじゃありませんよ」
 部屋の前を駆け抜けようとした手代に、重三郎は苦言を呈した。
「あんたは小僧さんたちの手本にならなきゃ。でしょう?」
「こりゃあ、すみません。でも」
 とにかく急いでいるのだという。何をそこまで慌てているのかと問えば、原因は歌麿の美人画らしい。
「朝一番で蔵から山ほど出したってのに、もう売れちまったんです。次のを取りに行くって言ったら、早くしろって、お客様にどやされまして」
「あらら。そりゃあ……うん、急ぎなさい」
 鉄三郎は「すみません」と頭を下げ、また廊下を走って行った。
 その日の商売を終えた後、改めて鉄三郎にたずねたところ、日に一度か二度はこういうことがあるという話だった。
 正直なところ驚いた。店主である以上、歌麿の絵が売れに売れていることは承知していたのである。しかしここ数日、昼の間は戯作者や絵師を訪ねて見世を空けていたため、客がそこまで熱狂しているとは知らずにきた。
「江戸っ子は新しいもの好きですからね。少し経てば幾らか落ち着いてくるとは思いますが」
 鉄三郎はそう言う。だが、重三郎の受け取り方は違った。
 江戸っ子は新しいものに目がないが、それだけであるはずがない。何しろ美人画には、当代一とうたわれるとりきよなが、今や重鎮となった北尾重政やかつかわしゅんしょうなど、名だたる絵師たちがいる。それらの売れ行きは、ここしばらく振るわないのだ。
「……そうだね。じゃあ向こう半年、売り場に並べる絵は九分目まで歌麿さんのにしましょう。他の絵は隅っこに少しだけで構わないよ。番頭さんにも言っといてくださいな」
「ええ? いいんですか? 他の先生方とのお付き合いもあるのに」
「他を売らないって訳じゃない。歌麿さんを第一に担いでくってだけのことですよ」
 完成の域に達した歌麿の絵が、それまでの美人画を根こそぎ「古いもの」に変えてしまっている。この流れ、自分と歌麿が作り出した新しい流れを、さらに強めなければ。
 その思いで、重三郎は歌麿に次の美人画を依頼した。

         *

 歌麿の美人画によって、京伝の筆禍による逆風は跳ね返せたと思って良いだろう。とは言え、それは「耕書堂にとっては」に過ぎない。当の京伝はと言えば――。
「売れてねえんですかい」
「そうなんだよ」
 年が改まり、寛政四年(一七九二)の三月を迎えたある日のこと。昨年七月の黄表紙『きゃくじんじょろう』が芳しくないことを告げるため、京伝宅を訪ねていた。
 苦言を呈しに来たのではない。耕書堂と同じように、京伝も、筆禍の一件では大いに名を下げてしまったのだ。こちらが頼んだ本で咎められた以上、以後の一作や二作が売れなくとも目を瞑るべきところだと思う。
 しかしだ。
 京伝の本が売れなくなったのは、きっと、世間の風当たり云々うんぬんが理由ではない。手鎖五十日の罰を受けてからというもの、言ってしまえば筆が鈍くなっている。訪ねて来たのは、そこを憂えてのことであった。
「ねえ京伝さん。こんなことは言いたくないんだけど……あんた、この頃びくびくしながら書いてんじゃないか?」
 ここまで書いて大丈夫だろうか。これ以上に突っ込んだ書き方をしたら、またぞろお咎めを受けやしないか。そういう躊躇い、尻込みする思いが、物語の中ににじみ出ている気がする。
「だから、お話のキレが悪い。ちゃんと読める人には見透かされちまってんだよ」
 重三郎は思う。京伝の力は本物なのだ。然るに、昨今では自らの筆に枷をめ、力の半分も出していない。戯作者と絵師の違いこそあれ、自らの絵を突き詰めようとする歌麿とは全くの逆になってしまっている。それが何とも惜しい。もどかしい。
「あんたが臆病なのは知ってたけど、これじゃあ先行きが暗い。何とか元どおりになって欲しいって、思ってさ」
 京伝は「なるほどね」と溜息をついた。
「……旦那の目は、ごまかせねえな。仰るとおりでさあ。でもね……駄目なんですよ」
 ここは、もっと大胆に書かなければ。そう思う傍から、おとなしい書き方になってしまう。苦衷を吐き出す京伝の顔は、呆けて力が抜けていた。
「どうしてもね。手鎖の暮らし、思い出しちまって」
 両手を縛られて暮らした五十日は、それほどにつらかった。
 飯を食うにも、茶碗を持てば箸を使えない。箸を使おうとすれば、妻のお咲に茶碗を持ってもらうことになる。
 風呂に入りたくても、両手をつなぐ鎖のせいで着物を脱ぐことができない。着物をたくし上げ、お咲に手拭いで体を清めてもらう毎日だった。
 最も心にこたえたのが、かわやの始末であった。小便なら、ひとりでできる。だがくそをする時は訳が違った。お咲に尻を拭ってもらわねばならない。
「……五十日の間、俺ぁ赤ん坊に戻っちまったんだ」
 をして身の自由が利かないのなら、致し方ないと諦めることもできたろう。年老いて頭が回らなくなっているのなら、何を思うこともなかったろう。
 だが違う。体の自由を奪われた上で、頭だけは常と同じに働いている。だからこそ辛かった。
 本当は、全て自分でできるのだ。自分でやらなければいけないのだ。
 なのに、妻がいなければ何もできない。何から何まで、おんぶに抱っこ。挙句の果てに、糞の面倒まで見させている。
 申し訳ない。不甲斐ない。面目ない。後ろめたい。その思いに、人としての体面、誇りを打ち砕かれてしまった。自分は、何と情けない男だろうか――。
「ねえ? そんな暮らしですよ。もう二度と……嫌なんだ。だってさあ。嫌だ……嫌だよ」
 うつろな眼差し、危うい薄笑いで声を揺らしている。重三郎は身震いして、しかし京伝に正気を取り戻してもらおうと、両の肩を摑んで強く揺すった。
「分かった。分かったから。ね? 思い出さなくていいから」
 向かい合う目が、少しずつ、少しずつ、焦点を合わせてゆく。
 じわりと、落ち着きを取り戻す。
 そして、ようやく、知っている人の顔に戻った。
「……すみません。取り乱しちまった」
「構わないさ。どれほど辛かったか、話を聞いただけで恐いくらいに分かったよ」
 本当の力を遺憾なく示して欲しい。それは、やまやまである。とは言え、今の姿を見た後で無理強いはできまい。
 どうしたら良いのだろう。自分は京伝に何をしてやれるのか。裁きを受けた後、京伝は「これからも仕事を回してくれれば」と言っていた。だが、そんな簡単な話では済まなくなっている。苦悩のあまり言葉が出て来ない。
 そこへ、障子の外から聞き覚えのない声が届いた。
「京伝さん、いいか。仕上がったのだが」
 誰だろう――重三郎の面持ちを見て、京伝は軽く笑みを浮かべた。
「ちょうど良かった。旦那んとこで次に出す本、書き上がったそうですよ」
「え? いや……どういうこと?」
 訳が分からず、目を見開いて眉を寄せる。京伝は構わず、障子の外に声を向けた。
「入んなよ。蔦重の旦那に渡してあげて」
 静かに障子が開く。作法にのっとった、品の良い開け方であった。
そこもとが蔦屋殿か。初めてお目にかかる」
 総髪そうはつまげを結った、三十路手前と思しき男だった。身のこなしと言葉、はかまを着けた姿からして武士である。卵のような顔に鷲鼻わしばなで、目は小さく鋭い。
「初めまして。耕書堂の主、蔦屋重三郎です。ええ……あなたは、どちらさんで?」
 何をどう呑み込んで良いのか、分からぬまま挨拶を返す。問いに答えたのは、その男ではなく京伝であった。
「この人は滝沢たきざわさんっていってね、俺の弟子になりてえってお侍様なんですよ」
 紹介を受け、男は改めて会釈を寄越した。
「滝沢しちろうおきくにと申す」
 戯作者や絵師には武家の者も多く、それを以て尻込みすることはない。が、滝沢の態度は多分に尊大である。そこに少しばかり嫌気を覚え、続くべき問いは京伝に向けた。
「それで、滝沢さんと京伝さんの本と、どういう繋がりがあるの?」
「俺ぁ、弟子にはできねえって断ったんですよ。でも滝沢さん、けっこういいもの書くもんで。旦那は知ってますかね。去年の正月に出た、だいえいさんじんの黄表紙」
 覚えがある。版元は和泉いずみだった。
「確か『尽用つかいはたしてきょうげん』だよね。大栄山人って人、京伝門人って話だったけど」
 まさか、と滝沢を向く。小さく頷きが返され、それに続いて京伝が口を開いた
「門人ってのは、滝沢さんが勝手に名乗ったんですよ。あの本、読みました?」
「読んだよ。まあ、お話は……」
 今まで見たところ、滝沢は武家と町人の垣根を越えられていない。思いのままに評したら怒るだろうか。とは言いつつ、本心を隠して戯作者をおだてるのは版元としての誠に欠ける。
「何てえのかね。とりとめのない、もっと言っちまえば目茶苦茶なお話だった」
 すると滝沢は、また小さく頷いた。恥じ入った面持ちである。
 少し拍子抜けしつつ、重三郎は「でもね」と続けた。
「そんなのを覚えてるのには、訳がある」
 底知れぬ、とでも言うのだろうか。この作者に物語を紡ぐ力が付けば、間違いなく良いものを書くはずだと感じた。
「使う言葉に、勢い……ってえのかな。瑞々みずみずしい力があった」
 その力は、今の京伝が失ってしまったものだ。思いつつ、口には出せない。もっとも当の京伝は自覚しているのだろう。清々した様子で応じてくる。
「だからね。俺がお話の筋を考えて、滝沢さんに書いてもらうことにしたんですよ。たった今、そいつが仕上がったって訳でして」
 京伝は滝沢に手を伸ばして書き上がったものを受け取り、そのままこちらに差し出してきた。表題は『じつきょう幼稚おさなこうしゃく』とある。重三郎はそれを手に取り、改めて問うた。
「つまり代作ってこと?」
「今の俺、こんなんでしょ? だからさ。こういうやり方、認めてくれませんかね」
 褒められた話ではない。だが、と少し考える。京伝に何をしてやれるかと言えば、これが今の最善ではないだろうか――。
 重三郎は「分かりました」と頷いた。
「認めましょう。ただし、あんたが存分に書けるようになるまで、だよ」
 京伝は何とも嬉しそうであった。
「ありがとうございます。ね、ちょっと読んでみてよ。初めのとこだけでも」
 促されて目を落とし、黙って読み進めた。
 しばし皆が沈黙する中、重三郎は稿をめくり、三枚目まで目を通す。
 そして、唸った。
「……いいね」
 滝沢が「ふふ」と含み笑いを漏らす。京伝は「でしょう?」と目を細めた。
「この人、しっかり鍛えたら、いい物書きになる気がするんですよ。俺の考えたお話を代わりに書いてもらいながら、耕書堂に奉公したらいいんじゃねえかって思うんですけど」
「え? いや。あたしのとこで奉公って。滝沢さん、お武家様なのに」
「いいじゃないですか。歌麿さんだって、旦那の見世を手伝いながら描いてたんだし。代作を認めてもらったお礼ですよ」
 以前の京伝に比べ、何とも、はしゃいでいるように思える。気持ちの浮き沈みが激しくなっているのかも知れない。だとしたら、浮き上がったものを敢えて沈めない方が良いだろうか。
 とは言え、である。
「あんたは、それでお礼になるだろうけどさ。滝沢さんは嫌かも知れないでしょ」
 京伝は滝沢に目を向け、当然の如くに「いいよね?」と笑みを浮かべた。
「そうするのが、あんたにとって一番だと思うよ。力が付いた時にゃ、天下の耕書堂から売り出してもらえるんだし」
 滝沢の面持ちは渋く、しばし無言であった。が、少しすると嫌そうに溜息をつき、重三郎に向いて頭を下げた。
「戯作の師と慕う人が、そう言うのだ。世話になろうと思うが、よろしいか」
 あまり気は進まないが、京伝に対する負い目を思えば、断る気にもなれなかった。それに滝沢の力が順当に伸びてゆくのなら、確かに一流の戯作者になれる目はある。
「分かりました。それじゃあ滝沢さん、すまないけど、うちで奉公しながら物書きの修業をしてくださいな。手代扱いで雇います」
 すると滝沢は、屈辱、という顔で頷いた。
「承知した。然らば、今日から俺は滝沢でも左七郎でもない。町人に仕えるまつな身として、きちと名を改める」
 耕書堂の手代・瑣吉となっても、滝沢興邦は尊大な態度であった。この男は後にきょくていきんを名乗り、戯作者として一世をふうすることになる。

第十話に続く〉

【第一話】  【第二話】  【第三話】  【第四話】  【第五話】
【第六話】  【第七話】  【第八話】

【プロフィール】
吉川 永青(よしかわ・ながはる)
1968年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞、22年『高く翔べ 快商・紀伊國屋文左衛門』で第11回日本歴史時代作家協会賞(作品賞)を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『ぜにざむらい』『乱世を看取った男 山名豊国』『家康が最も恐れた男たち』など。

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