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【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第三章 5/岩井三四二

(第三章 フランスの青い空)

五 

 入隊の指示がきたのは一週間後だった。
 いそいそと陸軍省に出向くと、まずはちょうとして歩兵隊にはいる、同時に陸軍飛行学校へ入校し、免許取得にはげむ。無事に陸軍の飛行免許を取得したら、少尉として飛行隊に配属される、との話だった。
「ムッシュー・ニシキオリは日本の将校ですし、フランス語が話せますから、飛行免許さえとればこちらでも将校として遇します。ただし、すぐには日本での階級だった中尉にはできませんがね」
 と担当官は言う。もちろん英彦に異存はない。その場で入隊誓約書を提出した。
 飛行学校の入校まで、さらに数日待たされた。そのあいだに英彦はパリ市内を見てまわり、また新聞やラジオで戦況を確認した。
 石造りの建物が整然と建ちならぶ市街に感心し、メトロ(地下鉄)におどろく。まさにおのぼりさんである。ところどころで爆撃で破壊された建物を見かけたが、人々の暮らしはさほど戦争の影響を受けているようには見えない。
 夜は田川と、踊り子のいる酒場に繰り出す。戦争の最中だというのに、踊り子は大胆に肌を見せるやらスカートをまくりあげて足を上げるやらで、パリの夜は明るく華麗であでやか、かつ騒々しかった。
 気になる戦況は、一進一退というより悪化しつつあった。
 西部戦線、つまりドイツの西側でのフランスとの戦いは、フランス領内にドイツ軍が侵入したまま塹壕戦となり、どちらも動けずにいた。
 しかし東部戦線──ドイツの東側での、主としてロシアとの戦い──は激しく動いていた。ドイツ・オーストリアの同盟軍がブルガリアを抱き込み、セルビアに攻勢をかけて進撃、またたくまにセルビアのほぼ全土を占領してしまったのだ。
 英仏連合軍はギリシャのサロニカというところに部隊を送り込み、セルビアを支援しようとしたが時すでに遅く、セルビア軍と政府はコルフ島に逃れるしかなかった。大正四(一九一五)年は、ドイツが主軸の同盟軍の攻勢のうちに終わろうとしていた。
 数日後、入校の指示がでたので、英彦はパリを引き払い、夜汽車にのって陸軍飛行学校のあるポーという町へ向かった。
 ポーはフランスの南西部、スペインとの国境近くにある。パリからは一日がかりだ。
 着いてみると町には爆撃された跡もなく、人々ものんびりと歩いていて、戦争中だと思わせるものは何もなかった。しかしよく見ると、西の空に飛行機が何機も飛んでいるのだった。
 馬車に乗って飛行学校へ行くと、遠くピレネー山脈の白い頂をのぞむ平原に広い滑走路があり、格納庫とバラックが整然と建ちならんでいた。
 まずはその規模におどろいた。
 ──所沢の何倍あるかな。
 敷地そのものは数倍、格納庫とバラックの数は十倍といったところだろうか。ということは飛行機と訓練生の数も、所沢の十倍なのだろう。
 なんとも盛んだなと感嘆すると同時に、日本を飛び出してきてよかったと思った。
「いよいよ本場で飛行術を学べるんだ」
 不安はあったが、期待のほうが大きい。英彦は勇んで門をくぐった。
 英彦はここに年末から三月まで在籍した。
 この学校で学んでいるのは、フランス陸軍で歩兵や騎兵、砲兵として一定期間従軍し、飛行兵に志願した上で適性試験をへて選抜された者が多かった。入学するだけですでに競争をくぐりぬけているのだが、飛行兵になるにはさらに試験を通らねばならぬという。
「飛行機という高価で最新鋭の兵器をまかせるのだから、厳しい選抜があるのは当然だ」
 という考え方のようだった。
 学生にはアジアや中東の人々もいた。フランスの植民地から来ているらしい。そのため黒い髪黒い目の日本人といっても、英彦は特別視されなかった。
 教官が威張っていることは日本とおなじだが、それでも時には冗談を飛ばし、学生と笑い合ったりすることも多く、どこか余裕が感じられた。これがフランス流かと感心したものである。
 最初にとまどったのは、操縦席に見慣れない計器がいくつかあることだった。
 日本で操縦していたモーリス・ファルマン機にはせいぜい高度計と燃料の残量計がある程度だったが、飛行学校で使ったヴォワザン機にはそれに加えて発動機の回転計と、オイルパルサメーターという、発動機に流れ込むオイルの脈動を観察して発動機の調子をみる計器、機体の傾きを示す姿勢指示器、方位を示す磁気コンパス、それに速度計もついていた。
「そうだ。ここ一、二年で計器がうんとふえた。みな安全に飛ぶためだ」
 と教官は言う。計器を見て発動機や機体の状態を知れば、無理をせずに飛ぶことができ、ひいては事故が防げるという理屈だった。
 それは、事故で落ちる機体が多いという事実の裏返しでもある。日本では陸軍が運用している飛行機は数機だが、フランスでは毎日数百機が飛んでいるから、事故も数多く起きて不思議はない。
 そうした計器にも、英彦はすぐに慣れた。慣れてしまうと離着陸と水平飛行、旋回といった基本的な飛行術は、日本でさんざんやっていたから難なくこなすことができた。
 結果としてここで学んだのは、座学による飛行の理論や航法、とくに長距離を地図などを見ながら飛ぶ地文航法、そして軍の規則のほかは、主として偵察用カメラや爆撃用照準器、レール可動式の銃架をつかった機関銃──後方の席から前方を撃てる──といった、新しい機材の使い方である。
 飛行術そのものは、水平飛行、旋回、離着陸といった基本的なことしかやらなかった。もっと最新の飛行術を学べるかと期待していたのだが、それはここでは教えないと言われた。
「飛行術は日々進化しているからな、そいつは前線の部隊で戦いながら学んでくれ」
 という方針は、とにかく多数の操縦者を戦線へ送り出さねばならない飛行学校としては、無理のないことと思われた。
 二月半ばに所定の課程を終えた英彦は、飛行免状の認定試験にのぞむこととなった。
 通れば、晴れて実戦部隊に配置されるのである。それだけに落ちる者も多く、合格するかどうかは半々だ、と言われていた。
「こんなところでくすぶっていられるか。一発で通らなきゃな」
 と英彦は自分に発破をかけた。
 試験は三種目に分かれている。
 最初は水平飛行だった。ポーの飛行場のまわりを八十分間、規定の高度で飛びつづけるのである。
 飛行高度は機体に備えつけの高度計に記録され、着陸後に検分される。八十分間飛びつづけて、高度の上下差が二百メートル以内ならば合格だ。
 簡単なようだが、八十分という飛行時間は容易ではない。
 ──まずは機体を入念に点検して、万全の状態で飛ぶことだな。
 その上で危険な雲を避け、乱気流に巻き込まれないこと。それだけ気をつければクリアできそうだ。
 当日は雲が多くて風も強く、実施が危ぶまれたが、ぎりぎり規定の範囲内ということで試験がはじまった。
 受験者は七名。つぎつぎに飛行場から飛び立ってゆく。
 英彦も飛行帽をかぶって駐機場へ向かう。
 英彦に割り当てられたヴォワザンV型機は、モーリス・ファルマンとおなじく推進式、つまり発動機とプロペラが座席のうしろにあり、空気を押して進む型の飛行機である。複葉機であることもモーリス・ファルマン機とおなじだが、乳母車のように四つの車輪で踏ん張っているところと、発動機がサルムソンの百五十馬力と強力なところがちがう。
 機体はすでにメカニシアン(整備技師)の点検を終えていたが、英彦は自身で点検にかかった。
 まずは機首側から全体をながめる。機体のゆがみも支線の切れもないと確かめると、操縦席に乗りこんだ。
 天気図や航空図などの書類を所定の位置に入れる。そして計器類をざっと見渡し、スイッチが切れていることを確認。燃料、オイルの量も目で見てたしかめる。
 操縦席からおりると、今度は車輪、補助翼、方向舵などの動く部分を確認。さらにプロペラに傷がないか、布張りの翼にほころびがないか、と順々に見てゆく。飛び上がってからしまったと思っても遅いから、念を入れて点検しなければならない。
 機体はやや古いが、飛ぶのに支障はないと見えた。
 最後に、速度計の計測器であるピトー管のおおいをはずす。
 数人がかりで機体を押して滑走路へ出すと、ふたたび操縦席に乗りこみ、発動機を始動する。音を聞き、計器類のスイッチを入れて正常に動くか見る。
 すべてよし。
 合図をして、メカニシアンたちを離れさせた。スロットルを押し込み、発動機を全開にする。背後で発動機がうなり、機体が風を切って前進してゆく。
 日本では離陸できる速度かどうかは勘に頼っていたが、いまは速度計がある。規定の速度を超えたところで操縦桿をひく。
 地面に接していた車輪の音が消え、機体は静かに上昇してゆく。
 高度計を見つつ二千五百メートルまで上昇し、そこで大きな円を描くような飛行にうつる。受験者にはそれぞれちがう高度が割り当てられているので、ぶつかることはない。
 一度、大きな雲を避けて左に旋回したとき、気流の変化で機体が押し下げられ、大きく下降したことがあった。ひやりとしたが、それ以外はあわてることもなく、八十分の飛行を終えて着陸した。
 高度計の記録を見た試験官は、
「一度だけ百五十メートル下降しているが、それ以外は数十メートルの差で、安定した飛行ぶりを示している。合格だ」
 と告げた。英彦はほっとした。
 この試験で二人が脱落した。ひとりは発動機の不調で引き返してきたのだった。運も試験の要素である。
 翌日、二種目めの筆記試験をうけた。航空理論と飛行規定、気象、それに機体の整備に関するもので、この三カ月で学んだことばかりだったため、さほどむずかしいとは感じなかった。案の定、満点に近い成績で合格した。
 受験者はここでまた一人が落ち、残るは四人となった。
 三日目、最後の試験は三点間連絡飛行である。
 ポーの飛行学校を出て東へ百五十キロほど離れたトゥールーズの飛行場へ飛び、そこから北西二百キロほどのボルドーへ、そしてボルドーからその日のうちにポーへもどってくるという、
「長い距離を飛ぶのはもちろん、航路と高度の選択、燃料の使い方、なじみのない飛行場での離着陸、そうした腕前が問われる」
 との試験官の言葉だった。
 たしかに二百キロ程度の飛行は訓練で経験しているが、トゥールーズとボルドーへ飛んだことはない。そして距離を考えると、無駄なく合理的な飛び方をしなければ、一日で回るのはむずかしいと思われた。まさに最後の難関である。
 当日の天気図、航空図と行き先の飛行場でサインをもらうための書類をわたされた。好きな時間に出て、夜までにもどってこい、という。
 すぐに出立するわけにはいかない。英彦は控え室にもどり、机に向かって天気図をひろげた。座学で教わったとおり、まずは気象の検討をする。
 地中海上に高気圧があり、大西洋のビスケー湾付近に寒冷前線が走っているが、どちらもいまのところ、飛行の障害になるとは思えない。
 飛行場の上には青空が見える。雲が空の三分の一ほどを覆っているが、視程は十キロ以上あり、雲底は千メートルとのこと。風は北西四ノット。
 ──天候は悪くない。おかしな雲に近づかなければ大丈夫だ。今日の敵は地形と機体の調子だな。
 そう頭に入れると天気図をたたみ、今度は航空図をひろげた。
 まずはポーからトゥールーズまでの航路を考える。
 およそ真東に飛んでいけばよいのだが、そのためには地上に目印がほしい。
 しかしトゥールーズまで直線を引くと、目立った山も湖もなく、低い丘と畑、そしてピレネー山脈を水源とする川が幾本も、南から北へと走っているばかりだ。目印がない。
 一直線に飛んでゆくのはあきらめて、やや南寄りに点々とある町を目印に飛んでゆくことにした。多少遠回りになるが、迷うことなく安全である。航空図に鉛筆でその航路の線を引いてゆく。
 そしてトゥールーズからボルドーへは、鉄道の線路沿いに飛べばよい。ガロンヌ川も走っているので、間違えはしないだろう。
 問題は、ボルドーからポーへの最後の航路だ。この両都市のあいだは平原がつづいていて、大きな町もあまりない。のっぺりして目印のない畑や草原の中を、時おり見える集落を目当てに進むか、それともかなり遠回りになるが、西の海沿いを走る線路と町を目当てに飛ぶか、だ。どちらも苦労しそうだが、これはボルドーへ行ってから考えようと思う。
 昨日も乗ったヴォワザンV型の機体を入念に点検したのち、英彦は離陸した。
 八百メートルまで上昇すると、進路を南東にとった。まずは最初の目標であるタルプの町をめざす。
 航空図と眼下の地形を照らし合わせ、自分の位置と向かっている方角を確かめる。いまのところ、むずかしい作業ではない。風に流されないよう、ときどき方向舵をきかせつつ東へ向かう。
 十五分ほどでタルプの町をすぎ、しばらくするとラヌメザンの町も後方へ流れてゆく。ここまでは順調だ。
 前面には低い雲はなく、高空に巻雲が見えるばかりだ。視程は十キロ以上で良好。気持ちのいい飛行だった。おそらく高気圧に向かって飛ぶ形になっているからだろう。
 一時間ほどでサン・ゴーダンの町をすぎた。あとは銀色に光る川に沿って飛べば、トゥールーズに着く。
 まずはなにごともなかったな、と安心したころ、発動機の音が乱れてきた。
 スロットルは一定にしているのに、時々音が低くなる。回転計を見ると、左右にぶれている。
「おいおい、どこがおかしいんだ。焼け付きか。冗談じゃねえぞ」
 長時間の飛行で、シリンダーのどれかが焼き付いたのではないかと思った。だがそれなら焦げ臭いにおいがするはずだが、その徴候はない。
 オイルパルサメーターを見ると、脈動がおかしい。燃料がうまく流れていないのか。
 発動機が止まってしまうのではないかと思うと、胸がざわつく。あせるうちに、トゥールーズの町が見えてきた。
「どこだ。飛行場はどこだ」
 航空図と地形を交互に見て、町の南のほうをさがす。広い空き地と、三階建ての建物、吹き流しや旗が見えた。あれだろう。
 発動機はますます乱れてきて、ぱすん、ぱすんと不発音が重なる。それにつれて速度も落ちてくる。
 英彦は降下しながら左旋回をし、滑走路へ近づいてゆく。
「おい、もう少しだ。もってくれよ」
 つい発動機に語りかけてしまった。あとは神に祈るしかない。
 滑走路へ向けて降下してゆく最中に、とうとう発動機が止まった。がくんと速度が落ち、機体もすっと落ちてゆく。
 あとは滑空するしかない。英彦は操縦桿を引き、機体をもちあげた。
「もう少しなんだから、失速しないでくれ!」
 機体が滑走路上にきた。
 降下してゆく機体の姿勢を保つことだけに注意を集中する。
 地面が迫る。五メートル、三メートル、一メートル……。
 どん、といつもより強い衝撃があり、一度は機体が跳ね上がった。しかし正常な姿勢で車輪から着地したので、再度着陸したあとはなんとかまっすぐに滑走路上を走っている。
 止まった。無事に着陸できたのだ。
 額には汗が浮き出ていた。英彦は大きな息をついた。
「まったくもう、なんて機体をよこしてくれたんだよ!」
 機体をひとつ蹴飛ばしてから飛行場のメカニシアンに見てもらう。メカニシアンは一時間ほどかけてあちこちをチェックしたあと、
「こりゃ燃料タンクから発動機へつながるパイプが詰まっているな。古い機体ではままあることだよ」
 と言う。修理と整備をたのんでおいて、英彦は濃いコーヒーを飲んで休息した。
「掃除しておいたから、もう大丈夫だ。少なくともポーへ帰るまでは詰まらないよ」
 さらに一時間以上を費やして整備してくれたメカニシアンが言う。感謝の言葉をのべておいて、さてどうしようかと考えた。つぎの目的地、ボルドーへ向かうか、ここで中止するか。
 発動機の修理と点検に二時間以上かかったので、予定よりかなり遅れてしまった。中止しても発動機の不調が理由だから、試験は不合格にはならず、延期になるだけだろう。
 常識的に考えれば中止だろうが、それでは卒業が遅くなる。
「行ってみるさ。ぶっ飛ばせば時間は稼げるだろうよ」
 発動機の故障など、ざらにあることだ。いちいち止まっていたら、戦場で使いものにならない。決断すると、飛行場の係官に試験続行を告げ、すぐに飛び立った。
 高度は八百メートル。メカニシアンの腕がよかったのか、発動機は快調に動いている。
 頭上に雲はない。視程も十キロ以上あり、気流も良好。ただしめざすボルドーの方角には、灰色の雲が低くうずくまっている。
 航路は容易に見つけられた。ガロンヌ川はほぼまっすぐボルドーに向かって流れているし、鉄道も川に沿って走っている。その上空を飛べば迷うことはない。
 ボルドーが近づくと雲がふえ、視程も五キロ程度になってきた。ボルドー市街が見えたが、目の前には白い綿を積み重ねたような積雲が立ちふさがる。
 雲を避けて降下した。雲底は六百メートルほどか。幸い、雨は降っていない。
 低空を飛び、ボルドーの飛行場に着いたときには、午後三時をまわっていた。
 係官に到着証明のサインをもらったあと、メカニシアンに点検と給油を頼んでおいて、管理官から当地の天気図を入手した。見ると、やはり寒冷前線が近づいている。まだビスケー湾上にあるが、おそらくもうすぐこのへんにも雨が降ってくるだろう。風は南東六ノットだが、南下すればもっと強くなりそうだ。
 ほかの受験者の三機は、とっくにポーへ向けて飛び立っていったという。
 このままポーへ飛ぶと、途中で雨や風にたたられ、しかも到着が夜になるかもしれない。続行するべきかどうか。
「発動機が不調で、修理に時間をとられて予定より遅れてしまいました。この場合、試験を続行すべきでしょうか」
 と係官に相談すると、
「気象と時間の判断をするのも試験のうちだから、口出しはできない」
 とすげなく断られてしまった。迷っているとメカニシアンから、
「本当に燃料を入れるのか。これからポーへ行くのはおすすめできないがね。雨が降るだろうし、夜になっちまうぞ」
 と言われた。そこまで言われたなら、ふつうは中止するところだろう。
 英彦は空を見上げた。雲がほぼ全天をおおっており、太陽のある西の方角だけが光っている。
 なにやら空に誘われている気がした。
「燃料、入れてください。すぐに出発します」
 と言うと、メカニシアンが顔色を変えた。
「おい、正気か。テスト生の腕前では無理だろう」
「いや、夜間着陸の訓練もやってるんでね」
 実際、所沢で何度か試みたことがある。ただし滑走路にずらりとあかりをならべたりと、万全の準備をしておいての話だが。ポーではそこまでしてくれないだろう。それでも不安はさほど感じず、行きたいとはやる心が勝っている。
「どうなっても知らんぞ」
 メカニシアンは呆れ顔になりつつも、給油をするために駆けていった。
ばんずいいんちょう兵衛べえじゃねえが、恐がって逃げたとあっちゃあ、名折れになるからな。行くしかねえ」
 とうそぶきつつ大急ぎで給油をし、パンとチーズをカフェオレで胃袋に流し込むと、ボルドーの飛行場をあとにした。
 航路も、迷うところだった。ボルドーからポーまでの最短距離を飛ぼうとすると、そこは一面の平原で、代わり映えのしない畑と林ばかりがつづいていて目印に乏しい。一方、西の海岸寄りに飛べば線路があるが、かなり遠回りになる上、雨雲に近づいてしまう。降雨の中を飛びたくはない。
 時間も考えて、最短距離を飛ぶことにした。磁気コンパスを頼りに方向を決め、わかりにくい小さな集落を目印にするしかない。
「ひとつぶっ飛ばしてやるか。あ、いや、落ち着いて飛ぶんだ。失敗は許されねえからな」
 と機上で自分に言い聞かせた。日暮れまでにはまだ時間がある。計算通りに飛べば、薄暗い程度の時間にポーに着くはずだ。ただし少しでも遅れれば、夜間着陸というむずかしい技に挑戦しなければならなくなる。
 相変わらず雲が低い。高度五百メートルを保って飛ぶ。眼下には畑と林ばかりが見える。
 いくらめざす方角が正しくても、風があれば流されて、航路はだんだんとずれてゆく。修正しつつ飛ばねばならないが、風力がわからない。地上の木々のなびき方を見て推測するのだが、正しいという保証はない。
 一時間半ほど飛ぶと、右手に積乱雲が迫ってきた。雨柱が立っているのが見える。あれには巻き込まれたくないと思った。
 幸い、雨雲はさほど大きなものではなく、脇を通りすぎることができた。
 そろそろ中間点にある大きな町、モン・ド・マルサンが見えるころだが、それらしいものはない。
 風に流されて、想像以上に航路がずれているのか。それとも計算ほどには距離をかせいでいないのか。ひやりとした。
 高度をあげて眺めたいが、雲が低くて上がれない。
 思い切って、上が明るい東の方へ航路を変えてみた。南東の風に押されて、航路が西へ片寄っているように思えたからだ。同時に、これで高度があげられるようになったので、千二百まで上昇した。
 さらに十分ほど飛んだところ、赤い屋根が重なる市街が見えてきた。モン・ド・マルサンか。
 近づくと、ふたつの川の合流点に石造りの建物が密集しているのが確認できた。モン・ド・マルサンにちがいない。
 航路が正しいことはわかったが、となると当初の計算よりざっと二十分以上遅れていることになる。
 ──風が思ったより強いようだな。
 風に吹きもどされて、計算通りに距離を稼げていないのだ。
 モン・ド・マルサンの上空を通過した。ポーまではあと五十キロほどだ。太陽は西の低いところにある。日没までは一時間ほどだ。
 暗くならないうちに着陸したい。速度をあげた。
 雲が多くなってきた。ヴォワザンV型機はちぎれ雲のあいだを縫うように飛ぶ。
「寒冷前線のお出ましか。ずいぶんと速く移動しているんだな」
 ボルドーで見た天気図といまの気象は、かなりちがうようだ。やはり飛行を中止すべきだったかと思ったが、もう遅い。
「ええい、荒れるなら荒れやがれ」
 でんと浮いている大きな積雲を避けて左に旋回し、また方向をもどす。と、前方に巨大な積乱雲が見えた。高さは一万メートル以上ありそうだ。底は数百メートルか。下のほうは暗く、雨が降っているらしい。
 しまったと思った。ポーは、あの雲の下ではないか。
「くそっ、ひでえことになった」
 飛行場に着陸するには雨の中を飛ぶことになるが、それはできれば避けたい。飛行機は雨が苦手だ。とくに雨の中の着陸はむずかしいとされる。英彦も経験がない。
「旋回しつつ、積乱雲が消えるか通りすぎるのを待つかね」
 いや、それでは日が暮れる。それに燃料もそれほど残っていない。
 ほかの飛行場へ回ろうかと考えたが、それでは試験に通らないだろう。自問した末に、
「ええい、しょうがねえ。逃げるわけにゃいかねえからな」
 と腹を決めて雲の下に突っ込んでいった。
 思ったとおり雨、それも大粒の雨が強く降っていた。
 操縦席に降り込んできた冷たい雨で、たちまち全身ねずみになった。しかも気流が悪く、機体が上下に揺さぶられる。視程は三百メートルもあるだろうか。
 雨で煙って地上が見えない。やむなく降下した。地上二百メートルでやっと畑や森が見えるようになった。
 幸いなことにここまで来ると、練習でよく飛んだ場所だけに、モザイクのような畑のパターンや道路の通り具合が記憶にあった。
 頭の中の地図を頼りに飛びつづける。あと五分ほどで飛行学校だ。
 広い空き地が見えてきた。バラックが整然と並んでいる。
 やっとたどり着いたとほっとしたが、まだ着陸という難物が残っている。
 飛行場のまわりを一周してみた。当初は無人だったが、半周もしたころ、バラックから人が出てくるのが見えた。雨の中を着陸しようとする機におどろいて出てきたのだろう。
 雨は沛然はいぜんと降りつづき、すべてのものの姿をぼやけさせている。風に押される機体をあやつりながら、滑走路へ向かう。機体の高度が体感としてつかみづらい。
 発動機を絞り、降下してゆく。川のようになっている滑走路が異様な速さで迫ってくる。どきりとした。雨で高度を読み誤ったようだ。もっとゆっくり降りなくては。あわてて操縦桿を引いた。が、遅かった。
「うわっ南無三宝、神さま仏さま!」
 思わず叫んだのと同時に、機体はどすんと地面に落ちた。一度跳ね上がって、すぐにまた衝撃がきた。失敗したかとつぎにくる破壊的な衝撃を覚悟したが、それはなかった。機体はしばらく滑走したのち、あっさりと止まった。
 ヴォワザン機独特の乳母車のような配置の四つの車輪は頑丈で、無理な着陸の衝撃を受け止めてくれたのだ。
 バラックの軒下から人が駆け寄ってくるのが見えた。
「ああ、こっちは大丈夫だ。ジュ・ヴェ・ビアン」
 英彦は操縦席から手をふって、身の安全を伝えた。これで試験はクリアした。いよいよ戦場へ出られると思ったが、想像したほどには喜べなかった。ただ濡れて冷えた体をなんとかしたいとばかり考えていた。

次話に続く)

【前回】

プロフィール
岩井三四二(いわい・みよじ)
1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」で第64回小説現代新人賞を受賞し、デビュー。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』、『絢爛たる奔流』、『天命』『室町もののけ草紙』『「タ」は夜明けの空を飛んだ』など著書多数。

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