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【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第三章 4/岩井三四二

(第三章 フランスの青い空)

四 

 マルセイユに上陸した英彦は、つづいて夜汽車にのり、パリに向かった。
 翌朝パリのリヨン駅に着くと、小雪がちらつく寒風の中で、大きなトランクを抱えて駅前広場を右往左往したのち、タクシーに乗った。フランス語が通じるかどうか心配だったが、タクシーの運転手は英彦の言葉を聞き返すこともなく、すぐに運転をはじめた。
 宿は船中の評判を頼りに、日本人が多く寄宿しているというセーヌ川左岸にあるトゥーリエ街の下宿屋に決めていた。
 到着した下宿屋でもちゃんと会話が成り立ち、無事に部屋を確保できた。
「よしよし、ちゃんと通じるぞ。勉強ってのは、しておくもんだあね」
 新聞を見ても、内容はだいたい理解できる。英彦は自分のフランス語の能力に自信をもった。
 翌日、日本大使館で滞在者として所定の手続きをし、同時に陸軍の駐在武官に面会を申し入れた。
 少佐だという武官が出てきたので、仏陸軍に入隊するつもりだと話すと、武官は一瞬おどろいた顔をしたが、
「まあ海軍では磯部少佐の前例もあることだし、陸軍でもいずれそういう者が出てくるだろうとは思っていたよ」
 と微笑しつつ理解してくれた。磯部少佐はすでに仏陸軍入隊の手続きを終えたという。
「仏陸軍のようす、とくに飛行隊のようすはどんなものでしょうか」
 この際にと思って問うと、
「あまり振るわないようだな。ドイツ軍に押されておる。飛行隊も、ずいぶんと撃ち落とされたようだ。飛行機に関しては、どうもドイツのほうが数が多く、技術もすすんでいるらしい」
 予想はしていたが、なかなか厳しい答が返ってくる。しかしそれが実情のようだ。
「パリも空襲があってな、いまはちょっと静かになったが、去年の冬あたりはかなり寝不足になった」
 と言ってちらりと懐中時計を見た。そして最後は、
「仏陸軍となるとこちらはなんの手助けもできないが、時には武勇伝を聞かせに寄ってくれよ」
 と冗談交じりで締めくくられ、大使館から送り出された。
 英彦はその足でフランス陸軍省に向かい、入隊の志願票を出した。飛行機の操縦ができるというと、係官の表情が明るくなったから、断られることはないと安心した。
 無事に受付がすんだので、あとは入隊の指示を待つだけとなる。
 ここにいたって気が抜けたのか、英彦は重い疲労感におそわれた。立っているのもつらくて、下宿で二日間、こんこんと寝入る羽目になった。
「大丈夫ですか。おかゆでも作りましょうか」
 と心配してくれたのは、同宿の日本人で、がわという画家だった。戦争がはじまる前に絵の勉強にパリにやってきて、そのまま居残っている男だ。世話好きなようで、明るく声をかけてくる。
「いや、それにはおよびません。旅の疲れでしょうから、寝ていれば治ります。飯も、パンとハムでなんとかなります」
「そうですか。ま、いよいよ重症になれば日本せきじゅう社が病院を開いていますから、そこにつれていってあげますよ。戦争は物騒ですが、おかげでありがたいものができました」
 フランスから日本政府への救護員派遣の要請にこたえる形で、この春、凱旋門にほど近いホテルを借り上げて、日赤にっせき病院が開設されていた。医師と看護婦らあわせて日本人二十九名が勤務しているという。
「ああ、そいつは日本で新聞で読みました。評判はどうですか」
「悪いわけないよ。それどころか戦時病院の模範だともちあげる筋もあるくらいだ」
「それは心強いですね」
 そんな話の中で、英彦はたずねてみた。
「ところで、滋野男爵をご存じないでしょうか。フランス陸軍に入隊したそうですが」
 あまり期待はしていなかったが、意外にも、
「男爵ですか。知ってますとも。来るときに一緒の船でしてね。パリでもたまに会っていますよ」
 との返事だった。
 あまりに簡単にツテが見つかっておどろいたが、考えてみればフランスの日本人社会はせまいから、知り合いが近くにいたからとてさほど不思議でもなさそうだ。
「男爵には陸軍で飛行術を教えてもらいました。フランス陸軍でも先輩になりますから、ぜひお目にかかりたいのですが」
「それならちょうどいい。男爵は少し前まで入院していましてね、いまパリにいます」
 入院とは何ごとかとぎょっとしたが、戦争で負傷したわけではなく、胃けいれんの療養だという。いまはホテルから飛行場にかよっているとか。
 さっそく連絡してもらうと、明日の晩にでも会おうという返事だった。
 ──まったく、なにからなにまでとんとん拍子だな。
 気分がよかった。軍を辞めるときからここまで、障害らしい障害もなく物事が運んでいる。案ずるより産むがやすし、か。それとも、情熱と決断の前には神仏の加護があって、おのずと運が開けてゆくのか。やはり思い切ってフランスへ来たのは、間違いではなかったと思った。
 翌日、滋野男爵は田川の下宿にやってきた。
「やあお久しぶり。元気なようで、何より」
 にこやかに言う男爵は、少々やせて顔色も悪くなっているように見える。
「ご活躍を聞いて、矢もたてもたまらずフランスまで追いかけてきてしまいました」
 と正直に話すと、男爵は苦笑いしている。
「いったい日本の新聞にどんな書かれ方をしたのかな。ただこちらでピロット(操縦士)として戦っているだけなのに」
 聞いてみると、男爵の活躍を聞いてフランスに駆けつけてきたのは、磯部元少佐のほかにも何人かいるという。英彦はちょっとおどろいた。
 田川の部屋で、薄切りの牛肉と野菜を醬油で味付けしてすき焼きのようにした夕食に舌鼓を打ちながら、話はなごやかに進んでゆく。
「なるほど、ルンプラーを相手に日本初の空中戦ですか」
 青島での陸軍飛行隊の活動を話すと、男爵はうなずきながら聞いていて、
「それが去年なんだ。いまの空中戦と隔世の感があるね」
 と感想をのべる。
「そんなにちがうのですか」
 英彦としては気になるところだ。
「こちらでは、もうどんな飛行機も機関銃を積んでいるし、爆弾も専用のものが造られているね。敵と出会ったら最後、どちらかが撃ち落とされるまで戦いがつづく」
「ああ、やはりそうなっていますか」
 戦争が長引くあいだに、飛行機の戦いもずいぶんと激しくなっているのだ。
「飛行機もずいぶんと変わってる。モーリス・ファルマン機はもう練習用くらいしか使っていないんじゃないかな。ヴォワザン、コードロンも古くなりつつあるが、まだ偵察と爆撃なら使ってる。こちらであなたが最初に乗るのは、たぶんどちらかだ」
 聞き慣れない飛行機の名を聞いて、英彦はとまどった。
 男爵が言うには、フランスでは戦争の前後から飛行機製造会社が多数できて、それぞれに個性的な飛行機を造っているという。軍にもいろいろな飛行機が納入されていて、その名をとってコードロン中隊とかヴォワザン中隊というように呼ばれているとか。
「で、男爵はいまどんな隊に所属しておられるのですか」
「ぼくかい。いまはヴォワザン24中隊だ」
 二人乗り複葉機のヴォワザンV型という機体で、入院するまで偵察と爆撃に出ていたという。
「こいつはファルマン機と見た目はさほど変わらないが、あつかいやすいし頑丈で、速度なども一段上だよ」
 空中戦も何度も経験した。そして敵機を撃墜し、レジオン・ドヌール勲章も得たというから、英彦はおどろくばかりだった。やはりこの人はどこか普通ではない。
 いまの飛行機の特徴や操縦法などを教えてもらううちに、夜が更けてゆく。
「それにしても、ここまで不思議にもほとんど困難にあわず、とんとん拍子で来ることができました」
 と、男爵の話が一段落したとき、上機嫌になった英彦は告げた。
「フランスへ行こうと思い立ったときには、どんな困難が待ち受けているのかと胸がふさがる思いでしたが、いざ実行してみたら、どこの関門もすんなりと通れました。やはり信念をもってすれば、道は開けるのだと思いましたね」
 聞いていた男爵はにやりと笑い、
「そりゃそうだよ。フランス軍が関門なんてもうけるはずがない」
 と言う。
「だって日本人がフランスへきて飛行機乗りになったところで、何の利益もないからね。むしろ持ち出しになるばかりだ」
 その通りだ、と英彦はうなずく。
「なのに来てくれる。フランス軍はをして、いらっしゃいませ、と言っていればいい。奇特にも遠いところまできて、わざわざ命を差し出してくれてありがとう、と思っているだろうさ」
 おや、そういうものかと苦笑しながら聞いていると、男爵は英彦をつか見詰めて、突き放すように言った。
「覚悟しておくがいい。飛行隊で毎日どれだけの死人が出ているか。聞けばびっくりするよ。まあ、それでも飛びたいという者は跡を絶たないけどね」
 フランス万歳、ドイツの豚野郎に死を、だ、と少し酔った男爵は大きな声を出した。

次話に続く)

【前回】

プロフィール
岩井三四二(いわい・みよじ)
1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」で第64回小説現代新人賞を受賞し、デビュー。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』、『絢爛たる奔流』、『天命』『室町もののけ草紙』『「タ」は夜明けの空を飛んだ』など著書多数。

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