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おかえり ~虹の橋からきた犬~ 第十四話/新堂冬樹

【前回】 

 シェパードとテリアのミックスのメルシーと小武蔵が、一メートルほどの棒の左右の端をくわえ、人工芝を全速力で駆け回っていた。
 瀬戸はクラウドファンディングで募ったお金で、「セカンドライフ」から五十メートルほど離れたビルの地下室に人工芝を敷き詰め、屋内ドッグランを作っていた。
 ビルのオーナーが愛犬家で、レンタルスペースに使われていた三十坪の地下室を、屋内ドッグランに改造させてくれたのだ。
「セカンドライフ」にきたばかりの頃のメルシーは人間不信で、スタッフにも他の犬にも心を開かなかったが、三年ったいまはフレンドリーで人懐っこい性格になった。
「セカンドライフ」の保護犬の顔触れも変わった。
 後肢に障害のあったゲンコツは去年、シニア犬のフブキとサクラは一昨年、虹の橋のたもとに行った。
 小型犬のモナカ、マカロン、バニラは、それぞれ里親に引き取られて幸せな生活を送っている。
 メルシー以外に三年前からいる保護犬は、中型犬のワイルドとミルクだけだった。
「こらこら、長老、アンコ、仲良くしなさい!」
 菜々子は、取っ組み合いをする七歳のシュナウザーの長老と八歳のフレンチブルドッグのアンコの間に割って入った。
 長老とアンコは普段は仲良しだが、じゃれ合っているうちにエキサイトしてけんに発展することが多々あった。
 ちなみに、長いひげと眉毛が長老みたいだということと、丸々と肥えている姿がアンコ型の力士みたいだというのが、それぞれの名前の由来だ。
 ポインターの三兄弟で九歳のラオウ、ケンシロウ、トキは、瀬戸と追いかけっこをしていた。
 ポインターは猟犬なので、運動量が並外れていた。
 ドッグランにきて一時間あまり、瀬戸はポインター三兄弟とほぼ休憩なく動き回っていた。
 三頭は秋田県でちょう猟犬として活躍していたが、シニアになり脚力や嗅覚が衰えたという理由で山中に捨てられていたところを、保健所の職員が保護して瀬戸が引き取ったのだった。
 三兄弟は瀬戸と出会えてまだ幸いだったが、飼い主の後を追えないように肢を切り落とされたり木にくくり付けられたりする猟犬も多いという。
 そういう話を聞くと、どんな動物よりも人間は残酷な生き物だと菜々子は思った。
義姉ねえさん、三年前といまと、お兄ちゃんのイメージ変わった?」
 麻美が、瀬戸を視線で追いながら訊ねてきた。
「ううん、ちっとも。出会ったときと同じで、優しくて、穏やかで、強くて……なにも変わらないわ」
 菜々子は、小武蔵に導かれるままに初めて「セカンドライフ」を訪れたときのことを脳裏によみがえらせた。
 保護犬達に注がれるまなしも接しているときの微笑みも、あのときと同じだった。
「なにそれ? つまんないな。なんかないの? 食べ物の好き嫌いが多いとか、思ったより子供っぽいところがあるとか?」
 麻美が、好奇に満ちた眼を菜々子に向けた。
「そういう意外な面も含めて、あの人の魅力ね」
 菜々子は、はにかみながら言った。
「まあ! のろけられちゃった!」
 麻美が大袈裟に眼を見開き、まじまじと菜々子をみつめた。 
 つか、二人は見つめ合ったのちに競い合うように噴き出した。
 メルシーと棒遊びをしていた小武蔵が、二人の笑い声を聞きつけ駆け寄ってきた。
 いきなり置いてきぼりを食ったメルシーが、棒をくわえたまま立ち尽くしていた。
「ほら、急に遊びをやめたから、メルシーがびっくりしてるでしょ?」
 菜々子は、体当たりしてきた小武蔵の顔を両手で挟んだ。
「小武蔵ちゃんは、いつまで経っても遊び盛りのパピーみたいにやんちゃね」
 麻美が、尻をくねらせ菜々子の手から顔を外そうとする小武蔵を見て笑いながら言った。
「まったくよね~。大きなやんちゃ坊主なんだから」
 菜々子が小武蔵の鼻にキスをすると、くねらせていた尻の動きをピタリと止めた。
「真岡動物病院」の前に捨てられていたときに四歳だった小武蔵も、七歳のシニア期に入った。
 佐久間の小武蔵誘拐事件から三年の間に、いろんな変化があった。
 菜々子の子宮けいがんは一昨年完治し、再発もなく二年が過ぎた。
「セカンドライフ」はスタッフが二人加わり、五人体制となった。
 屋内ドッグランのクラウドファンディングの残金と「セカンドライフ」の収益で、三軒さんげんぢゃに新たに三十坪の物件を契約した。
 年内には「セカンドライフ二号店」を出す予定だった。
 二号店を出せばいまの倍……新たに十頭の保護犬の命をつなぐことができる。
 そして一番大きな変化は……。
「大声で笑って、僕の悪口でも言ってたのか?」
 ポインター三兄弟を引き連れ、瀬戸が歩み寄りながら言った。
「まさか! お兄ちゃんは食べ物の好き嫌いもなく、イメージ通りの素敵な大人の男性でしょう? って話してたのよね?」
 麻美が、菜々子にしらじらしい口調で同意を求めてきた。
「え? ああ、まあ……」
 菜々子は苦笑して、曖昧にごまかした。
「あ、菜々子は夫より妹の肩を持つんだ」
 瀬戸が、冗談っぽくねてみせた。
「女子の結束力を、舐めたらあかんぜよ!」
 麻美がおどけて、名作映画のセリフでたんを切った。
「まいったな。これで将来女の子が生まれたら、完全アウェーになっちゃうな」
 瀬戸が頭をかきながら、顔をしかめた。
「ところで義姉さん、そろそろ離してあげれば?」
 麻美が、菜々子に顔を挟まれたままの小武蔵に視線をやった。
「あ! ごめんごめん! 苦しかったでしょ?」
 菜々子は、慌てて小武蔵から手を離した。
 小武蔵が、体を小刻みに震わす柴ドリルを連発した。
「改めて、ありがとうね」
 菜々子は、小武蔵の頭を撫でながらしみじみと言った。
「いまの私があるのは、あなたのおかげね。命を助けてくれて、天職を与えてくれて、素敵な人と出会わせてくれて……」
 菜々子は、小武蔵から瀬戸に視線を移した。
「ごちそうさま~!」
 麻美が冷やかすと、瀬戸がまで赤く染めた。
「話は変わるけど、義姉さんはさ、小武蔵君がちゃちゃまる君の生まれ変わりだと思ってるの?」
 麻美が、思い出したように訊ねてきた。
「そうね……以前はそれがすごく気になったんだけど、いまは、どっちでもいいかなって。茶々丸の生まれ変わりであってもそうでなくても、小武蔵が私のそばにいてくれるだけで十分よ」
 菜々子は小武蔵を抱き締め、背中から脇腹にかけて優しく撫でた。
「これからも、ずっと私と一緒に……」
 菜々子は、小武蔵の体を撫でる手の動きを止めた。
 腹部を撫でたときに、てのひらになにかが触れたような気がしたのだ。
 まさか……。
 いや、そんなことがあるはずはない。
 これは、錯覚に決まっている。 
 菜々子は己に言い聞かせ、もう一度小武蔵の腹部を触った。
 眼を閉じた。
 頭の中が、真っ白に染まった。

 (第十五話に続く)

プロフィール
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
小説家。実業家。映画監督。98年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から、“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『ASK トップタレントの「値段」(上・下)』『枕アイドル』『極悪児童文学 犬義なき闘い』『虹の橋からきた犬』(全て集英社文庫)など、著書多数。芸能プロダクション「新堂プロ」も経営し、その活動は多岐にわたる。

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