【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第三章 1/岩井三四二
第三章 フランスの青い空
一
大正四(一九一五)年の正月元日に、陸軍臨時飛行隊は所沢へ凱旋した。
町は祝勝ムード一色で、隊員の乗る汽車が駅につくと盛大に花火があがった。隊員たちは小学生の音楽隊に先導され、沿道の家々に提灯が灯される中を飛行場まで行進した。飛行場で町長の祝辞に隊長が答辞を返すあいだにも、旗行列が町を練り歩くという、まさにお祭り騒ぎだった。
「いくさに勝つってのは、いいもんだな」
と隊員たちは言い合ったものだった。
そののち休暇をもらって羽根を休めた隊員は、正月明けには通常勤務にもどり、また訓練と教育の日々を送りはじめた。
しかしここで英彦は、徳川大尉ら幹部たちと言い争うことになった。
「今後は、爆撃と銃撃を主とすべきであります。青島ではずいぶん苦労しました」
と主張する英彦に対し、幹部らは、
「飛行機の主任務は偵察だ。爆撃はなかなか標的に当たらず効果を計算できないし、銃撃にいたっては適当な機材がないではないか」
と言うのである。英彦も言い返す。
「当たらないからこそ、照準器を工夫して当たるようにすべきでしょう。銃撃にしても機体の適当なところに機銃を取りつければ、敵の飛行機を撃ち落とすことができます」
青島で苦しい空中戦を演じた身としては、まずは機材をそろえてくれと声を大にして要求したかった。
だが幹部たちは消極的だった。第一に予算がない、という。さらには、下手に機体を改造して飛べなくなったりしたら、それこそ懲罰ものだ、と。
「陛下からお預かりしている大切な飛行機を、見通しもなく改造するわけにはいかん」
という幹部たちは、新しいことに興味を示さず、とにかくこれまでの延長上の訓練を推しすすめたがって、声の大きい英彦は煙たがられがちだった。
そして帰国後にひかえる最大の行事が、所沢・大阪間の長距離飛行だった。
およそ五百キロの距離をひとつの機体で飛ぶ試みは、たしかにこれまでやったことがない。長距離を安定して飛ぶのは、飛行隊にとって必要な能力でもあるし、同時に世間に陸軍の飛行隊を披露することにもなる。「航空思想の普及」にももってこいである。
昨年から企画されていたが、青島への出征によって延期されていたということもあり、幹部たちは前のめりになっていた。日々の訓練も長時間の飛行に重点がおかれた。
「それはそれとして、銃撃や爆撃の訓練もすべきでしょう」
と訴えても、うるさがられるばかりだ。
やむなく英彦は、長距離飛行の訓練をすると言って飛び上がっては、秩父方面の山奥へ向かった。飛行場から見えないところまでくると、上昇や降下、旋回といった空中戦を想定した飛び方を繰り返し試行した。
飛行機と飛行機の戦いとなれば、逃げる敵機を追うために素早い動きが必要になる、と思ったのだ。
──本当は二機でやってみたいが。
相手がいないと、どれほど効果的な飛び方をしているのかわからない。虚しさを感じることもあった。とにかく新しく、実用的なことをしてみたくてたまらないが、部隊ではそうしたことは冒険として嫌われるようだ。
そうして一月がすぎていった。二月にはいったある日の朝、飛行場へ出勤してみると、同僚たちが控え室の机のまわりにあつまってにぎやかに話していた。
「よう、どうした」
と声をかけると、みな机の上にある新聞を指さすではないか。
「男爵ですよ。ほれ、滋野男爵。フランスですって」
と武田中尉──少尉から昇進していた──が教えてくれたが、それだけでは何のことやらわからない。英彦は新聞をのぞきこんだ。
「なんだこれは!」
記事を読んだ英彦は、思わず声をあげた。そこには、
飛行家滋野男爵 仏国陸軍大尉となる 異域に匂う大和桜の勇姿よ
とあった。滋野男爵が、フランスで従軍したというのだ。もちろん飛行機乗りとして、である。
「なぜ日本じゃなくてフランスなんだ。なんで民間じゃなくて軍なんだ!」
話があさっての方角に飛びすぎていて、わけがわからない。
「男爵はフランスになじみがあるし、あちらはまだ戦争がつづいていて、しかもドイツに攻め込まれているから大変だ。従軍してくれるのなら、誰でもいいのでしょう。しかも男爵は飛行機乗りとしての腕前は抜群だし」
と武田中尉は言う。そうかもしれないが、はたしてフランスでは誰でも軍隊に入れるのか。日本では考えられない。首をひねるばかりだ。
滋野男爵は、青島攻略戦がはじまる前に研究会の御用掛を辞していた。
自由の身になって民間の飛行会社を立ち上げるとの話だったが、徳川大尉にうるさがられて辞めざるを得なくなった、とも言われている。徳川大尉としては、自分よりはるかに技量が上で、しかも操縦訓練生たちのうけもいい男爵がいては、指導者としてやりにくいだろうと英彦も感じていたから、そのうわさに納得したものだった。
「まあ、あの人のことだから、何があっても不思議ではないがな」
「そうですよ。音楽家で飛行機乗り、しかも軍人に教えるほどの腕前。なおかつ男爵で、貴族院に立候補しようかという器量の持ち主ですからね」
そもそも常識では測れない男なのだ。
「おい、なにをしている。演習をはじめるぞ」
と徳川大尉が控え室に乗りこんできたので、操縦将校たちは部屋を出て滑走路に向かい、滋野男爵の話題はそのままになった。
英彦は、やはり上昇、降下、旋回の練習をつづける。そして地上にもどると、モーリス・ファルマン機に機関銃をつけようと、改造の図面をひく作業にかかった。
すでに一機のモーリス・ファルマン機には、機首の方向舵を取りはらって銃手座をもうけ、ルイス式機関銃一丁がとりつけてある。青島の実戦で得た教訓を取り入れて改造したものである。
たしかに機関銃が撃てる機体だが、これでは二人乗りになる。青島でルンプラー機とやりあった経験から、敵の飛行機と戦うには一人乗りのほうが有利だとわかっていた。だから一人乗りで、なおかつ前方に機関銃が撃てるよう、主翼の上か操縦席の脇に機関銃を据えつけられないかと、英彦は機体の構造を調べていった。
一方で所沢から大阪までの長距離飛行計画も、着々と実施に向かっていた。
五百キロの距離を一気に飛ぶのは無理なので、一日目は静岡の練兵場まで飛んで休憩、給油して名古屋まで飛び、やはり練兵場に着陸する。
そこで一泊すると二日目に名古屋を発って大阪に至る。そして帰路もおなじ航路をたどるが、操縦手は替わる。
出発は二月二十三日と決められた。使う機体はモーリス・ファルマン二機である。
英彦は当然、自分も操縦手に選ばれると思っていた。徳川大尉をのぞけば英彦は陸軍の中でもっとも飛行時間が長い操縦手になっていたからだ。そして今回、徳川大尉は指揮官になって操縦はしない。
だが、徳川大尉が発表した操縦手の中に、英彦の名はなかった。
「往路は沢田と阪元、帰路は真壁と武田だ。成功を祈る」
とだけ言われて、英彦は呆然とするしかなかった。
なぜはずされた?
爆撃と銃撃の訓練を主張して、幹部連中に逆らったためか?
それくらいのことで敬遠されるのか。今後の飛行隊のためを思って提言したのに……。
そこへ武田中尉が寄ってきてささやいた。
「気をつけたほうがいいですよ。研究会から追い出されるかもしれませんよ」
「なんだと!」
「いや、徳川大尉が上の方と話し合っているらしいです。操縦将校もかなりふえてきたので、少し整理が必要だと。飛行機はふえないのに、人ばかりふえても仕方がないって」
「それで、おれが出されるのか」
「いや、一期生はみな危ないみたいで。お互いに気をつけましょう」
英彦は目を見開いたまま、返事もできなかった。
(次話に続く)
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