恩田陸の最新長編『スキマワラシ』、第一章を全文公開!④
恩田陸さんの最新長編『スキマワラシ』が先日発売されました。
白いワンピースに、麦わら帽子。
廃ビルに現れる都市伝説の“少女”とは――?
本作は、古道具屋を営む兄と、物に触れると過去が見える能力を持つ弟が、不思議な少女をめぐる謎に巻き込まれていく、ファンタジック系ミステリー小説です。
本書の魅力を広く伝えるべく、第一章を一日おきに全文公開していきます。
夏の読書のきっかけに、ぜひご一読ください!
恩田陸『スキマワラシ』(集英社)
定価:1800円+税
ISBN:978-4-08-771689-4
装丁:川名潤 装画:丹地陽子
<前回 試し読み③はこちら>
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スキマワラシ?
僕はもう一度手を止めて、兄を見た。
なにそれ?
この時が、初めて「スキマワラシ」という単語を耳にした瞬間だった。もちろん、それまでに聞いたことのない単語である。
スキマワラシって言った? ザシキワラシじゃなくて?
僕はそう聞き返した。単に、何か別の単語を聞き間違えたのかと思ったのだ。
しかし、兄は否定した。
ううん、スキマワラシ。ザシキワラシは、家につくものだろ。
ザシキワラシ。座敷童子。その単語についての僕のイメージは、かつて絵本か何かで読んだ、実にステレオタイプなものである。
大きな民家(イメージでは、東北の農村にある、立派な梁はりのある広いお屋敷だ)があって、中のお座敷で着物を着た子供たちが遊んでいる。
ふと気がつくと、いつのまにか子供が一人増えている。でも、それがどの子なのかは指摘することができない。しばらく一緒に遊んだけれど、帰り際になると、いなくなっている。
他の子供たちと、帰り道に話す。
さっき、あの座敷にもう一人いたよね?
誰もが「いた」と言う。しかし、その顔は決して思い出すことはできない――。
ちょっと不気味で不思議ではあるが、座敷童子はラッキーな存在だったはずだ。座敷童子の棲みついた家は、繁栄するという。逆に、座敷童子が出ていってしまうと、家業が傾き、没落する、という話も聞いたことがある。
座敷童子は、男の子なのか女の子なのか?
そんな疑問が浮かんだが、僕の中のイメージとしての座敷童子は、おかっぱ頭のふっくらしたほっぺたの子で、男の子にも、女の子にも、どちらにも見える。
じゃあ、スキマワラシは何につくの?
僕はそう尋ねた。
スキマワラシ。漢字だと、隙間童子、か。
唐突に、奇妙なイメージが浮かんだ。
押入の下の段に並んでいる段ボール箱の脇の、狭いところに誰かが(もちろん、子供だ)体育座りをしている。
ひょろっとした、細長い手足が見え、顔は陰になって見えない。
そうだなあ――たぶん、あえていえば、人の記憶につく、のかな。
兄は考えながら答えた。
予想していた返事とは違っていたので、僕は面喰らった。
記憶につくって、どうやって?
今の話みたいに、だよ。
兄は謎めいた笑みを浮かべて僕を見た。
人と人との記憶のあいまに棲みつくのさ。
彼は、頭に人差し指を当ててみせた。
人が互いに自分の記憶を照らし合わせているうちに、そいつは少しずつ姿を現す。
何かを思い出そうとすると、本当はいなかったはずのそいつが、徐々に存在していたような気がしてくる。
ひょっとして、こんなやついなかった?
いたよね?
いたいた、いたよ、そういうやつ。
話題にすればするほど、人が増えれば増えるほど、そいつの存在はいよいよはっきりしてくる。
確かにそいつはいた。
事実としてみんなが共有すれば、そいつは存在していることになるんだ。
その時、僕はなんとなくゾッとした。
不意に目の前に、元同級生が見ていたという、髪の長い中学生くらいの女の子がむくりと起き上がったような気がしたからだ。
顔は見えない。
ひょろりとした手足。
それは、ほんの少し前に僕がイメージした、押入の下の段に体育座りをしていた子供の手足だった。
押入から出てきたところなのだろうか。ワンピースっぽい服の裾を引っ張ってシワを伸ばし、お尻をぱんぱんとはたいている。
これは誰だ?
僕は棒立ちになって、見えないはずのその子、しかしそこにいるその子を見ていた。
なあんてね。
兄は笑って首をすくめた。
弟よ、冗談だよ、冗談。今、俺がでっちあげた話さ。スキマワラシって言葉も、俺の創作だよ。
そう言って、兄は磨いていた引手を持ってさっさと台所を出ていってしまった。
しかし、僕は棒立ちのままだった。
この時の僕たちは、よもや、兄の創作であるはずの「スキマワラシ」が、将来自分たちの前に現れるとは夢にも思わなかったのだ。
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第一章はここで終わりです。
続きは恩田陸『スキマワラシ』本編でお楽しみください!
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