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直木賞作家・荻原浩が漫画家デビュー! 『この世界の片隅に』著者・こうの史代との特別対談を全文公開!【後編】

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“凡人”だから、物語を紡げる。
『人生がそんなにも美しいのなら 荻原浩漫画作品集』刊行記念特別対談 こうの史代×荻原浩【後編】

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構成=大谷道子/撮影=冨永智子

漫画にできること、小説だからできること

荻原 小説も、まさにそうですね……って、いきなり自分のほうに引き摺り込んで、偉そうに言ってみたりして(笑)。

こうの でも、そこをお伺いしたかったんです。

荻原 最初からきっちりプロットを作ってその通りに書いても、面白いものは意外と書けないです。意外とどころじゃなくて、僕の場合はまったく、かな。ぼんやり決めて書き始めて、途中で「この人はこういう人間だから、きっとこういうことをやらかすだろう」ということがわかってくる。

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こうの 「キャラが立ってくる」という状態ですね。

荻原 はい。そうするともう、後はその人に任せて、好きに動いてもらうと、作者がウォウ! と思うものができる……はい、小説側からは以上です(笑)。

こうの 荻原さんの中で、小説になる物語と漫画になる物語は違うんですか?

荻原 うーん、とくに小説にならない物語を考えて漫画にしたわけでもないんですが、結果的に、これは小説では書けなかっただろうなというものばかりになったということは、やっぱり違いはあるのかもしれません。たとえば、小説は情景描写をいくら細かく重ねても、それを読んだ人の頭の中の映像は、ひとりひとり違うんですよね。

こうの そうでしょうね。

荻原 皆で同じ本を読んで「これを映画化するとしたら、主人公は誰だろう?」とキャスティングごっこをすると、見事に皆、違ったりします。漫画も実写化されると違うなぁと言われることがあるでしょうが、小説はもうその比じゃなくて。

こうの 漫画は、何となく似た感じの人がキャスティングされますね。

荻原 主人公の顔も、ある程度描写はするんですが、僕はあまり書き込みすぎないようにして、読み手の方がそれぞれ思う人物や風景を想像してもらいます。その想像を喚起する装置として文章がある、というか。
でも、漫画の場合はまったく違いますよね。こうのさんの『ギガタウン 漫符図譜』(朝日新聞出版)を読んでいろいろ勉強させてもらいましたが、風のように目に見えない、形のないものの流れを一本の線で表現するとか、それで時間の経過や、コマとコマの間に何が起きたかを想像してもらうことができるとか……。

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『ギガタウン 漫符図譜』より

17『ギガタウン 漫符図譜』朝日新聞出版_書影

『ギガタウン 漫符図譜』
(朝日新聞出版)
 

それから、この『夕凪の街 桜の国』(双葉社)が本当に大好きなんですが、とくに「夕凪の街」の終盤、主人公の意識が薄れていって、コマの中から絵が消えて言葉だけになる場面。が。

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『夕凪の街 桜の国』(「夕凪の街」32-33頁)より 

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『夕凪の街 桜の国』(双葉社)

こうの ここ、編集さんは真っ黒にしたかったんですよ。コマが黒で、文字は白抜き。でも、黒はいくらなんでもかわいそうな気がするし、何が何だかわからなくなっていく状態は、やっぱり白だと。

荻原 原爆を落とした人間たちは自分が死ぬことによってまたひとり殺せたとちゃんと思うだろうか、という意味で、《嬉しい?》って言ってますよね。こんな言葉、思いつかないですよ。これまで、文章で表現できないものを漫画では全部表現できると思い込んでいたんですが、漫画は漫画で読者に喚起させるためのいろんな技や手法があって、それが小説とは違うんだと。自分でやってみて、はじめて気づきました。

こうの でも小説の、文章ならではの面白さというのもありますよね。たとえば、荻原さんの作品の中で「私」という人が出てきたとき、それが男性なのか女性なのか、いくつくらいの人なのかというのは、しばらくはわかりませんよね。漫画だと最初から絵で表現しなくちゃいけないんですが、あれが判明するまでの間の不思議な感覚は、小説ならではじゃないかなぁって。

荻原 ああ、なるほど。

こうの 私は逆に、小説は文章だけで済むから楽でいいよなと思ったりしていたんです。でも、こうして荻原さんが小説らしい小説と漫画らしい漫画をかかれるのを拝見して、私もはじめて「漫画にできないことって何だろう?」と考えさせられました。

荻原 どちらにしても、言葉はすごく大切ですよね。僕は小説を書くとき、情景描写にしても台詞にしても、なるべく無駄を省きたいと思っています。あえて無駄に書くときもありますが、それでも大切なものだけはスパッと短くというのが、絶対にいい文章ですから。漫画の場合はもう、断然、それだけしか求められない。吹き出しの中に短い言葉で、いろんな想いを込めるぶん、漫画のほうがより大切なのかもしれません。

普通を描けるのは、普通の人だ

こうの 今、大学で漫画を教えているんですが、漫画家に向いているのはどういう人か? というのを、学生たちに最初に必ず話すんです。ひとつめは、「文章が得意な人」。2つめは、「絵を描くのが好きな人」。そして3つめが「凡人」。

荻原 ほぉー。

こうの ひとつめは、やはり文章や台詞を簡潔にまとめなくてはいけないし、資料を読み解く力も必要なので、文章力や国語力は必要だろうと。2つめは、下手でもいいからとにかく描くのが好きであること。そうでないと描き続けられないでしょうから。そして3つめは、そのどちらも中途半端なくらいの能力の人、ということなんです。文章で全部語れる人は小説を書くでしょうし、絵ですべてを表現できる人はイラストレーターか画家になるでしょうから、どちらもほどほどの凡人がいいんですよ、と。

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荻原 僕、全部当てはまりますよ(真顔)。文章はわりと得意ですし……。

こうの アハハ! めちゃめちゃお得意ですよね、それはもう。

荻原 絵も、今のところ文章書くより好きですし、プロじゃないから楽しんでますし。で、凡人でもあるわけですから、ピッタリですよ。俺、漫画家に向いてます。

こうの いやいや、ぜんぜん凡人じゃないですが……でも、漫画を描く人って確かに変わり者が多いんですが、自分で自分を変わり者だと思っている人って、意外とできるものが普通だったりするんですよね。

荻原 わかります。小説家も変な人が多いと言われますけど、あまりに天才だったり鬼才だったりすると、1本すごい傑作を書いてどこかへ行ってしまって、長くは続けられないような気がする。それに、普通に生活をしている人のほうが、やっぱり普通の生活を書き得るんじゃないかと。

創作は、こじらせるほど面白くなる

こうの 次の漫画作品は、もう計画していらっしゃるんですか。

荻原 いやぁもう、これが最初で最後と思っていたんですが……もうちょっとやりたいかなと。機会があれば、もう1回くらい。

こうの 長編はどうですか? あと、ご自身の小説の漫画化とか。『逢魔が時に会いましょう』(集英社文庫)の大学教授と女子大生の二人組、漫画にしたら面白そうです。4コマも、また読んでみたいし。

荻原 とりあえずはないということにして、あとはこっそりやります。人知れず。もしできたら、そのときは「海苔一枚から出直してこい!」って言ってください(笑)。こうのさんこそ、ぜひ小説を。

こうの 絵が描けなくなったらやろうかな、とは思っていましたけど……でも、荻原さんの作品を読ませていただいて、ちょっと書いてみたいなという気持ちも起こりました。なんだか血が騒ぐんですよ。私がもし小説を書いていたら、「この人のようになりたいな」と思って頑張っただろうな、と。もしくは「この人がいるからいいや」かもしれませんが……行こうとしているところの先にいる方、という感じがして。

荻原 とんでもないことです!

こうの ただ、今のところはまだ小説で書きたいテーマが見つかっていないですね。出会っていないからできないんだろうなと。「これは小説でしか書けない」というものを、荻原さんのように柔軟な目で見つけられたらいいなと思いますね。

荻原 僕もそうですね。次があるとするならば、「漫画でしか描けない」というものを新たに見つけてからだと思います。

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こうの 漫画って、若い頃から描く人が多いですから、はじめの頃は興味もあるし、取材も少なくてすむ恋愛ものとか異世界ものとかが描きたいんですね。でも、そればかりだと同じことのくり返しになって、幅が広がっていかない。だから、あえて面倒くさいものを……そのときは面倒くさいと思っても、あとあといいほうに作用していくんじゃないかな、と。

荻原 小説も同じですね。自分が知らないことを一所懸命調べたり想像したりして書いたもののほうが、結果、面白くて。知っているものを知っているふうに書くのは1回きりで、あとは自分の中にある以上のものをお出ししないと、人様からお金はいただけないなと思います。
漫画を描いてみて、僕、ちょっと反省したんです。漫画でたったひとつのことを説明するのにこれだけの労力を使うのに、小説でこれほどの努力をしているだろうかと。楽なほうに流れたら、だめですよね。こうのさんがおっしゃるように、自分でこじらせるから面白くなる。

こうの そうですね。本当に。小説は、これから変わりそうですか?

荻原 うーん、もっともっと短くしようかな、と思っています。自分では無駄にしてきたつもりはないけれど、もっと言葉を節約したり、切り詰めたりできるんじゃないかと。漫画の台詞のように綴れば、ビシッといいものが書ける気がして。

こうの 私が長いものを描けないのは、たぶん体力があまりないせいだと思っているんです。でも、漫画でも小説でも、続いていることで重みや厚みを醸し出すこともあるんですよね。漫画の場合は絵である程度の重厚感を表現できますが、一見重みのない文章でも、ずっと続いていくと、その積み重ねが迫力になっていくような……。小説ではないですが、『ニーベルンゲンの歌』(前・後編/訳・石川栄作 岩波文庫)なんかを読んだときに、そんなことをふと感じたりもしました。

荻原 長くても短くても、物語としていいものはいいですしね。漫画でも小説でも。

こうの 私も、小説を書いたら荻原さんに見ていただこうかな。

荻原 「明日までにもう300枚な」とか言って、突っ返したりして。

こうの うわぁ、厳しすぎる!

荻原 冗談です(笑)。ただ、たぶん小説は漫画よりは手に優しいと思いますよ。小説家でも手書きの方はよく腱鞘炎になりますが、漫画家ほど酷使はしないと思う。僕は慣れなかったので、描いていて本当に指がつったりしました。

こうの そういうときは、お灸をするといいですよ。肘を曲げてできるシワの先のところに「曲池」というツボがあるんです。あと、親指と人差し指の付け根の間。ここは「合谷」。(ボールペンで)印を書きましょうか……ここにお灸をするか、お灸シールを貼るといいです。

荻原 おお、ありがとうございます。しばらく手を洗わないでおこう。

“凡人”だから、物語を紡げる。『人生がそんなにも美しいのなら 荻原浩漫画作品集』刊行記念特別対談 こうの史代×荻原浩【前編】はこちら

【プロフィール】

こうの史代(こうの・ふみよ) 1968年広島県生まれ。1995年に『街角花だより』でデビュー。主な著作に『夕凪の街 桜の国』『この世界の片隅に』『長い道』『ぴっぴら帳』『さんさん録』『ぼおるぺん古事記』『日の鳥』『ギガタウン漫符図譜』『平凡倶楽部』などがある。好きな言葉は「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を描きたいと思っている」(ジッド)

荻原 浩(おぎわら・ひろし)1956年埼玉県生まれ。コピーライターを経て、1997年『オロロ畑でつかまえて』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2005年『明日の記憶』で山本周五郎賞、2014年『二千七百の夏と冬』で山田風太郎賞、2016年『海の見える理髪店』で直木三十五賞を受賞。『海馬の尻尾』『それでも空は青い』『楽園の真下』など著書多数。

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『人生がそんなにも美しいのなら 荻原浩漫画作品集』

2020年4月24日 集英社より発売!

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