時間が解決するなんてクソくらえ

辛い。もう私の中に残った感情はそれだけだ。
喜びも幸福も寂しさも怒りも悲しみすらも、もう感じることができなくなった。

毎日強く強く神様に祈っているのに、一向に光が見えない。

本当に、疲れてしまった。生きることに疲れるとはこういうことかと。
世界には見たい景色がまだあるし、まだ体験したことがないこともたくさんある。

でも、それがすぐにできるほど世の中甘くない。結局お金がないと見たい景色も見に行くことができない。体験だってそう。

仕事を辞めることは、正直難しくないと思う。でも、辞めるということは収入がなくなるということ。使わなければ残るだろうけど、今この世の中お金を使わずに生きること自体不可能だ。

ましてや海外に独り身できて、家賃も払わなきゃいけない、家族や親友のように頼る人もいない、そんな中で無職で生きるなんて到底無理だ。

そしてここ数日無感情で生きていて、ふと思ったのは、「私と関わってきた人は皆幸せなんだろうか」ということ。私のせいで不幸にしてしまってはいないだろうかと。考えすぎなのかもしれないが、人間に生まれてきた以上考えることをやめることはできないと理解したのでもうそこは諦めさせて。

だから、もうやめてしまいたい。全部、何もかも。自分が壊れていく様子を
ただ時間が解決するだろうと思って放置するなんて残酷すぎやしないか。

私と関わった人の記憶から私を消すことができたらどんなに楽だろう。ここに書き留めておいていうのも矛盾しているようだけれど、私のことはもう誰にも覚えていてほしくない。

エターナル・サンシャインの逆の状態ができたらなあ。


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