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日本による平和構築の手法、国連中心主義

 「国連中心主義」とは、立憲民主党に所属する小沢一郎(おざわ・いちろう、1942 ‐  )衆議院議員が、かつて『日本改造計画』(講談社、1993)の中で主張したものである。小沢は、自衛隊を念頭に「世界の平和だけでなく、自国の安全を保障するためにも、専守防衛戦略から平和創出戦略へ転換しなければならない」とし、その根幹に国連中心主義を位置付けたのである。まず、『日本改造計画』の内容をもとに、小沢の主張する国連中心主義の内容をまとめたい。


①国連中心主義とは

 小沢は現憲法の下でも、自衛隊を国連待機軍として国連に提供して、海外の現地で活動させることはできると主張している。その活動はすべて国連の方針に基づき、国連の指揮で行われるのであって、国権の発動ではないと考えているからだ。小沢は、「世界の国々が加盟し、かつ唯一の平和機構である国連を中心とする以外にない(中略)自衛隊を国連待機軍として国連に提供し、その平和活動に参加することは、憲法前文の理念、第9条の解釈上可能であるだけでなく、むしろ、それを実践することになる(中略)この活動は、第9条が禁じている国権の発動、つまり日本独自の判断による海外での武力行使とは形式上も実態上も明らかに異なる。これら2つは厳格に区別して考えなければならない」と述べている。


②なぜ、国連中心主義なのか

 憲法学者の小林節(こばやし・せつ、1949 ‐  )も、小沢と同様に国連による決議を基準とするよう主張している。小林は、自衛隊を海外に派兵する絶対条件を、①国連決議があること、②五大国のどの国も拒否権を発動していないこと、そしてその上で③国会の事前承認としている。1991年に起こった湾岸戦争では、国連安全保障理事会の決議にアメリカとソ連が一致して行動し、事実上の国連軍として多国籍軍が組織された。当時小沢は、自民党幹事長として対応にあたり、自衛隊の派遣を検討していた。しかし、護憲を主張する野党などの反対もあり実現しなかった。そのため、戦争終結後に掃海艇派遣が行われ、翌年にPKO 協力法がなんとか成立するのである。また、2003年のイラク戦争では、安保理の承認を得ないままアメリカとイギリスによる攻撃が開始された。フランスやドイツなどは明確に反対する中、日本では総理大臣の小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう、1942 ‐  )が日米同盟を理由にアメリカの軍事行動を支持した。小沢は、国連の支持のない同盟軍への協力は憲法違反だとして、その後のテロ対策特別措置法延長に反対したのであった。小沢は、政府の無原則な安保政策を一貫して批判したのである。


③憲法改正のハードル

 小沢は、現在の日本国憲法には国際環境への対応に関する明確な規定がないため、憲法の解釈をめぐっていつまでも不毛な議論が繰り返されていると批判している。そのため、憲法9条に自衛隊の性格や役割について明記すべきだと述べ、「なし崩しの解釈改憲」の心配も一掃できるとしている。だが、憲法改正のハードルは高く、戦後70年以上経った2021年の現在においても1度もなされていない。そのため小沢は、憲法を変えずに「平和安全保障基本法」といった法律をつくることも併せて主張している。小沢は基本法の中身について、「すべての主権国家に固有の権利として、日本が個別的自衛権を持ち、そのための最小限度の軍事力として自衛隊を持つこと、また国連の一員として平和維持活動には積極的に協力し、そのために国連待機軍を持つことを明記する。さらに、軍縮、核兵器の廃絶といった目標や、軍事に対する政治の優位といった原則も盛り込んだらいい」と構想している。繰り返しになるが、あくまで小沢は、国連の平和活動への協力などは現在の憲法のままでもできると考えているし、しなければならないと主張している。


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