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SNSジャンキーの私の考える幸せ

中学校入るちょっと前からインターネットを触れる環境にいた。
初めてスマホを手にしたのは確か14歳ぐらいで、それから10年近く経ったけど、それ以前にどうやって生きてたのかわからないぐらい毎日スマホを触ってる。

こないだmbti診断の話をしてたんだけど、私は外向型らしい。

それについてずっと
「こんなコミュ障陰キャが?外向?なわけ」
って思ってたんだけど、内向型の子と話してると分かり合えないことが一つある。

1人で何もない時間を過ごすのが私は超苦手だ。
気心が知らない人間と一緒に居るのは気疲れしちゃうけど、大好きな人とは四六時中一緒に居たい。
予定のない日があんまり好きじゃない。

一方内向型の友達2人は
「家で過ごす日がないとやってられない」「1人でいるのが好き」
と言っていた。
できるだけ1人になりたくない私にはこの気持ちはわからない。
そう考えると、私は外向型ってことになるのか…と納得できる。


そんな私の最強の味方はSNSである。
友達が今何してるのかを知れるし、新しい友達を作ることも、配信者の配信見て人の声聞いて落ち着いたり、人との繋がりを擬似的に作り放題。
SNSが無い生活なんてもう送れる気がしない。

SNSは時にジャンクフードに例えられる。
簡単に満足感を得れて、中毒性があって、健康に悪い。


そう!SNS漬けの生活ってほんっとうに健康に悪い!!!

止めたい!!!適度にしたい!!!!


私は依存しやすいものにことごとく依存する。
そのうちの一つがSNSである。

中学生の頃のTwitterしかしていなかった時代はよかった。
Twitterで繋がっている友達はほぼみんな平日であれば学校で会えるし、その時はそこまで「承認欲求」とか「自己顕示欲」とかもなかった気がする。

でも今は毎日会うわけじゃない友達がどんどん増えている。
地元の友達、高校の友達、前のバイト先の人たち…
SNS、特にInstagramは日々のキラキラした華やかな部分を投稿しがち。
嫌なことあったら愚痴投稿もあるだろうけど、所謂「普通の日常」をアップすることはあまりない。
そして、実際に顔を合わせない人たちの普通の日常を見ることは少ない。
そうすることで、必然的に他人の人生の非日常的な部分や最骨頂なところを抜粋して目にする機会がぐんっと増える。

それによって自分の人生が他人よりもつまらないと感じる。

そして徐々に幸せのハードルが上がっていく。

この「幸せ」について考えることがある。

SNSに触れる前は、ただの今ここにある日常で満ち足りていたはず。
昔よく思っていたのが、「私の人生ってもしかしたら全部作り物で、周りの人は私の日常を演出するためだけに動いているのかも」って。
だって自分は自分以外になりようがないし、他の世界がどう動いてるかわからないし、知りようもないと思ってたから。

でも今は違う。外の世界を嫌でも知れる。他人が何を心の中で考え、何のために何をしているのかをSNSなどを通じて簡単に知ることができる。
この世界は自分のためにあるのではなく、この世界の一部として何のためかは分からないが存在しているってことを嫌でも理解する。

いろいろな情報を簡単に手に入れられる私たちは何においても「正解」を知ることができる。
そしてこの正解は大抵の場合「作られた価値観」であり、同時に「不正解」も作り上げるのだ。

一つ例に出すと、パーソナルカラー診断というものがある。
人の肌にはイエローベースとブルーベースという大きく2つのタイプがあり、更にそれを2つに分けて、合計4種類に分類できる。
そして、その分類ごとに得意な色や苦手な色があり、それらを日々のメイクに取り入れると良い。

これ、かなり画期的だと思った。
私自身メイクはあまり興味がわかず、とりあえず適当にやっていたから「似合うとか似合わないとか、正解を出してくれるんだ!」と思った時に嬉しかった。
しかし、これって実際、80億人全員を4つのパターン如きに落とし込めて「あなたはこれが似合いません!」なんて言って不正解パターンが好きな人間からその好きを取り上げることに繋がる。
そしてこれ、自分が受けてみてびっくりしたのが「イエベのお色も、ブルベのお色も似合いますね」って言われた。4つに私は落とし込んでもらえなかった。
結局正解がわからなかった私は、好きな色を好きな感じに取ってメイクをしている。

mbti診断だってそうだ。
性格パターン毎に適職だの良い相性の性格パターンの人などが知れる。
企業だってこの診断に似た適性検査を入社前に行う。
こうして正解パターンを見つけていくんだ。
でもよく考えて欲しい。80億人いるんだよ。
16パターンに落とし込める?
16パターンの人間それぞれが支え合って生きているのに「この職業に向いているパターンの人を雇います」とかして、そのコミュニティやっていけるの?
同族嫌悪したらどうするのさ。
16人しか人がいないわけじゃないのに、個性はどこでみるのさ。

嫌になっちゃいますね。

でも、SNSを見ているとそういうものが流行る。
自分のことは客観的にどうしても見にくいから、そういう診断とかに乗っかっちゃう。
そしてパターンに押し込められて勝手に苦しくなる。
正解を見つけるということは、不正解も同時に見つけることになり得る。

私はADHDである。
今は薬を飲まずに生きているが、ほんの数ヶ月前までは毎日薬漬けだった。
飲んでいても飲まなくても、どうせ私は人と同じことが苦手だったから、高いお金を払って保険適用外のお薬を飲むなら、他の好きなことにお金を回そうと思って飲むのをやめた。
私は所謂不注意型のADHDである。
あんまりいまだに仕組みについては理解してないんだけど、自分の生きにくさに理由があると知った時はとてもホッとした。
朝は苦手だし、整理整頓もてんでだめ。ざわざわした場所で必要な情報を拾うのも一苦労だし、集中するのも苦手だけど一度集中すると周りも時間も考えられなくなる。
失敗だらけになると、自分は世の中から置いていかれてる、不良品のように感じる。

でもそれは私の短所に目を向けまくってるだけで、感受性豊かで、いつも笑顔で、好きなものには全力を出せて、(筆が乗れば)クリエイティブな面があるっていうのは私の長所だと思う。
ここ私の自信あるところだから否定しないで; ;笑

何の話がしたかったかというと、人間はおそらくみんな完璧じゃない。
きっと大谷翔平にも苦手な食べ物はあるだろうし、ガッキーにだってミスをしてしょんぼりする日があるだろう。
でも、私には2人のこと完璧に見えてる。
Instagramを覗いているときに見える私の友人たちもそうだ。
毎日キラキラ楽しそうに見えるが、彼等にも憂鬱な日はあるだろう。
自分に見えている世界だけが全てではないし、他人と比較をする必要だってない。

だから、自分の幸せの物差しが必要なんだと思う。
そして、幸せのハードルを勝手にあげないことも必要だと思う。
日々の生活をちゃんと幸せだと思い、等身大の自分を受け止める。
ちょっと気持ちがダメになった時はSNSから距離を置く。
これが私の考える幸せってもの。

正直これを実現するのは難しい。
去年1年間「等身大の私を愛する」ということを心がけ、心が荒れることが少なかった。
しかし、就職活動で見栄を張ることが多くなったことによって気持ちが揺れ、他人との差別化を…なんて他人を意識するようになってしまった。
今年1年間で去年の頑張りを無駄にしてしまった。

しかし私には去年の成功体験がある。
頑張れるよ私。
そんなことを思いつき、文字にすることで、自分自身に言い聞かせさせてください。

このノートが誰かの救いになりますように。
このノートが私の希望になりますように。

なんちゃって。

日を跨ぎながらスマホで書いていたnoteなので、筋が通ってなかったり、読みにくいところがあればごめんなさい。
またお会いできたら嬉しいです。


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