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タクシー時代、乗り逃げされて痛い目に遭いました、という話

プロフィールにあるとおり、ぼくは以前、タクシードライバーをやっていました。

勤務地は東京。片側六車線のぶっとい道とか普通にあるし、側道と地下道が一体化した「アンダーパス」とかどう見ても「ドライバー困らせるためにつくっただろ!」的な道が多すぎて、乗り始めはとにかくてこずりました(あと首都高ね、あれは高速道路じゃなくアトラクション施設)。

いろいろあったタクシー時代ですが、一度だけ無賃乗車をやられた体験があります。乗り逃げというやつですね。

この乗り逃げですが、本当に面倒くさい。タクシー経験者なら分かると思いますが。これほどドライバー泣かせな罪はありません。

タクシーは基本、完全歩合制です。お客さんをのせてナンボ。1日勤務して、その日の売り上げを運転手と会社で分けます。運転手の分け前はまあ半分か6割程度。そのあたりは会社によってマチマチです。だから、1日中乗っても極端な話、お客さんがゼロであれば見入りはゼロになるわけです(基本給を設定している会社もあります)。

だから、警察に被害届を出せばそれだけ時間を取られることになり、営業時間を削られ、売り上げに響いてしまうという悲劇に。

あと、体裁としては「タクシー会社に籍を置く会社員」ですが、実質「個人事業主」に近いのが実情。乗務員は会社から貸し出された車両を預かり、それを使って営業するというスタイルなんです。営業中に起きることは、すべて乗務員の責任。お客さんともめてトラブルになっても、乗り逃げされて売り上げがパーになっても、自分で処理しなければならない。会社は何も助けてくれません。

これらの基本知識を押さえたうえで、ぼくの乗り逃げされた体験を聞いてもらえたらと思います。


東京駅から乗せた白人の若い乗客

あれはいまから6年くらい前のこと。季節は、たぶんあったかい頃だったと思います。犯人が軽装だったから、5月か6月だったでしょう。乗せた場所は東京駅の丸の内口。皇居に近いほうです。ぼくはだいたい、東京駅周辺のビジネス街や新橋、銀座などの繁華街を主な営業拠点として活動していました。

問題の客を乗せた時間は、夜の8~9時くらいでした。この時間の東京駅は割りとまったりしているほうで、タクシーもポツリ、ポツリとはける程度。ぼくもそのときは小一時間くらい待ったでしょうか。ようやく先頭にまでこぎつけたところで、ひとりの外国人がふらりと現れました。

大柄の西洋人。年齢は20~30代と若め。体格はがっちりしています。バッグも何もなく、体ひとつで乗り込んできました。そのときの印象はとくに怪しいという風もなく、いたって普通という感じ。東京では、当時から外国人を乗せることも珍しくありませんでした。とりあえず行先を聞き、東へ向かって車を走らせます。告げられた先は、江東区のとあるマンション。

乗車中、客とは一切会話がなかったと記憶します。行き先を聞いたときの感触で日本語はあまり話せない感じでした。ウォークマンでずっと音楽を聴いていたので、こちらは運転にただ集中するだけ。ドライバーとしては、なんというか、「扱いやすい」といえば語弊があるかもしれませんが、気を使う必要がないので楽といえば楽です。

東京駅から出発して15分ほどして、目的地のマンションに到着。車を駐車場内の適当な場所に停車させ、メーター料金を指さして乗客に知らせました。すると、その外国人は「マネー、ホーム、ゴーホーム、マネー」とか言って、勝手に車から降りようとするのです。

そのときぼくは、「えっ」と絶句しました。このあたりですでに「あ、これヤバい奴かも」と察知して、思わず身構える姿勢となりました。相手は外国人で言葉は通じない。金を払えといっても持っていなければここではもらえない。相手の話では家に行けば金はあるという。とりあえず、ここは信用するしかない。

一か八かの気持ちでぼくは、運転席下のレバーを引き上げて後部ドアを開けました。

「やられたっ!」と思い、会社に電話するも……

降車は仕方ないにしても、ひとりで向かわせるわけにはいきません。マンション棟のほうへ歩いていく男の後ろから、ぼくはピッタリマークして付いて行こうとしました。が、男が振り返り、「ノー!」と強い口調で言い放ちます。そんなことで引き下がるわけにもいかず、食い下がってあとを追おうとしました。

すると男はするどくにらんで威嚇し、ぼくの胸を小突きました。ぼくの身体はのけぞり、そのまま硬直して足が止まってしまった状態に。体格差は歴然で、腕力ではとてもかなわない。しかも、そのときの眼光は完全に「やってやるぞ」という目でした。

身の危険を感じたぼくは付いて行くのをあきらめ、車の中で待つことにしました。その際、時間を置いてエレベーターの前まで歩いて行き、男が止まった階を確認することも忘れませんでした。

まばらに車が停まっている駐車場で、ひとりタクシーに乗って男が戻ってくるのを待ちます。心のなかでは、わずかな可能性に期待を込めていました。が、5分、10分経っても戻ってきません。もうこれは完全に乗り逃げだと断定したぼくは、とりあえず会社に一報入れました。

会社からは、とくにああしろこうしろ、といった具体的な指示はありませんでした。確か常務と話したと思いますが、彼はぼくから事情を聞くと、「そいつは大変だな」と同情の念を示すのみ。いや、そんな他人事みたいに言われても、と思いつつ、「とりあえず警察に電話しますね」とぼくは伝えたと思います。そのときは、被害届を出すにしても会社と連携を取りながらやるものだという意識がどこかにあったのです。

が、続けて常務の口から飛び出た言葉は、ぼくの耳を疑わせるものでした。

「それでもいいが、時間大丈夫か?」

「え、大丈夫も何も、警察に言わなきゃヤバいでしょ?」

「〇〇君がそれでいいなら、任せるよ。でも、被害届を出すと事情聴取はあるわ、実地見分はあるわ、時間取られてほとんど仕事できないぞ。それでもいいなら、警察に電話して、事情話して、被害届を出せばいい」

ぼくはただ唖然としました。そして全身から一気に力が抜けていく脱力感を覚えました。いまタクシードライバーとして頑張っている方には申し訳ないのですが、「こりゃえらい職業に就いてしまったもんだな」とあらためて思い知らされたのでした。

実際の話、乗り逃げされた運転手のなかには、泣き寝入りする方も多いそうです。その理由はまさに常務が言った通りのことで、警察に被害届を出すとなれば大幅に営業時間を奪われ、その間の稼ぎはゼロになってしまう。被害額が微々たるものだったら、その後の巻き返しでチャラにすればいい。そう開き直って乗り逃げされた事実を闇に葬り去る乗務員も少なくないのです。自分が被害者であるにもかかわらず。

しかし、それで得をするのは犯人のほうで、味をしめてまた同じ罪を繰り返すわけです。それで被害を被るのは別のドライバーにほかなりません。後ほど詳しくお話しますが、ぼくがまさにその因果でそばづえを食わされたのでした。

選んだのは、「筋を通す」道

とにかく、警察を呼ぶか、なかったことにするか、その判断のボールはぼくに投げられました。ぼくが出した決断は、「警察に被害届を出して犯人を捕まえる」でした。

メーター料金は、確か1500~1800円程度だったと思います。自分に入ってくる分は、1000円にもなりません。その時点で時間は22時くらいでしたから、そのあとバリバリに営業すれば十分取り戻せる金額です。しかし、このままうやむやにすることはできませんでした。

あの小憎たらしい顔した外国人を許すわけにはいかない。このままじゃ日本人がなめられっぱなしで終わる。きちんと法の裁きを受けさせないと、またどこかで被害者を生むに違いない。そう、奴に必要なのは見逃しではなく正義の鉄槌だ!

そんな殊勝な思いもあるにはあったのですが、一番は自分のためです。自分が乗り逃げされて、悔しかったから。正直それがいちばん大きいのは言うまでもありません。

というわけで、とりあえず110番して警察に来てもらうことになりました。「あ~めんどくさいな、これ何時に終わるのかな、この後仕事できるかな」と思いながら。

ちょっと長くなったので、この続きの展開は次回、じっくり振り返ります。次回の予告は「乗り逃げ犯を捕まえろ! 執念の捜査と意外な結末(仮)」です笑




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