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幕末「強運」を演出した人物③井上聞多

井上聞多(馨)
刺客に襲われ瀕死の重傷を負うも愛人の手鏡と母の一念に救われる

薩摩とともに幕末の勝組となった長州藩。勝利までの道のりは険しかった。戦乱に突入して討ち死にする者、幕府に睨まれて獄死する者、新選組や見回り組に斬られる者、責任を取って自刃する者など、累々と重なり横たわる屍の上に長州藩の勝利がある。

維新後元老となった井上聞多(馨)は、その列に加えられてもおかしくないほどの死地に遭遇している。しかし、奇跡的に命をとりとめ、新しい時代の扉を開けて勇躍した。

黒船来航で国内が物情騒然とする中、長州藩は「正義派」と「俗論派」に割れて激しく対立する構図にあった。正義派は、幕府を軽視し朝廷を重んじる勢力。俗論派は、幕府の威光にひたすら恭順すべしとする保守的な勢力である。井上聞多は、高杉晋作や桂小五郎、久坂玄瑞らと行動を共にする正義派の急先鋒であり、俗論派に命を狙われる立場にあった。

井上が刺客に襲われたのは、藩の政事堂を出て自宅に帰る夜道でのことだった。袖付橋付近にきたところで松並木の陰から男が飛び出し、いきなり斬りつけてきた。刺客はたちまち複数がかりで井上に襲い掛かる。全身を斬りつけられ深手を負いながらも、かろうじて急所だけは守ることができた。急所を守ってくれたのは懐中に隠し持っていた鏡だった。祇園でひいきにしている芸妓君尾からもらった形見である。恋人からの贈り物が偶然にも命を救う盾になるという、映画でもなかなか見ない神がかった強運ぶりを発揮した井上は、かろうじて絶命だけは免れた。

ほとんど虫の息の状態で兄の家に運ばれた井上だが、切り傷は全身に及び出血もひどく、意識が遠のく有り様だった。死を覚悟した井上は兄に介錯を頼んだ。兄が涙を呑んで刀を握ると、横から袖をつかむ者がいる。母だった。

母は「たとえ治療の甲斐がなくとも、やれるだけのことをやらねば、母の気持ちが収まりません。どうしても弟を斬るというのなら、この母も一緒に斬ってすてなさい」と声を振り絞り、血だらけの息子を抱きしめた。母の思いが通じたのか、井上はこの後、駆け付けた蘭方医の処置のおかげで一命をとりとめる。焼酎で傷口を洗い、あり合わせの畳針で四十針縫うという荒療治だったが、ここでも奇跡が起きて死の淵から生還を果たすのである。

この年の暮れ、高杉晋作率いる奇兵隊が俗論党を討滅すべく長府付近の功山寺で挙兵する。決起の報を聞いた井上は病み上がりの体を押して高杉たちのもとへ駆け付けた。驚くべき生命力と精神力である。この内戦で俗論党は壊滅、正義派が藩の実権を掌握し、明治維新を成し遂げる原動力となる。

維新の功労者となった井上は新政府の要職を歴任し、元老として実権をふるった。実業界との縁が深く、財閥との癒着や汚職など黒い噂も絶えなかったが、しぶとく政権中枢で存在感を発揮し続ける。大正4年79歳で死没。不穏な最後を迎える維新の功労者が多かった中で、天寿を全うできたのは幸運だったと言える。

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