見出し画像

歴史好きになった自分の歴史を検証する

歴史好きが、必ずといっていいほど聞かれる質問。歴好きを公言する以上は、絶対に避けては通れない質問。

それは、「どの時代が好きですか?」というやつ。

歴史好きを自称してはばからない者はたいていここで答えられる「好きな時代」「推しの時代」「夢中になれる時代」を持っているけど、私にはそれがない。

ただ、「歴史が好き」なのである。

しかし、特別愛好する時代を持たずただ単に「歴史が好きです」といっても全然伝わらず、茫漠としていかにも薄っぺらな印象があるかもしれない。

それでも、「ただ歴史が好き」というしかない。

むしろ、なんで一つの時代しか興味ないのにそれで「歴史好き」になるのか? 疑問に思わないでもない。それは正確には「戦国好き」「室町好き」「幕末好き」であって、歴史好きとするのはいささか「盛りすぎ」になるのではないか。(もちろん本気でツッコミ入れてるわけじゃない)

熱狂的な阪神ファンは、阪神好きには違いないが、果たして「野球好き」になるのだろうか? 阪神の試合は熱心に観戦してもロッテやオリックスの試合には興味なさそうだし、まして高校野球の地方大会の試合とか草野球の試合なんて絶対観ない。そういうの観るくらいなら別にテニス好きじゃないけどシャラポワの試合観ますとなるだろう。

というか、本当の本当の野球好きなら試合を観る前に自らプレーしたがるものだし、その意味でいくと純然たる野球好きは「草野球に興じる人たち」と言えるかもしれない。

野球の話をしたいわけじゃないので、本題に話を戻す。

私は歴史が好きなのだが、一番好きな時代というのはない。一番好きな歴史上の人物を挙げるのも、難しい。一つの時代や特定の人物にとことんハマるような楽しみ方がどうしてもできない。それでは十分楽しめない性分なのだ。時代や人物にとらわれずもっと自由に歴史の海を泳ぎたいと思う。

こんな強烈な処女体験があって歴史を好きになりました、みたいな濃いエピソードがあればよいのだけど、残念ながら私の半生においてはそれもない。よくある「大河ドラマを見て」「司馬遼太郎の小説好きが高じて」「戦国無双にハマって」みたいに確たる動機がないのだ。

「気がついたらハマっていたタイプ」。これこそ、特定の時代や人物にとらわれない一番の大きな要素になっている気がする。

歴史の持つ性質そのものに、自分の体質というか性格がフィットするから、歴史そのものを追いかけてしまうのだ。

古いのが好き、物語が好き。これらの嗜好も、歴史に興味が働いた要因だろうけど、「想像(妄想)」するのが好きというのが、自分のなかではいちばんしっくりくる。

歴史ほど、想像(妄想)するのが好きな体質と相性がよい分野はない。いくらでも想像し放題のフィールドが広がっている。想像のおもちゃ箱、妄想の遊園地といってもいい。白状してしまえば小さい頃からあった妄想癖、頭のなかで勝手にいろんな話をつくっては脳内迷子になるような子ども時代。神がかった卑弥呼がどんな調子でご託宣を口にしているのか、それを聞いている周りはそんな顔しているのか、その現場にふっと自分が降り立ったならどんな騒ぎになるだろうと考えるだけで面白かった。そんな素養が自分を歴史好きに向かわせた。あまりカッコよくない我が歴史だが、史実だからしょうがないのだ。



















この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?