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二・二六事件を考える①武力クーデター計画はなぜ生まれたか

1936年(昭和11年)2月26日未明、陸軍青年将校らが歩兵連隊1,500名余りを率いて首相官邸や陸相官邸、警視庁を襲撃・占拠する「二・二六事件」が起きました。

この事件の首謀者は、「皇道派」と呼ばれる陸軍閥の青年将校たち。

彼らは「昭和維新」「尊王討奸」を叫び、総理大臣をはじめ複数の閣僚や軍首脳に狙いを定め、武器を手にして政府中枢に突っ込んでゆきました。

日本の政治の仕組みを刷新する武力クーデターがその狙いでした。

彼らを実力行使に走らせたのは何だったのか?

彼らが蹶起した理由を考えるために、二・二六事件首謀者の一人、村中孝次大尉が起草し、野中四郎大尉の名で出された「蹶起趣意書」を現代語に訳してここに紹介します。

なるべく読みやすいよう改行は多めにしてかみ砕いた表現もところどころ使っているので、厳密正確な現代語訳とは程遠いかもしれません。意訳的な部分もあるとご承知ののうえで読んでくださればと思います。

蹶起趣意書
つつしんで思うことがある。なぜ、わが日本は神のご加護あつく受けられるような国なのか。それは、万世一系の天皇のご統率のもと、国家国民は一つにまとまり、自然の摂理は正しく運行され、ついには八紘一宇(世界が家族のように一つになること)をも成し遂げられる国体になったからだ。

日本の国体がいかに厳かで尊く、すぐれているかは、天照大御神にはじまり、神武天皇による建国のときから明らかであり、明治維新を経てますます国家の体制は整えられ、今やまさに世界に向かって進展を遂げるべきときにきている。

しかし、このごろは身の程をわきまえない悪辣な連中がのさばり、私利私欲に走って天皇陛下の絶対的な尊厳をもないがしろにするなど、目にあまる惨状が続いている。その思い上がりははなはだしく、国民の生活を蹂躙して塗炭の苦しみを味わわせている。そのために外国の侮りや介入が日に日に激しくなっている。

いわゆる元老(首相選定に影響力を発揮した政界の重鎮)、重臣(首相経験者)、軍閥、財閥、官僚、政党らがこの国体破壊の元凶である。

ロンドン海軍軍縮条約ならびに教育総監更迭(皇道派の首魁・真崎甚三郎教育総監が更迭されたこと)における統帥権干犯、恐れ多くも天皇陛下の兵馬の大権を奪おうとした三月事件、あるいは反体制派学者や共産主義者、大逆教団の国賊ら、利害の合う者同士が結託し、陰謀をめぐらしていたのはもっともわかりやすい例であって、その途方もない罪悪の数々は血を流すほど憤怒してもまだまだ足りないくらいである。

中岡(原敬首相を暗殺した中岡良一)、佐郷屋(浜口雄幸首相を狙撃した佐郷屋留雄)、血盟団(井上日昭が率いた右翼テロ組織)が先駆けて身を捨て、515事件がわき起こり、相沢中佐(陸軍軍務局長永田鉄山大佐を斬殺した相沢三郎)が刀を抜いたのも、まったくもって理由のないことではない。しかも、いつまた血を浴びてもおかしくない切迫の状況にありながらなお、いささかの懺悔も反省もないどころか、依然として私権私欲にしがみつき、かりそめの安楽をむさぼっている。ロシア・中国・イギリス・アメリカとの間でいつ戦争が起こってもおかしくなく、代々の天皇がおつくになってきた神聖なる国体が打ち捨てられ、破滅してしまうのは、誰がみても明らかである。

このように我が国は危急存亡のときを迎えている。今こそ国体を破壊する不義不忠の輩に天誅を下し、天皇陛下のご威光を汚し国家改革を阻んできた賊臣奸物を取り除かねば、天皇による国の運営は立ち行かなくなってしまうだろう。まさに今、第一師団出動の大命が発せられ、これまでご維新の補佐を誓って国家のために身を捨てる覚悟で奉公を望んできた帝都常駐の我ら同志は、遠く異郷の地へ赴こうとしている(※)が、無法者に蝕まれてゆく祖国の現状を考えると、憂いの心をどうしても抑えることができない。
(※青年将校らは近く満州へ送られることになっていた)

天皇陛下のお側近くにはびこる奸臣・軍賊を討伐し、洗いざらい徹底的に悪の根を摘むのは、我々の責務である。

天皇陛下のためならいつでも命を差し出す覚悟の臣下として、このご奉公の道を最後まで尽くさねば、身は破滅し魂は地に堕ちる。ここに同じ憂いを有する同志が心一つに蹶起し、奸賊を成敗することでねじ曲がった大義をもとに戻し、国体の擁護と日本のあるべき針路のために知恵を振り絞り、それによって日本国民としての偽りなき真心を献上したい。

皇祖皇宗の神霊、ねがわくばこの姿をご覧ください。そしてどうか援助たまわりますことを。

昭和十一年二月二十六日
陸軍歩兵大尉 野中四郎
ほか 同志一同

要点を整理すると、

・政界や財界、軍部にはびこる悪人たちが日本国家を危機に陥れている
・天皇の尊厳をも踏みにじる賊臣奸物の討伐こそ国家の至上課題
・日本を救うためにも、昭和維新を掲げる我々が今立ち上がる時

当時の日本は不況のどん底状態。企業の倒産が相次いで失業者や困窮者があふれ返り、農村では生活をしのぐため当たり前のように娘が売られたりしていました。明日の生活もままならないほど国民は四苦八苦の状態でした。

そんな国民生活の惨状があるというのに、政治家たちのやることといえば権力闘争と保身、大企業との癒着。ひたすら私利私欲に走っては甘い汁を吸い、国家国民をないがしろにする。軍の上層部も本来の職分を忘れて政治闘争に明け暮れ、苦しむ国民を見殺しにしようとしている。

こうなったら、力づくでも法を破っても「正義」を貫徹して政治を刷新するしかない、そのような激情にかられた青年将校たちが同志とともに行動を起こしたのが二・二六事件でした。

複数の要人が命を奪われ、日本の進路にも暗い影を落とした二・二六事件。今後複数回にわたって取り上げてゆきます。


参考資料:
『獄中日誌』磯部浅一
『二・二六事件蹶起将校最後の手記』山本又
『二・二六事件』松本清張



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