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本当の「自由な時間」を考える

「今から1時間、自由に過ごしていいですよ」と言われたら、あなたは何をしますか?

もしあなたが会社員で、ここが仮に会社だとして、上司に「今から1時間、自由に過ごしていいですよ」と言われたなら、できることはかなり限られると思う。

ほとんどの人は家に帰って休むには1時間じゃ足りないだろうし、職場によっては制服や作業着を着ていたり、街やコンビニからも離れているかもしれない。スマホを見たりトイレに行くことはできると思うが、仮眠を取れるかは職場によるだろう。仮眠を取れる環境だったとしても、横になって寝れるかはかなり怪しいし、横になれたとしても寝心地はよくなさそうだ。

しかしそれでも、会社は間違いなくあなたに1時間の自由時間を与えている。仕事をさせず会社の指揮下に置かれていない、自由に過ごして良い時間を1時間与えいるのだから、会社としては紛れもなく1時間の「自由時間」を与えていると言えるだろう。
その時間が「あなたにとって本当に自由な時間」とは言えなくても、だ。

場所は変わって、今あなたが一人暮らしをしている自宅にいるとして、ぽっかり1時間自由な時間ができたとすれば、会社で与えられた1時間の自由時間よりはきっとできることは多い。自分のベッドで横になって1時間仮眠を取ることもできるし、シャワーを浴びて好きな服に着替えることもできる。でも好きな服や日用品を買いに行ったり、友人と会って遊ぶには時間が足りないだろう。

状況が変わって今あなたは赤ん坊を育てる親で、今赤ん坊と自宅にいるとしてぽっかり1時間時間ができたとすれば、一人暮らしの時よりはできることが減るだろう。自分のベットで横になることはできても、いつ赤ん坊が泣きだすか気になって寝れないだろう。
あなたにとって赤ん坊はきっと大切な存在になると思うが、だからと言って赤ん坊が大きくなるまでの数年間あなたの自由時間が0だとしたら、それはあまりにもしんどい話だ。パートナーがどんな考えであなたと子育てをするかはわからないが、「赤ん坊と2人で過ごす何もしない時間」はあなたの自由時間だと考えるパートナーもいるかもしれない。

あなたにとって最もよい自由な時間って何だろうかと考えた時、それは「あなたが自力でできる範囲で、その時にしたいと思ったことが自由にできる時間」だと思う。これ以上に良い自由時間はないはずだ。

あなたが普段行かないような高いレストランでご飯を食べることや、普段泊まれないような高いホテルの一室で仮眠を取ることを私の自由時間だという人はいないだろう。それはあなたの自由の範囲を超えている。

しかし、あなたが行きたい場所に行けて、好きな音楽が聴けて、好きな本やマンガが読めて、眠いと思ったら好きな姿勢で寝れて、お腹が空いたら(自分の財布と相談しながら街中でふつうに買える範囲で)好きなものが食べれて、友人と話したければ(その友人の都合が悪くなければだが)話して、好きなゲームやスポーツで遊べる時間は紛れもなく自由時間だと言えるはずだ。

ただ私は本当に自由な時間と、周囲が与えてくれる「自由時間」には大きな差があると思う。もっと言えば、周囲が与えてくれる「自由時間」を本当に自由な時間として使える人はかなり少ないと思っている。

会社の与えてくれる「自由時間」で本当に自由な時間を過ごせることもあるだろう。今日は座ってぼーっと過ごしたいと思うとき、「自由時間」ならほぼ間違いなく座ってぼーっと過ごすことができるだろうし、イヤホンで音楽を聴きたいと思うとき、「自由時間」ならイヤホンで音楽を聴くことができる会社も多いだろう。

今あなたがしたいと思ったことができたなら、そこがどんな環境であってもあなたにとっての自由時間だったと言えるだろう。

ただ実際は、外に出て日光浴をしたいと思ったときでも、会社のルールで「自由時間」であっても外に出ることができないことはあるだろう。寝たいと思った時、「自由時間」であっても人目が多くて寝れない環境は少なくないだろう。これは本当に自由時間なのだろうか
ここまで読んでくれたあなたならわかるだろうが、私の考えは「否」だ。

そもそも自由時間以外の時間はすべて、あなたが生きるために最低限必要なことに使っている時間のはずだ。仕事や学校で過ごす時間も、食事の時間も、睡眠時間も、入浴や洗濯、掃除の時間もすべて、あなたが社会で生きる一人の人間として絶対に必要な時間だ。学生や働く社会人なら、この時間が一日のほとんどを占めている人が大半だ。
ただ一日のほとんどを占める自由時間以外の時間は、あなたが生きるための行動に必要な時間であって、あなたが幸せになるための活動は含まれていない。生きるために働き、食事をし、風呂に入り、洗濯や掃除をし、しっかり眠ったとしても幸福度は0までしか上がらない。つまり、自由時間であなたが幸せになるような行動をしなければ、幸福度を0より高くすることはできない

なのにその自由時間であなたがしたいことができないなら、それは単なる「待機時間」だ。待機時間はけして自由時間ではない。最大限にポジティブに表現しても「仕事をするために体力を回復する時間」、つまり「休憩時間」でしかない。


現代人、特に日常をせわしなく過ごす現代社会人にとって、自由時間は間違いなく大切で貴重な時間だ。そこであなたに聞きたいことがある。

あなたは、あなたが本当にしたいことができる自由な時間を、平日と休日でそれぞれどのくらい取れていますか?その時間は、あなたがしたいことをするのに足りていますか?もしよければ、コメント欄で教えてください。


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