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即応予備自衛官制度はなぜ失敗したのか?

・即応予備自衛官とは

 即応予備自衛官(以下即自)とは、平成9年(1997)に創設された比較的新しい制度で、従来の予備自衛官制度では練度の維持や招集時の運用・管理に問題があったため、より動きやすい、「使える」予備自衛官制度としてはじまったのがこの即応予備自衛官の制度である。従来年間5日の訓練しかしていなかった予備自衛官に比べ、年間30日もの訓練時間があり、手当(お金のこと)なども多いことも知られている。では即自とその制度には具体的にどのような特徴があるのか見て行こう。なお、即応予備自衛官の手当て、つまりお金に関する記事はまた別の機会にやろうと思うので今回は触れないので、ご了承いただきたい。

 ・指定部隊やその他の特徴

 即応予備自衛官こと、即自の制度で最も特徴的なのがこの指定部隊の制度である。指定部隊とは、即自の隊員が普段の訓練でも招集時でも、そこに所属して動くための部隊である。予備自衛官は普段地方協力本部(地本)が管理し、招集時に出頭した後、所属部隊に割り当てる手間を考えるとその点では即応性が向上したと言えるかもしれない。この指定部隊は通称コア部隊とも呼ばれ、普段は基幹要員と言われる中隊長や小隊長などの指揮官や中隊本部なのどの本部要員しか持たず、訓練や防衛・災害派遣などの招集時に即自の隊員を集めて充足させる部隊である。つまり、コア部隊は普段は少ない人員で維持し、いざという時や必要な時に即自の隊員を招集して部隊を完成させるというシステムなのだ。

 隊員は指定部隊に所属し、その指揮下に入るという点では予備自衛官よりも常備自衛官に近いシステムと言えるだろう。訓練に出頭するごとに制服や半長靴が貸与される予備自衛官と違って、即応予備自衛官は専用の装具が貸与される。身分証明書も常備自衛官に近いカード式のものであったと記憶している。また即自には即応予備自衛官雇用企業給付金といって、本人だけでなく雇用企業にも給付金が支給されるという制度もあった。これも予備自にはない制度だ。

即自招集のイメージ

 

 ・即応予備自衛官の訓練

 即自は従来の予備自衛官と比べて訓練時間が長いのも特徴だ。しかもただ長いだけではなく、隊員を部隊の一員として動けるよう、より実戦的な訓練となっている。具体的には、個人としての訓練と部隊としての訓練があり、詳しくは防衛省・自衛隊のホームページなどに載っているのでそれを見てもらいたい。訓練の内容を解説すると、大きく分けて二種類あり、個人としての訓練と部隊としての訓練だ。まず「個人としての訓練」を説明すると、健康診断や体力検定、射撃訓練などの個人としての技量を養成するものである。これは予備自の訓練に近いかもしれない。もちろん予備自よりはずっと時間も長く、部隊の一員として使えるようにするという目的のもとで行われているということは言うまでもない。次に部隊としての訓練だが、これは文字通り部隊として上手く動けるかどうか実際に動いて訓練することだ。頭でわかっていても実際に動けるかどうかは別の話。班・分隊(10名ほど)レベルから、小隊(30~40名規模)、中隊レベル(100~150名)での行動を想定して訓練をする。自衛隊は陸海空問わず、部隊で行動する組織なので組織的な行動と、そのための訓練は必須と言えるだろう。

 即応予備自衛官の訓練は単純に時間が長いというだけでなく、より実戦的で目的を持った訓練と言えるかもしれない。

 ・制度創設の経緯

 即自の制度は平成7年(1995)11月28日、安全保障会議および閣議において決定された「平成8年度以降に係る防衛計画の大綱」、いわゆる防衛大綱によって決定されたものである。平成9年(1997)に制度がはじまり、翌年から指定部隊の改編、創設などが行われた。

 平成元年(1989)にベルリンの壁が崩壊し、その年の12月にはマルタ島でソビエト連邦のゴルバチョフ書記長とアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領が地中海のマルタ島で会談して、冷戦終結が宣言された。冷戦体制の崩壊は、これまでの大規模な戦いを想定した軍隊の姿を変えることになる。具体的に言うと、世界的に大規模な軍隊の縮小、つまり軍縮が進んでいいくことになったのだ。当時、自衛隊最大の仮想敵国であった極東のロシア軍の脅威は小さくなり、同盟国であり世界最大の軍事大国でもあるアメリカ合衆国も軍の規模を縮小しつつあった。冷戦終結当時はまだ中華人民共和国の人民解放軍も陸軍の規模は大きいけれどそれほど脅威ではなかったので、自衛隊の規模縮小は決定的であった。冷戦終結時の日本ではバブル経済も崩壊しており財政的な状況も厳しくなっていたので防衛費の削減圧力は強まっていた。当時は防衛省ではなく、防衛庁という内閣の外局であったし、自衛隊の活動もそれほど国民に認知されていたとは言い難い状況であったので、政治的にも社会的にも自衛隊の立場は強くなかった。また、現在でもそうなのだが防衛関係費で一番多いのは人件・糧食費である。早い話が、隊員を雇うのに使うお金のことだ。特に1980年代から90年代にかけてのバブル経済の頃は、自衛隊の定員がピークに達するとともに、隊員の募集難もピークに達していた。このため各種手当や給与などを増やし、生活環境を改善するなどお金をかけて、何とか隊員を自衛隊に繋ぎとめているという時代でもあった。

 したがって防衛費を減らすための一番の近道は、隊員の数を減らすことにある。そしてその隊員が一番多いのが陸上自衛隊であった。陸自では冷戦体制の崩壊に伴い、隊員の数を減らす必要が生じてきた。

 ・幹部要員の数を減らさずに名目的な戦力を維持する

 陸軍においてもっとも手っ取り早く将兵の数を減らす方法は、部隊の数を減らすことである。部隊を減らせば、それに伴う人員も多数いなくなることになる。先述した平成8年以降の防衛大綱でもいくつかの部隊が、師団から旅団に「縮小」され、部隊や定員が減らされた。そこで懸念したのが非任期制の隊員である幹部や曹たちである。彼らは部隊が減ればそれに伴うポストが減ってしまうことになる(※1)。曹クラスなら他の使い道もあるが、連隊長や中隊長といった高級幹部のポストが減ることは、彼らの出世にも影響するし、避けたいところであった。そこで、幹部(ここで言う幹部は旧軍で言うところの将校ではなく一般的な意味での幹部であり陸曹などの基幹要員も含む)のポスト数を維持しつつ、隊員の数を減らすことのできる、即自のコア部隊の創設は当時の自衛隊幹部たちにとってひじょうに都合の良いものだったと言えるだろう。

 平時において常備の隊員の数を減らすことができるというのは、人件・糧食費の削減という意味でも効果はあった。昔から常備軍というのはお金がかかるもので、兵士たちは何もしていなくても食糧を消費するし、必要な報酬を支払わなければ反乱が起こってしまう。

 即自ならば年間30日の訓練日だけ招集すればいいので、極端な話、人件・糧食費を12分の1に減らすことができるのだ。二尉、三尉クラスの訓練出頭手当は一士や士長クラスよりは高いものの、常備自衛官として一か月勤務させるよりは、はるかに安い。

 また、部隊によっては常備自衛官の充足率を上げる効果も期待された。というのも、先述したようにバブル時代は超募集難の時代であり部隊の充足率はとても低く、そのままでは運用に支障の出るレベルであった。いざと言う時は、充足率の低い部隊に予備自衛官を投入して充足率を上げるということも想定されたが、言うまでもなく予備自衛官には練度に不安がある。そこで、あえて平時は充足率の低い即応予備自衛官主体のコア部隊を作り、他の常備部隊に隊員を回して充足率を上げるのである。

 このように、即自の制度はいいことづくめのようなものに思われた。もちろんこれは机上の想定の話である。

 ・制度運用の開始と当初の展開

 こうして即応予備自衛官こと即自の運用は、鳴り物入りで始まった。新たに部隊をコア化する(指定部隊にする)にあたって、隊員が使う装備を買い揃えたりしたので、多くの部隊では即自の方が常備の部隊よりも装備が新しいという状況も散見された。予備自はボロボロの使い古された作業服や半長靴が貸与されていたのに対し、即自は比較的新しい戦闘服が個人ごとに貸与され、専用の識別帽などもあって眩しく見えたものである。

 また、開始当時の指定部隊は「師団」の指揮下にあり、他の常備の普通科部隊とともに行動することが想定された。先に常備自衛官に近い制度と紹介したけれど、即自はほぼ常備自のような役割が期待さていたのである。


 ・理想と現実~即自の使い難さ~

 以上のように即自の制度は、ポスト冷戦の自衛隊の新しい形として非常に期待された状態で始まった。米軍の予備役州兵の制度を参考にした制度であったが、運用が当初の期待通りに行っていたとは言い難い。

 まずはその使い難さである。予備自と違って、即自は既に所属している部隊が決まっているので招集は容易かもしれない。だが、時代は自衛隊により早い即応性を求めていた。特に大規模な災害では人命救助の観点からも迅速な展開が必要とされる。そのような状態で常備自衛官ならば電話で呼び出してすぐに出動ということも可能だが、即自は雇用企業との調整もあってすぐには出発できない。このような状況で常備部隊と同じように行動するというのは土台無理な話である。そもそも調整によっては期待通りの部隊数が揃わない場合もある。

 というのも、常備自なら所属隊員の数は把握しており、決まった人数を派遣することも可能だが、即自の場合はたとえ100名所属していたとしても100名が全員出動できるとは限らない。先ほどのように雇用企業との調整や、常に人員を把握しているわけではないので、人によっては連絡がつかなかったりして、指定の時間までに決まった数を揃える見通しが立て難い。練度も個人差がある。19世紀から20世紀初頭にかけての戦争だと、国は戦争を決意すると国内の予備役を招集し、そこから部隊の定員を充足させてから戦闘に至るので、ある程度の時間的余裕があった。即自の制度も、そのような時代を想定しているような制度なので、そもそも現代の自衛隊の任務には適していないと言えるだろう。一応予備自衛官および即応予備自衛官は自衛隊法に規定のある防衛招集に応じなかった場合は処罰される規定があるのだが、これを地本の説明で聞いたことはない。

自衛隊法 第百十九条 次の各号のいずれかに該当する者は、三年以下の懲役又は禁錮に処する。
四 第七十条第一項第一号の規定による防衛招集命令を受けた予備自衛官又は第七十五条の四第一項第一号若しくは第三号の規定による防衛招集命令若しくは治安招集命令を受けた即応予備自衛官で、正当な理由がなくて指定された日から三日を過ぎてなお指定された場所に出頭しないもの

  即自がはじまった当初、まだ自衛隊は今ほど災害派遣には熱心ではなく国防の付帯業務くらいにしか思っていなかったのだが、現在が大雨などの災害が頻発しており、デジタル化された社会インフラは物理的な災害に弱い傾向にあるので、特に素早い動きが求められる。即自もすでに何度か災害派遣に参加しており、よりそれに対応する組織が求められるのではないだろうか。

 ・即自隊員の不足と能力のミスマッチ

 即自制度の当初からの問題であり未だに解決できないものとして、隊員のなり手不足がある。隊員不足は常備自衛官も同様であるが、即自の問題は常備以上に深刻である。

 即自は予備自よりも手当の面で優遇されてはいるものの、訓練日数は六倍の30日間である上、その内容も部隊訓練などがありハードである。常備自衛官でもないのに常備並みの訓練をして、それでいて貰えるお金は常備よりもはるかに少ないのだ。ずいぶん前に即応経験者に話を聞いたところ、即応を志願した理由として手当の多さ(つまりお金)を理由に上げる人も少なくないという。確かに即応で貰える手当は年間で50万から60万くらいで予備自よりは多いし、本業の他、年に30日間アルバイトをするよりは稼げるだろう。だが肉体的・精神的な負担は重く、それに見合うだけの価値を見出せるのかはその人次第である。また、当初は常備自衛官を退職した隊員だけを募集の対象にしており、年齢制限もあったため、対象者が限られてしまった。手当がもっと上がれば志願する、と言う予備自隊員もいたけれど、人件費を節約するために始めた制度でお金がかかってしまっては本末転倒であろう。ただ常備自よりもはるかに安いお金で同じ戦力を維持しようなどというむしのいい話が通るわけがない。

 また、隊員の能力のミスマッチという問題も残されていた。特科(砲兵)や機甲科(戦車兵)などの職種(兵種)の退職自衛官もしくは予備自衛官が即自を希望したとしても、その人たちが住んでいる地域に希望の職種の部隊がいるとは限らない。現在、ほとんどの即自指定部隊が普通科(歩兵科)の部隊であり、航空科や通信科などの職種経験者がいてもその経験を生かすことはできず、普通科になるしかないのである(※2)。

・その後の制度変更

 鳴り物入りで始まった即自制度であったが、その後は何度も制度の見直しが行われた。当初の平成8年度以降に係る防衛計画の大綱(07大綱)では15000人を目指していた定員もその後の大綱(16大綱)では7000人規模に縮小され、その後少し増えて約8000人規模(7981人=自衛隊法75条の2 第2項)とされてる。しかし、先述の通り隊員のなり手不足が響いて充足率は決して高くない(※3)

 このため、自衛隊は採用基準を見直し、二曹から一士までは50歳未満、二尉から一曹までは52歳未満と年齢制限を緩和。更にこれまで常備自の退職者、もしくは常備自衛官経験者の予備自のみだった募集対象者を予備自衛官補出身の予備自(公募予備自衛官)にも拡大して定員の充足に努めている。

 また、指揮系統も常備部隊と同じ師団隷下ではなく、方面混成団という師団よりも上の方面隊の指揮下で動くようになった。常備の部隊と同じように、とは行かなくなったけれど、自衛隊の不足を補うための部隊として東日本大震災を皮切りにいくつかの災害で招集され、派遣されるようになった。

・即自は今後、どのように運用すべきか(提案)

 ここまで即自こと即応予備自衛官の制度の概要や沿革を見てきたわけなのだが、今後どのように運営すべきだろうか?

 制度を散々批判したあげく、タイトルで「失敗」とまで断言した筆者には建設的な議論のため、何等かの提案をする義務があるだろう。

・防衛省・自衛隊の後方勤務者を即自に

 まず、個人的な印象として即自の制度を考える人たちには当事者意識が足りない気がするのだ。即自の隊員を増やそうと考えている人たちはそのほとんどが常備の隊員であり非任期制の隊員(事務官も含む)であろう。それでは即自の気持ちなどわかりようもないし有効なアイデアは出てこない。毎月きまった給料が保障されている公務員が生活に困窮する国民の気持ちに寄り添えないのと同じである。そこで提案なのだが、自衛隊や防衛省の職員など、内部の職員が即応予備自衛官になればいいのだ

 これまで防衛省や自衛隊は民間の会社に即応予備自衛官を雇ってもらおうとばかり考えていた。だから企業に対する給付金などもある。しかし、不思議の国のアリスに出てくるトランプの兵隊みたく、お金に手足が生えて勝手に働いてくれるわけではない。働くのは人間である。即自隊員を雇用する職場にどのような問題があるのか、また即自隊員自身には、訓練や招集に参加する際にどのような問題があるのか。それを解決するため、自衛官や防衛省職員が自ら即応予備自衛官となり、問題の解決をはかってもらいた。まさに隗より始めよである。

 さすがに現場の部隊にいる人間はそっちの任務が優先なのでできないけれども、例えば防衛省本省や地方協力本部、各部隊の業務隊など後方勤務をしている隊員が即自の部隊にも所属すればいい。自衛隊は頭の固い組織なので、隊員が同時に二つの部署や部隊の指揮下に入ることについて嫌がるかもしれない。とはいえ、地方協力本部や業務隊などの後方で勤務している隊員も、いざというときは前線の部隊に改めて所属して活動をするのである。だったらよく知らない部隊に行くよりは、事前に知っている部隊に所属させ、定期的に訓練を受けた方がいいのではないか。民間で働いている人間の招集受諾率の計算は難しいけれど、同じ自衛隊内ではあれば簡単だ。

 こいういうことを言うと、防衛省の仕事に支障が出ると反論する隊員もいるかもしれないが、即自の隊員が抜けて支障が出るようなら職場のシステムそのものを見直すべきである。自分たちが出来ないことを民間の企業にやらせるなんて、そんな酷いことはあってはならない

・訓練日数(時間)の見直しと職種

 現在即自の訓練日数は年間30日でありこれが隊員の大きな負担になっていることはすでに述べた。法律では即自の訓練日数は「一年を通じて、三十日を超えない範囲内で防衛省令で定める期間」(75条の5第3項)とある。ちなみに年間5日の予備自の訓練は「一年を通じて二十日をこえないもの」(71条第3項)である。30日は省令で定めるものだが、ここも柔軟に運用してもいいのではないか。

 さすがに年5日は短いと思うけれど、例えば10日とか15日などのプランがあってもいいのではないか。

 それでは練度が維持できないと反論があるかもしれない。だが即自が常備自と同じように運用できるという考えは机上の空論であり絵に描いた餅であることはすでに述べた。また、東日本大震災などの大災害やいくつかの災害派遣で即自のいる部隊が派遣されていたけれど、数は決して多くない。数は多くなくても即自は現場で立派に働いたんだ、と言いたい気持ちもわかる。それでも同じ数なら常備自の方がいい働きをするだろうし、特にマンパワーが必要な災害現場ではまとまった数が揃えられる常備自の敵ではない。

 となれば、やはり即自にはそれにふさわしいステージがあると思うのである。常備自と同じ働きができるのなら常備自になればいい。

 例えば現役で警備員をやっている人たちならば、駐屯地の警備にも能力を発揮してくれるのではないか。自衛隊と民間では警備方法も大きく異なるとは思うが、それを訓練という名の勤務を通じてすり合わせていけばいい。陸自は海空自と違って常設の警備隊を持っていないけれど、即自を対象とした警備専門部隊を作るのもいいかもしれない。

 そして即自にもっともふさわしい職種を考えるとやはり医師や看護師などの医療従事者ではないだろうか。災害でも戦争でも医療関係者は最も必要でありまた不足する職種の一つだ。自衛隊の医師や看護師は、正確には医官、看護官と呼ばれ、技官や事務官と違って自衛隊内でも階級を持つ立派な自衛官である。

 毎年一回は野戦病院などを想定した訓練をするのもいいけれど、それ以外も普通に自衛隊病院や駐屯地の医務室などで働いてもらうのである。先ほど即自を送り出す職場の負担、という問題も考えてみたけれど、医療従事者を即自として送り出す病院には、今度は自衛隊から常勤の医師や看護師を派遣してはどうだろう。即自の職員が訓練(自衛隊勤務)に出ている間、代わりの職員が来るのならば職場の負担も軽減されるのではないか。慣れない職員が来るのは負担かもしれないけれど、それは自衛隊側も同じである。むしろ人事交流として活用していただきたい。コロナ禍で医療従事者が不足する中、自衛隊の看護師(看護官)が災害派遣として北海道や大阪など外の病院に派遣されたことが何度かあった。このような事態の練習のためにも、自衛隊の医療従事者を積極的に送り出すとともに、外部の医療従事者を受け入れる体制を作ってはどうだろうか。

医療職即応予備自衛官の訓練イメージ

 医療従事者なら予備自衛官補から予備自、そして即自になることも可能であろう。医療従事者というリソースが有事に際して必要不可欠なことは今更言うまでもないのだが、その数にも限りがあるので有効に使えるようにする必要がある。そのためには自衛隊だけでなく厚生労働省や医師会、各自治体など幅広い協力が必要になってくるだろう。

・終わりに

 現在、隊員募集の難しさは予備自だけでなく常備自にとっても深刻である。その中でも即自は最も深刻な隊員不足に陥っている。元々採用条件が限られていた中での募集なので関係者も頭を悩ませていことだろう。

 即自は災害での派遣実績もある。首都直下型地震や大雨、台風などの大規模災害は今後も発生する。そんな中で自衛隊の活動は国内外問わず今後も期待されるだろう。しかし少子高齢化の影響もあって自衛隊では今後も人材不足は続くと思われる。ゆえに予備自衛官や即応予備自衛官も生かしていかなければならない。

 だが自衛隊の仕事だからといって自衛隊だけが頑張っても仕方ない部分がある。近年では「民軍協力」という言葉もあって、政府機関やNGO(非政府組織)、自治体、企業などと軍が協力して平和を構築するという概念だ。平和の創造は軍だけでなくその社会にいる人々みんなが達成すべき目標であり、後世に残すべき財産である。これは自衛隊においても同じことである。災害派遣では、自治体や地元の人たちとの連絡が欠かせない。

 今回、看護師の即自化の提案もさせていただいたが、これを上手く運用するためには、厚生労働省をはじめ自治体や病院など様々な組織や人々と協力していく必要があるだろう。自衛隊は国民のための組織であり、その目的は国民のためにならなければならない。即自に限らず、常備自でも単純な充足率という数字遊びになるのではなく、いかに国民のためになるかを考えて制度を作るべきである。そのためにも柔軟な発想で(※4)物事を考えて行く必要がある。〇〇の一つ覚えのように企業側のインセンティブが~、などと言っているだけでは何も変わらない。もっと根本的な所から見直して欲しい。これまでの即自の運用や採用は人を制度や組織に合わせるものであった。けれども、今後は制度や組織を人に合わせるようデザインしていかなければ、永続的な運用は難しいのではないだろうか

 

 脚注

(※1)旅団化によって、例えば普通科連隊では重迫撃砲中隊や対戦車中隊が小隊に「格下げ」された。他にも大隊が中隊に、中隊が小隊にと部隊が縮小され、定員が縮小されることになる。

(※2)たとえ普通科の部隊でも衛生科や通信科など、経験が生かせる職種もある。

(※3)充足率もおよそ6割程度と低いが訓練出頭率も低い。仮に即自になっても訓練に出ないことには意味がないのだ。

(※4)自衛隊が最も苦手な作業の一つ。

 

 

 

 

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