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生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ、は使われてなかった?

古典強化月間は継続中で、今は『十二夜』を読んでます。

四大悲劇を制覇したいんですが、基本的に「古典強化月間」は(超私的に)無料、タダで読める(厳密には Kindle Unlimited の読み放題対象)ものに絞っているので、その対象外な『オセロー』だけはまだ手つかず。

ちなみに四大悲劇とは

・リア王
・マクベス
・ハムレット
・オセロー

ですね。

『オセロー』以外はすべて無料(Kindle Unlimited 会員なら読み放題)です。

と思ったら、知られた出版版でなければ、読み放題対象のものがしっかりありました。

ということで、これでシェイクスピアの四大悲劇は無料でコンプリートできますね。

枕はさておき本題へ。

シェイクスピア作品といえば四大悲劇のひとつでもある『ハムレット』。

そして、そのなかで最も有名、知られているセリフといえば

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」

でしょう。

原文だと

To be, or not to be, that is the question.

別の投稿でも触れましたが、原文のほうが抽象度が高いというか、より広義にとれる表現なんですね。(直接的には「生きる」も「死ぬ」も込められてはいない)

それはともかく。

この、かなり知られた訳(生きるべきか、云々)がじつは、実際には訳出には使われていなかったことを最近知りました。

厳密には、わりと最近に以下の翻訳版が出るまで、なんですけどね。

この翻訳版は、野村萬斎さんからの委託で、彼がお芝居で主演する「ハムレット」講演のために訳し下ろされたもの。

なんと、あれだけ人口に膾炙した(ようするに、一般的に知られた)翻訳は、本作にいたるまでは採用されていなかったという。

しかし、「ハムレット」もグイグイと死にますねぇ。

「死」イコール悲劇というつもりはないですが、やるせない(悲劇)という意味では、さすがの四大悲劇の one of them.

ちなみに、これまでの訳(To be, or not to be, that is the question.)にどんなものがあったのか、いくつか紹介すると

死ぬるが増か生くるが増か思案をするはこゝぞかし
(1882年 外山正一)

定め難きは生死の分別
(1905年 戸澤正保)

古いものだとこういった、かなり時代がかった?訳があったり。

本稿で触れている新訳版に近いところでは

生きるか、死ぬるか、そこが問題なのだ
(1949年 市河三善・松浦嘉一)

生きているのか、生きていないのか。それが疑問だ
(1950年 並河亮)

生か死か、問題はそれだ
(1983年 安西徹雄)

生きるか、死ぬか、それが問題だ
(2002年 野島秀勝)

シェイクスピア作品のひとつをとってみても、翻訳(ある言語から別の言語に訳出する)って、いろんな意味で興味深い。

そしてそれは、できるかぎり原文にも触れておくことで味わえるものなんじゃないかなと思う今日このごろ。

個人的には「To be …」よりも、以下の台詞のほうが深く刺さり、印象深いんですよね。

Assume a virtue, if you have it not.
美徳がないなら、あるつもりにおなりなさい。

これはハムレットが母(前王を亡き者にした前王の弟とすぐに再婚した)に向けたもの。

間に「せめて」と入れたいというか、それが込められているように感じられます。(ないなら、せめて、あるつもり、ふりをしろ、と)

これ、より現代的にもちいるなら、こんなふうではないかと。

Fake it until you make it.

ようするに、もっていないなら(せめて)もっているふりをしろ

ってことです。

わたしはこの表現、好きです。

自己啓発(その価値、意味みたいなものは別にして)なんかでもよく言われることです。

ひとは、とかく「持ってから始まる」と思いがちですが、それだと、持たないといつまでも始まらない。

だったら、逆転させて、持ってないけど持っている「ふりをする」。ことから始める。

そうすることで、そのマインドセット(この表現も好きではないんですが)に相応しい状態(have の)が得られる。

そこからはじめようっていうのは、ある意味コペルニクス的転回で好きなんですよね。

「ふり」を侮ってはいけません。

もちろん、本気が大前提ですけどね。

have と be については、以下の投稿でわりと熱く語っています。


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