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シェイクスピアを日本語で読む意味はあるのか
結論からいうと「それなりに」はあります。
そもそも、われわれ日本人の多くは英語圏の人たちと比べると、彼らの文化的背景、文化的コモンセンス(常識)の理解(それ以前に「知らない」)が圧倒的に足りません。
わかりやすいところからあげれば
シェイクスピア(作品)、聖書、アリスもの(ルイス・キャロル)、フラットランド(アボット)などなど。
聖書なんて人類史上、最大のベストセラーですからね。
わたしも齋藤孝さんの『声に出して読みたい〜』くらいしか読んでませんが。
それはさておき。
いわゆる成熟した大人の「教養」といえば、最低限、上記であげたような古典のたしなみは必要なようで。
その意味でも(たんに作品を楽しむだけでなく)ある程度は「たしなんで」おいたほうがいいのでしょう。
聖書はちょっとキツイ、、わかります。
それなら、まずはシェイクスピアあたりからってことで。
でも、シェイクスピア作品って、翻訳(日本語訳)版を読んで意味ってあるのかなと思います。
もちろん意味はあるんですが。(意味はそのもの自体が持つのではなく、相対する読み手の目的(ゴール)、素養、コンテクストによって生まれるだけなので)
ただ、翻訳だとやっぱり本来の意味、その大部分がすっぽり抜け落ちる感があるんですよね。
よく知られたセリフをあげれば
マクベスでは
きれいは汚い、汚いはきれい
がありますが、この原文は
Fair is foul, and foul is fair.
オリジナル(原文)では、もっと抽象度が高いっていうか、広義なんですよね。扱っている言葉が。
ハムレットだともっと知られたあのセリフがありますね。
生きるべきか死ぬべきか。
それが問題だ。
To be or no to be: that is the question.
こういうのって、翻訳版だけしか知らないのと、原文(たとえ部分的であっても)も知っているのでは雲泥の差です。
もちろん、ネイティブスピーカーでないひと(わたし含む)が、いちいちDeepLなどの翻訳サービス、アプリケーションを使ってとかやってられませんから、必要に応じてっていうレベルにとどまりますけどね。
そして、仮にネイティブスピーカー並に英語を扱えて、理解できればいいのか(シェイクスピアの作品世界をネイティブスピーカー並に堪能できるのか)というと、そんなことも「まったく」ないわけです。
その言語「そのもの」だけでなく、そこに付随する文化的背景などのコンテクスト(文脈)も作品には含まれているので。(これはどの言語表現でもいえることです)
それを知らなければ、ただの翻訳で終わってしまいます。
そしてそれならば、そこまで原文を読む、理解することにこだわる必要はないのかなと。
そこまで時間、人生を捧げる覚悟、必要性(ゴール)があるひと以外は。
ただ、それでも「筋」くらいは知っておくのは有効でしょう。
いろいろと、この面白きこともなき世の中を、少しでも面白く生きていくのであれば。
最後に、最近いろいろ話題、盛り上がっているAI(ChatGPT)とのやりとりも掲載しておきます。
問:シェイクスピア作品は、原文で読まないと意味はないですか?
回答:シェイクスピアの作品は、英語を母国語としない人にとっては、原文で読むことが難しい場合がありますが、翻訳版でも十分に楽しむことができます。ただし、シェイクスピア作品は、原文で読むことでより深く理解することができます。
シェイクスピアの作品は、古英語や中英語の表現が多用されており、文法や表現方法が現代英語とは異なるため、原文で読むことは翻訳版よりも理解に役立ちます。また、シェイクスピアの作品は、語彙や表現が豊富で、翻訳版では伝えきれない響きやニュアンスがあります。
しかし、原文で読まなくても、翻訳版であっても、シェイクスピアの作品は世界的に有名な文学作品であり、多くの人々が楽しんでいます。
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