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小説 ありふれた罠①

 今日も晴れているのがよく分かる。カーテンから漏れる光はとても眩しかった。私はベッドから体をよじらせて、起き上がる。カーテンを開けると、眩しい光は私を包み込んでくれるようだ。

 気分よくスマホをチェックすると、今までの明るい光は黒雲に遮られ、私の周りを闇が覆った。LINEにメッセージがあったのだ。メッセージの相手は私の夫である。

「チッ、またLINE来てたよ」

 思わず舌打ちをしてしまう。学生の頃から直さないといけないと言われていた癖だが、30を過ぎた今でも直せていない年代物だ。

「美咲、いつになったら帰ってくる?」

 夫からのメッセージは毎日、何通も届く。そのことに対して、私はいつも苛立ちと恐怖感を覚えている。いつになったら、大人になってくれるのだろうか。そんな思いを抱きながら、どうしてもLINEをブロックできない。

 夫は私の全てを支配下に置こうとした。結婚当初は、通帳の管理もしてくれるし、新居になる賃貸マンションやその他のややこしい電気や水道などの面倒な契約もしてくれた。さらには引っ越しも彼の仕切りでスムーズに進んでいったのだ。私としては、大助かりで、何ていい夫を捕まえたのだろうと浮かれた気分になったものだった。

 しかし、次第に夫の本性が明らかになるに連れ、私はその性格に失望し、ウンザリしてしまう。朝は必ず白米を食べていかなければならず、例えば、私が寝坊したとかで朝食にパンを出そうものなら、夫はヘソを曲げ、
「いいよ、コンビニ行っておにぎり買うから」
と言って、一目散に会社へ行ってしまうのである。

 それだけではない、何一つ私の思う通りにならないのだ。食事は自分の好きなものでないと家を出て行って外で食べてしまう。例え、家で食事をしたとしても
「まずい。もっと美味いもの作ってよ」
「温かい料理が出てくることにありがたさを感じない」
と言われる。さすがに怒りが爆発して、私がキツいことを言うと、反省したのか必要以上にシュンとなって自分の殻にこもってしまう。しかし翌日になると、今までと変わらぬ態度で私に接してくる。そのスパイラルを2年近く繰り広げてきたのだ。その度に、罪悪感に苛まれ、
「この人には私がいなきゃダメなんだ」
という意識を植え付けられた。

 通帳の管理にしても、夫が自分の思う通りにしたいが為に家計を握るのが目的だったような気がしてならない。実際、自分のものは惜しみなく買う癖に、家で使う物にはとことんケチだった。私が風邪をひいて39度の高熱が出た時も、
「病院に行きたい」
と言うと、あの手この手で言いくるめようとし、結果として反論する気力を失わせるという姑息な手段で、お金をケチったのである。

そんなある日のことだった。夫が仕事で大きなミスを犯してしまったと家に帰って早々にしてきたのだ。話によると、取引先との重要な商談に遅刻し、向こうの担当者を怒らせてしまったらしい。私も納期が近く、切羽詰まっていたこともあるのだが、
「遅刻したの?社会人として失格じゃない。これをキッカケに気を付けることね」
と意地悪く言ってしまった。傷つけるつもりはなかったけれど、普段から高圧的にされてきたから、つい反撃してやろうと思ったのも事実だ。あまりにうじうじしているので、「チッ」と舌打ちした後
「こんなことじゃ死なないんだから、いつまでもうじうじすんなよ」
と怒りの篭った口調で言ってしまった。その後、大騒ぎになることなど予想もしていない私は、大人しく寝たのを見て
「たまにはいい薬になるわね」
と思いながら寝たのだった。

次の日の朝、異変は突然にやってきた。夫の姿がどこにもない。近所の公園やコンビニをまず探したが、見当たらない。駅前の図書館、スーパー、映画館にも当たってみたが、やはりいない。

半日かけてあちこち探し回って、いよいよ警察に届け出ようと思っていたところ、スマホに着信があった。見慣れない番号に怪しさを感じながら電話に出ると、男の声がした。男はまず隣市の警察署のナカガワという警察官だと名乗った。
「あなたのご主人なんですが、警察暑近くの公園で首を吊ろうとしていたところを保護しまして…」
「それで、夫は無事なんですか?」
「はい、無事に保護いたしまして、怪我はありませんでした」
そう聞いただけで、心臓が止まりそうになった。時を同じくして身体中の力が抜けて、その場にひれ伏した。
「今すぐそちらに向かいます。はい、申し訳ありませんでした」

大急ぎで隣市の警察署へ夫を迎えに行った。署に着くとナガガワさんに生活安全課まで案内され、彼に会うことができた。憔悴しきっていて、頻りに誰彼構わずに謝り倒していた。そんな姿を見て、私は彼を抱きしめずにはいらなかった。
「美咲、ごめん。もう迷惑かけないから」
夫の声が警察署に響いた。

そんなこともあり、私がそばにいなきゃいけない、という思いが先行して、未だにLINEのブロックができないのだ。


あの警察沙汰となった出来事以来、夫は反省するかと思いきや、ますます私を支配しようという態度が明確になっていった。身体的な暴力は受けなかったけれども、自分のやることなすことを頭ごなしに否定されるようになった。自分の好きなアーティストや趣味、しまいには仕事にまでケチをつけ出すようになると、私は完全に疲弊し、目眩をよく起こすようになった。夫の目を盗んで病院に行ったこともあったが、私が入浴している間に財布を漁られ、診察券を見つけられてしまった。
「美咲、どこの病院に行ったの?」
と迫られ、その晩ずっと詰問された。SNSも禁止されて、愚痴を言う相手も遠のいていった。

そして、私は会社に1週間の休暇を申請して、実家へと逃げ出すことにした。朝、夫と一緒に会社を出る振りをして、そのまま、実家へと向かった。

電車に揺られること2時間、その間に実家にも連絡を取った。両親は突然の帰省に驚いたようだったが、事態を飲み込んでくれたのか、多くを語らず、ただ
「気をつけて帰ってこいよ」
と言い残して、電話を切った。その瞬間、私は涙をこぼしてしまった。袖で拭っても拭っても涙は止まらず、人目も気にしないで嗚咽した。

実家に戻るとすぐに、昔使っていた部屋に置いてあるベッドに横になった。それも家族は黙って見守ってくれた。元々は両親と妹、そして私の4人暮らしだったが、妹が関西の大学に行くことになって家を出て行き、私も就職の時に一人暮らしを始めた。だから、今は両親が犬の「はな」と暮らしているだけである。

ベッドの中で、私は夫にメッセージを残すのを忘れていたことに気づいた。LINEにメッセージを送る。送信する手が震える。もはや彼と関わる一切のことに恐怖感を覚えていた。
「しばらく実家に帰ります。急なことで、ごめんなさい」

最後の「ごめんなさい」は夫に対しての保険だった。本当に悪いのはあいつなのに…。悔しさが込み上げる。また泣きそうになる。部屋の外では、はなが何かを察したのか、珍しくワンワンと吠えている。私は、はなを入れてやることにした。はなは部屋に入るなり、クゥーンと鳴き私の元にやって来てくれた。はなを抱き上げた私は思いっきり泣いた。涙で目の前が何も見えなくなるまで。

#小説 #短編小説 #夫婦関係 #モラハラ


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