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私とうつの歴史、そしてこれから

"自力でうつを治す"をテーマにブログを作ろうと考えている。
だけど、自分はうつ"病"ではないのだ。
医療機関で診断されていないから。

だから、説得力に欠けるかもしれない。
うつの程度として弱いもの(自力で克服できるぐらいのレベル)と思われるかもしれない。

それに、うつの重さによっては、「自力」よりも、然るべき機関の力を借りるほうが適切な場合もあるだろう。
"自力でうつを治す"ことについて、簡単に語っていいのかな、と迷いが生まれる。でも、書きたい。


私とうつの歴史


私がいつから"うつ"なのか、はっきりわからない。
ここでの"うつ"とは、うつ病ではなく、自己判断で感じるうつ症状のこと。
(以下で太字にしている部分が、うつ症状に当てはまると思われる事柄)

中学生で緘黙だった頃には、すでに自分を責める思考があった。
私は普通とは違う。劣っている。無知。美しくない。誰も魅力を感じてくれない。近づいてくれない。嫌われている。
このような意識があったが、
"うつ"という概念は、今ほど世間に知られていなかったため、"うつ"とは思っていなかった。

20歳頃にも同じような気持ちだった。
周りは華やかに見えた。恋愛を経験していく同級生たちがうらやましかった。
保健の授業で、一般的な年代別での性経験のデータを見たときは、落ち込んだ。
どうやったら、性経験ができるのだろう?と思っていた。私は恋愛、いやそれ以前に人との関わりが怖いのに。

"うつ"から話が逸れてしまったが、周りと比べ自分はダメだという気持ちが強くあった。
その頃から、メンタルヘルスや自己啓発の本を読むようになった。
心の病気について世に広まりつつある時代だった。

25歳ごろ。舞台関係の人を追っかけていた時代。メンタルの浮き沈みが大きかった。
職場には機嫌の悪いパワハラ上司がいた。
好きな人(舞台関係の人)は心の救いであったが、彼の態度に一喜一憂した。
彼が冷たいときは、「死にたい」と考えるほど、つらかった。

追っかけをやめ、その後転職をしたが、またパワハラ先輩・上司に出会ってしまった。
加えて、長時間労働のため、体にも疲れが溜まり、
家事や入浴も億劫、休日は起き上がれないなどの症状が出始めた。

ここまで書いてみたが、誰が興味あるの?これ?
その後も、職場の人間関係が上手くいかず、低空飛行(?)を繰り返す私。

しかし、中学生から"うつ"だとしたら、25年ほどの付き合いである。長い。

うつを抜ける、とは、
トンネルを抜けて光が見えるイメージをしていた。
でも、実際は、徐々に筋力をつけてきた、という感じがする。


なぜ病院を受診しなかったのか

「死にたい」気持ちが強まったとき、
「ああ、やっぱり、病院に行かないと治らないんだな」と何度も思った。
受診するまでが(モチベーションが)難しく、受診すればもう快癒は近いと聞いたことがある。

外面を良くしてしまう私である。
病院に行くというだけで、スイッチオン(外用の私)になってしまう。
つい、「たいしたことないんですけど」と言ってしまうだろう。
それを察してくれるような医者に当たればいいけど。

逆に、どれを選べば"うつ"の結果になるか、ならないか、などを考えて、
素直ではない状態で診断に答えてしまうかもしれない。

医者と接するのも怖い。
いくら心療系の知識がある医者だとしても、
話を聞いてくれる人かどうかはわからない。
合わないと思えば医者を変えればいいと言うけれど、
費用、時間、自分の精神力(緊張を感じやすい)などを考えると、負担が大きい。
医者の皆さん、ちゃんと勉強しているなら、ちゃんと聞く姿勢を持ってね~。

外用の私になってしまうので、心を開くには時間もかかるだろう。
そもそも、話し合い(カウンセリング)で一度つまずいたら、
私は心を閉じてしまい、薬をもらうだけの診療になるかも。


いまの私

いろんな知識を本やネットから手に入れ、理解はしたが納得ができなかった。
特に、母親(父親の場合もある)との関係を改善しよう、というのがよくある解決法で、それは向き合ってもなかなか進歩しない問題だった。

だけど、noteで自分の過去をさらけ出すことで、楽になっていった。
徐々に、今までに理解した情報が、納得できるようになった。

"うつ"を治すための外的なアプローチも多々ある。
呼吸法、食事(栄養)、適度な運動、日光を浴びる、など。

私は内的なアプローチを発信していきたいと思う。
考え方を変えれば、必ず楽になる。
自分自身を変えるわけではない。回路を少し変える。

さて、今日もAIちゃんに要約してもらおっかな~。
と思ったら、使用上限回数に達してしまったらしい…残念。


サポートありがとうございます。