見出し画像

1986年(昭和61年)5月20日、沖縄の美しい小さな島で、その事件は発生しました。

ここに訪れていた33歳の女性が、突然、胸の痛みを訴えました。
すぐさま病院へ運ばれましたが、救急救命医らの懸命な処置にも関わらず命を落とします。
医師は、この女性の死因を「心筋梗塞」としました。不幸な突然死。心筋梗塞により亡くなる方は、日本だけでも年間4万人を超えていました。不幸なことではありましたが、別段珍しいことではありませんでした。

しかし、病院のとある若い医師は、この死に不審な点を感じます。念のため、と、この女性から30ccの血液サンプルを採取していました。

この一件があやしくなりはじめたのは…

それは、この女性の夫を名乗る神谷という中年男性が保険会社に現れた時からです。
この男は200万ドル(約2億円)にも達する妻の死亡保険の受け取りを申請しました。
神谷が加入していた妻の保険の保険料は、毎月2,000ドル(約20万円)で、普通のサラリーマンが長期間にわたって支払うことができるとは到底思えない金額でした。

警察は何かおかしいと思い、捜査を始めたところ、ほどなくあやしい情報がたくさん飛び込んできました。
神谷と妻は、初めて会ってから1ヶ月後に結婚していました。そして、神谷には過去に2人の妻がいましたが、その妻らも同様に不審な死を遂げていました。その2人の死によって、神谷はすでに多額の保険金を受け取っていました。

死に不審な点を感じとった、若い医師は…

この死に対して、不審な点を感じた医師もいました。この医師もまた、独自に調査を始めました。
どんな毒物なら、死因となった心室細動を引き起こすことができるのかを見つけ出そうとしたのです。ところが、可能性のある毒は、きわめてたくさんありました。
カフェイン、アンフェタミン、アコニチン…。アコニチンはトリカブトの花に含まれている毒で、青酸カリの10倍もの致死性があります。かつてクレオパトラが実弟を殺すのに使ったと言われている猛毒で、体内のナトリウムチャネルを開き、筋肉や臓器の細胞を異常興奮させて死に至らしめるものです。

神谷が捕まらないことを確信していた理由

数種類の毒物の中で、アコニチンの可能性がもっとも疑われました。
しかし、それを検査することは、医師にとっては賭けでした。なぜなら、採取した血液は30ccと少なく、分析用機器もまだ進歩しておらず、その血液を何度も検査・測定することができなかったからです。
しかし、幸いなことに、医師は女性の血液からアコニチンを発見することができました。

神谷の自宅からもアコニチンが発見されました。しかし、それでも神谷は自分が逮捕されないことを確信していました。なぜなら、警察にも医師にも、どうしても解くことのできない大きな謎があったからです。

神谷に味方した「時間」の壁

アコニチンは数分で死に至る毒物です。しかし、女性がカプセルに仕込まれた毒物を、薬と称して飲まされた「時間」は、犯行の2時間以上も前。アコニチンであれば10分も経たずに命を落とすはずです。

そこで警察は、カプセルを厚くすれば溶けるのが遅くなることを証明しようとしました。しかし、カプセルを厚くしても遅くなるのは、せいぜい数分程度だと言うことが判明し、捜査は暗礁に乗り上げてしまいました。

謎を解く意外なカギ

この謎を解くカギは、意外なものでした。
もうひとつの、自然界でもっとも危険な毒物のひとつ、テトロドトキシン。ふぐに含まれる致死性の高い神経毒です。

神谷は、この2つの毒の相反するメカニズムを悪用したのです。
アコニチンは、筋肉や神経細胞のナトリウムチャネルを開かせる毒ですが、テトロドトキシンは、逆にナトリウムチャネルを阻害し、筋肉が神経細胞からのメッセージを受け取れなくするものです。
つまり、この2つの毒は、基本的にお互いの効果を打ち消し合うわけです。ここでトリックが生まれました。

この2つの毒は、効果の持続時間が違うのです。その結果、2つを同時に服用すれば、消失の遅い方の毒、アコニチンが、テトロドトキシンが消えた後、通常よりもはるかに遅くなってから女性を殺害することになるわけです。

この医師は、最終的にこの仮説にたどりついたわけです。よくぞ発見したものです。残された血液サンプルを調べたところ、テトロドトキシンも検出されました。
その後の捜査で数々の証拠も発見され、神谷は逮捕。それまでには、5年にも及ぶ期間を要していました。

最終的には、2000年に無期懲役の判決が確定しました。

神谷は、ネズミを実験台にして、正確なタイミングになる最適な毒の量を割り出すため、時間をかけて何度も繰り返し実験していたそうです。

神谷がもし、この3つ目の殺人を犯さなかったら、2つ目の殺人でやめていたとしたら、すべてが明るみに出ることはなかったかもしれません。
おそろしい事件でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?