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小説のタイトルは何にしようか、noteを初めてすぐに下書き保存して眠っているこれ。

発掘場から見つかるモノの多くは、古い人の化石であったり、古い動物の化石であったり、紙幣と硬貨と呼ばれるモノの化石が見つかる。

たまに親指くらい筒状のよくわからないものも見つかるけれど、それは弾と呼ばれるモノの化石で、子どもの私たちは見つけ次第大人に報告しなければいけない。

それがその昔何に使われていたなんて知らないけれど、大人たちが喜ぶ顔を見ると多分私の予想ではとても高価なもので、一つだけで家や家畜とでも交換できたのだろうと思う。

今では考えられないけど、昔の人間は電気というものを使っていたらしい。暗い夜の日だって月のような明かりがそこら中にあって、暖かい飲み物だって火を使わずに沸かすことだってできる。

そんな楽なことなんてできるわけない、と私は思っているけれど、<忘られた時代>のことを知ることは子どもはもちろん大人だって禁忌とされているし、その時代のことが書かれているものなんて今の時代何も残されていない。だから私はその情報がどこから出て来たのか不思議でたまらない。

発掘場には月に一度学校の授業で向かう。発掘場に行くと私たちの町では見たことのないくらい大人たちがいて、この人たちはどこに住んでるんだろうと思う。

私はこの月一の授業が嫌いだ。汚れるし疲れるし、化石なんて発掘しても何の意味もないし。でも男の子たちは我れ先にと現場に向かって白濁とした繭を探しては力一杯そこらじゅうに落ちている石で叩いては壊して、中から化石を取り出している。

見つかったモノのは図書館に持って行かれ展示室に飾られる。発掘場は嫌いだけど展示室にある名前も使い方もわからないモノはとても魅力的に感じられる。
そしてこの場所が<忘られた時代>のモノに唯一ふれることが許された場所でもある。

私は小さな箱型の1から9まで数字が書かれたモノがいつ見ても不思議でたまらなかった。何に使うモノなのか検討もつかないそれは『携帯電話』というもので「これが二つあれば遠く離れた土地にいる人と話すことができるんだ。」と今よりもっと小さいとき、幼馴染の三人と逸れ、偶然初めてこの展示室に迷い込んでしまったときに、大柄だけど芯の細い全身黒い不思議な服装をした人が私に教えてくれた。

そのあと、どうやって家まで帰ったのか覚えていないけれど、私は自慢げに両親に『携帯電話』のことを話したそうだ。
母親は血の気が引いたように真剣顔をして「咲良(さくら)今日聞いたことは絶対に他の人には話してはだめよ! 絶対によ! 変な子だと思われるから!」

そう言われたことを今でも鮮明に覚えている。
六歳のドンビがピーヒョロと鳴いていた夏の日だった。

十歳になり騰宮学館(とうぐうがっかん)に入学して私は初めてあの時の不思議な服装をした人がこの町の首長である宮司・大伴旅人(おおともたびと)であることを知った。

なぜあの人は『携帯電話』を知っていたのだろうか。
<忘られた時代>のことは誰も知らないはずなのに。
この頃からだろう、私の大伴旅人に他する不信感が芽生えてきたのは。十四歳になった今でも、もちろんあのときのことは誰にも言っていない。

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ここまで書いてずっと放置してる。小説の案は数年前にできていて終わりまで完成してるんだけど、書き始めたらこっちがいいかな、あっちがいいかなと迷い始めて放置。

さてさて、どうしましょ。

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