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制限された文字数の中で

400字詰めの原稿用紙がある。サイズはなんでもいい。b4サイズでもa4サイズでもなんでもいい。ここではb4サイズを思い浮かべてもらえばいい。

その原稿用紙を渡されて「自由に使ってください」といわれれば、多くの人はきっときっちりとマスの中に文字を納めてるだろう。一マス一マス丁寧にそれが決められたことのように文字を羅列していく。

400字という決められた文字数の中では、伝えられることは限られてくる。たとえば中島みゆきについて書くのなら、僕は彼女の詞について書くだろう。『誰のせいでもない雨が』がいいだろうか『幸福論』もいいかもしれない。中島みゆきについて考えれば悩んで書けなくなるかもしれない。

書き始めるまでに悩みながらタバコを6本と缶ビールを3本くらいは空けてしまうかもしれない。プルタブをくるくる外して4本目のタバコに火を点けたとき、部屋の気圧が少しだけ変わるだろう。するとすっと空気が僕の方に集まる。これは合図だ。
彼女の詩について悩める一人の男に啓示を授けるためだと。でも実際にはその気配を感じると扉が閉まる音がする。軽快な足音が近づいてくる。もう一度部屋の気圧が変化する。僕の周りを悠然と泳いでいた彼らはその正体へ向かう。頬を少しだけ赤くした彼女が仕事から帰ってくる。
このとき初めて僕の都合のよい解釈だと気がつく。

頬が赤いのは同僚と六本木にある小洒落たバーでウイスキーを呑んできたわけでもないし、もちろん別に男がいてその男と呑んでいたわけでもない。そう信じたい。これは想像でしかないが彼女は僕のために中島みゆきの楽曲を覚えているに違いない。毎日仕事帰りに一人公園の隅で練習しているんだ。毎日毎日だ。晴れの日はいいが、雨の日は辛いだろう。雪の日はどうだろうか? そういうわけで彼女が帰って来たときに頬が少しだけ赤いのは酸欠だということだ。空気が僕の周りから彼女へ向かうのは彼らなりの気遣いなのだろう。

そんな馬鹿なことを考え始めるといよいよ詩は決まらなくなる。
制限された文字数の中で好きなことやモノについて書くことは難しい。
伝えたいことがたくさんありすぎて、どこを伝えればいいのかわからなくなる。

原稿用紙なんてただのマス目が400ある紙だ。

マス目以外の余白も、もちろん裏側も文字は書ける。
なんなら鶴を折って羽の部分に書いたっていいだろうし、炭にしてそれを使って別の紙に書くのも面白いかもしれない。

もちろん全く文字を書かなくたっていいわけだ。

制限された文字数の中で上手くまとめることは大事なことだ。
それでも固定概念や先入観は自分を成長させない。

もしも原稿用紙1枚渡されて自由に使っていいのなら、制限された文字数の中でだけでなく、1枚そのものを作品として成立させることが出来る人が何かを変えていける人なんだろうと思う。


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