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さよなら東京、こんにちは福岡。 その2

さよなら東京、こんにちは福岡。 その1

東京に来て初めて住んだ場所は川崎市だった。というとなんだか可笑しいけれど、ド田舎の大分から上京した僕にとって東京も神奈川も同じようなものだった。

多摩区の中野島というこれといって何もないけれど、住むには丁度いいところに当時大学の陸上部の寮があったからだ。川崎から立川までJR南武線が通っていてちょうど真ん中より少し川崎よりだった。隣りは登戸、逆隣りは稲城長沼で小田急線に京王線とアクセスも良好で武蔵溝ノ口まで10分ほど川崎方面に向かえば田園都市線も使える。大学が渋谷だったのでもっぱら使っていたのは田園都市線だったけれど、たまの気分転換で京王線を乗り換えて渋谷にも出ていた。

当時南武線は今ではなくなっているけれど車内に扇風機が付いていていた。大分のワンマン電車でさえ付いていないのに、やっぱり都会仕様なのかな? と思ったけれど、南武線以外は付いていなかったので、ここだけ特殊なんだと少しだけ面白かった。

それでも田舎の車両にはありがたいことにトイレが付いているので急な尿意に対しては田舎の方が優っている気もした。

そんな中野島には大学四年箱根駅伝の予選会で落ちるまで暮らした。現在寮があった場所はいまではマンションになっていてなんだか哀愁を感じるけれど、上の階の天井と畳が落ちてくるようなボロボロの木造の寮があった場所とは思えないほど、白くてきれいなコンクリートのマンションが建っていることに、なんだか可笑しくも思える。

いまでは毎年出場している箱根駅伝も僕がいた10年以上前はまだまだ出場できるかできないかの瀬戸際で僕が在籍している間に2度出場、監督は入学した当時の監督も合わせ3人も変わった。その3人目の監督は結果が出ているからいまでも変わらずに、もうかれこれ10年ほどになるんだろうか。それでも在学中に全日本大学駅伝に初出場できたことは現在に繋がる礎になったのではないかと思う。出雲駅伝は出れなかったけれど。

卒業後は祐天寺、恵比寿、そして武蔵小山とほぼほぼ同じではないけれど近場を転々とした。理由は直ぐ遊びに行けるから!

一番住み心地が良かったのは武蔵小山。駅前開発が進む現在でも昔ながらの商店街に、少し足を運べば戸越銀座までぶらぶら出来ることは探検好きにとっては面白い場所だった。

中でもすごくお世話になったのが「味かね食堂」。定食の種類は豊富でご飯スープおかわり自由は、食意地のはった僕にはありがたいお店だった。残念ながら昨年9月に閉店してしまった。

以前のnoteにも「のあ」というラーメン屋がなくなっていたことにショックを受けたことを書いたけれど、思い出が詰まった場所が無くなっていくのは辛い。

約15年の東京生活は僕に様々な価値観や思い出、少年から大人に繋がるアイデンティティを形成してくれたと思う。

ただ残念なことに、僕にとっていまの東京は面白くない。
面白くない? 面白くないことはないんだけど、面白くないだよね。 
                            その3へ つづく




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