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料理に対する自身の考え方や創作の哲学2号

兎に角、僕は中々一つの事を続ける事が出来ない
性質なのか、コンプレックスの塊を抱きつつ青春時代を過ごした事もあり、一つ料理との出会に幸せを噛み締めて日々過ごしてました。

◾️この頃サーフィンに出会い、忙しい合間を縫って海に通ってました。
海に行くついでに生産者さんに会いに行ったり
鰻の養殖場見学に行ったりしてましたねー。

当時は先輩からの当たりも強く、心が折れそうな時もありましたが、基本的な料理の技術とイタリア料理の文化や歴史的背景等を勉強し、賄い等でテストを繰り返してました。

幸い、厳しいながらも面倒見が良い先輩達と同期の仲間に恵まれて、夜仕事終わりに肉を焼かせて頂いたり、お酒を頂きながら語り合い(ほぼダメ出しでしたが)自身が成長している実感を感じてました。

◾️この頃お世話になっていた植村先輩がイタリア修行に出られたのが私が入社して2年後の事、
ナポリで植村先輩が修行しているタイミングで
私も初めてイタリアに行きました。

2001年9月11日(同時多発テロ)の翌年
2002年4月にイタリアへ
当時の航空券は往復で14万円程、

先ずミラノのマルペンサ空港着で
ミラノ中心へ移動し一泊した日に
中央駅の近くのビルに飛行機が突っ込み
このタイミングなのでテロかと騒がれて
一時列車も全て運休となり、イタリアに着いて
間も無く絶望感に苛まれてましたが、その日は
ホテル近くのトラットリアでひたすら食べて
ワインを飲み、良い気分でホテルで休みました。

翌日、無事に運転再開し、駅近くのネゴッツィオメダリアーニで調理器具を買い込み、先輩に会いにローマへ向かいました。

ローマを植村先輩に案内してもらい、久しぶりに語らい、一泊してからロンバルディアのコモ湖へ
初めてのイタリアは刺激的で、日本との素材や水の違いに驚き、現地の料理に感動した旅でした。

こうして20代前半は料理に没頭し、ひたすらに
がむしゃらに過ごしましたが、23歳の時、
当時のシェフがイタリア修行に行く事が決まり、未熟ながらシェフを務めさせて頂き、
各店舗の店長会議に参加させて頂いたり、
月毎メニューやイベント企画、
オペレーションの修正等も任せて頂き、
大変貴重な時間を過ごせました。

Giornataのコンセプトはその日出来立て!
フレッシュな出来立ての料理を学び、
24歳の後半で退職後、
イタリアで料理の修行をしたくて、イタリア語を学びながら準備をする事にしました。

次回へ続く

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