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【AIR】異端だった「稼ぐまちづくり」が当たり前になったことを確信した、POTLUCK AWARD

先週金曜にPOTLUCK AWARDが初開催となりまして、最終審査委員を務めさせてもらったのであります。POTLUCK自体はNewspicksと三井不動産が協業してスタートした東京ミッドタウン八重洲にある地域連携拠点なのです。開業してからも様々な地方を紹介させていただいたり、私もメディアやイベントに出させていただいていたのですが、はじめてAWARDが開催されたのであります。

審査をする中で最終審査に残っている取り組みのほとんどが、事業性をしっかり持ったものばかりで、時代の変化を感じました。かつては、まちづくりは活動志向の強いものだったり、そもそも行政事業ばかりだったり、もしくは補助金を活用した既存団体のものばかりだったのが、多様な課題やビジョンに基づき、事業性を兼ね備えているものが普通にどんどん現れているのです。

自分の事業を通じてまちづくりと向きあう取り組みを始めたのは、2000年8月。最初の会社を商店街の合同出資会社でスタートした時です。そしてそれからの苦闘を含めて書いた新書「稼ぐまちが地方を変える」は2015年の発刊ですが、今やもっと多様な分野で稼ぐまちづくりが実現されていて、これらも今度新たに一冊にまとめたいなと思わされたところです。


◯ ビジネスセクターからも、活動セクターからも四面楚歌だった「稼ぐまちづくり」

そもそもとして、横文字で「まちづくり」というものを提案したのは、ハード偏重で行われてきた街づくりを変えようという趣旨で、元横浜市職員である田村明さんが提唱したと言われています。亡くなられる直前に一度お会いしたことがありましたが、以下の著作をはじめ、上の世代の方々にはかなり尊敬されている、都市計画家であります。

しかしながら、やはりこれらのまちづくりはハードからソフトへという文脈は良くても、やはり行政予算によるところはか中心に置かれていて、民間主導でまちづくりをはじめ、それに必要な費用を稼ぐことで捻出するということは念頭に置かれていません。あくまで行政事業の改善という視点での話です。

一方で2000年頃に会社作り、事業を通じた地域活性化ということを講演などでも話すと、質疑応答で「まちづくりを金儲けの道具にするなんてけしからん」ということをよく言われたものです。それは、まちづくりが行政とは異なる視点で言えば、活動家たちによるものが多かったことも影響しています。彼らは反政府的な昭和の運動家崩れみたいなのも多数いて、ビジネスが嫌いなんですね。笑 だからビジネス的な話を嫌う。かといって行政が主導するのも嫌だ、といった具合で、ラブアンドピース的な延長線で街を見ていました。時代的には特定非営利活動法人が設立可能になった時代でもあり、阪神淡路大震災から地域と向き合い、まちづくりを考える人たちが増加し時代でもありました。

それではビジネスセクターはどうだったか。基本的には「まちづくり、地域事業なんてものは儲からない」ということで全く関心を持たない人がほとんどでした。一部関心を持ってくれたNTTグループなどもありましたが、ほとんどは興味がない。今でこそ地域での取り組みを各地で絡んでいる堀江さんも、オン・ザ・エッヂ時代に日本の情報化についての座談会で一緒したことがありました。座長は鈴木寛さんでしたね。彼の上司が金子郁容さんで、早稲田商店会によくきてくれていて、そこから確か「木下くんも加わって」と言われて参加した会合だったと記憶しています。その頃の堀江さんは全く地域のちの字も出ない世界で、全く関心なさそうでしたが(その会議自体にもw)、その直後にライブドアを買収し、時代の寵児となっていかれていましたね。つまりは誰も当時は関心がなかった。

このように行政も当時は官民連携なんて姿勢ではなく、市民参加と言って市民の意見を「聞きました」とアリバイづくりをするのがせいぜいだし、活動家たちはビジネス、金儲けはけしからん路線、ビジネスセクターの皆さんは感心はないというのが地域分野の実情でした。

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