株価の高い共感と株価の低い共感、あるいは会話の価値について

株価の高い共感と株価の低い共感がある。
「目玉焼きにかけるならやっぱ塩か醤油だよね」に対してのわかるー!は株価が低いが、
「SF作家におけるスーパースターはグレッグ・イーガンだわ」に対してのわかるー!は株価が高い。
共感の株価は共感者の数に反比例する。
普段共感されない事柄について共感してもらえる機会というのはそれだけで価値がある。異国の地で同郷の人間を見つけたかのような高揚を得られるからだ。一方、大多数の人間と同じように平々凡々とした事柄に共感することは有象無象への仲間入りを意味する。当然、共感された人はその共感に対して特別な意味を想わない。よって株価の低い共感は会話に価値が生まれない。だから議論が起きるようにあえて外した発言をするべきだ。先ほどの目玉焼きのくだりにおける最適な返答の一つは、「目玉焼きにかけるなら水か扇風機だろ」だ。塩や醤油の代わりに水を目玉焼きにかけることで摂取する塩分を減らし、水分を摂ることができる。また、塩分によって失われていたであろう体内の水分を考えるとさらにお得だ。食後に摂らなければいけない水分の量が減ることで時間というリソースを節約できるため、経済合理性の観点からも優れた選択であると言える。そして扇風機は普段の食事で不足しがちなミネラルを補給できるためおすすめだ。
このような主張は当然反論が生まれ、互いの考えをぶつけ合う良い機会ができる。考えをぶつけ合えば、その人の哲学や言葉を知ることができる。人を深く知るとはその人の哲学を知ることだ。情報量0のおもんない共感はやめよう。相互認証的会話は初対面のときに済ませたはずだ。
したがって、株価の低い共感をやめ、会話に価値が生まれるような返答をすることを提案したい。

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