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雲の晴れ間より

短編小説です





推しが死んだ。
28歳だった。


推しを知ったのは10年前、歌番組だった。当時まだ14歳だった私は、テレビに映った18歳の推しに恋をした。

それから10年間、彼のいる人生が始まった。出演番組は全てマークし、ライブにも足を運んだ。お小遣いで行けるライブは限られてて、早く大人になりたいと思った。

グッズを買う為に早朝から並んだ日もあった。界隈で出会った女の子と喧嘩した日もあった。16になると、推しに貢ぐ為にパパ活を始めた。

汚れた金でもなんでもよかった。推しに金も時間も貢ぐ事が全てだったし、同担は金払いで圧するしかなかった。何より目に見えてできるファン活は、貢ぐ事くらいしかなかった。あとは精神論だから。

レポ漫画を描くためにイラストを学んだりもした。上手な人からアドバイスもしてもらい、今ではレポ漫画を上げると1000いいねが付く時もある。

推しに会いに行く時、可愛い自分でいたくて見た目にも気を配った。その結果、男の子に声をかけられる事も増えた。でも私は靡かなかった。興味も無かったし現実の男は嫌いだった。

私の人生は推しのためにあった。

就職して、普通の会社で勤めつつパパ活も続けていた。稼ぎのおよそ3分の2を、推しに貢いでいた。その時間が1番、私は幸せだった。推しのために生きてる自分に安心していた。生きてていいんだ、と思えた。

そんな推しが今朝死んだ。

自宅の玄関で亡くなってるのを、マネージャーが発見したらしい。推しは手首を深く切っていたらしく、自殺だった。

ねぇ、どうして死んだの?

あれだけ貢いでも私は結局、葬儀に参加すらできない。公式から無機質なお知らせを受け取るだけで、後は変わらない日常。

仕事にも行かず、パパたちからの連絡も全部無視した。もう何もかも辞めてしまいたかった。10年間、推しのために生きてきた。もう推しのいない自分の姿を思い出す事ができない。

推しが死んで、月日だけが流れた。

一年経った今日、私は仕事を終えて明日の予定を確認していた。明日は、恋人とデートだった。たぶん、プロポーズされる。

私は、普通に生活をしてみた。仕事に行き、パパ活を辞め、推しのグッズも一部片付け、友達に紹介して貰った人と交際を始めた。

最初は推しを思い出す度に悲しさと喪失感に押し潰されて吐いたり、涙が止まらなくなってしゃがみ込む事もあった。それでも、ただひたすら日常を送った。

その結果、私は「普通の社会人女性」になった。

むしろ充実している部類に入っていると思う。

今でもふと、ニュースやSNSで推しのことは流れてくる。LINEのアイコンも彼のままだ。今の彼はそのことに特に触れない。私があまり話さないようにしてるのを察しているのだろう。

改札を通って、電車に乗った。この時間は空いている。私は席に座ると、SNSを開いた。推しが死んで、今日でちょうど一年。

彼の死を悼む者、他殺を疑う者、彼の死の責任の所在を明らかにしようとする者、死を持って彼が伝説になった事を崇拝する者。

「生きてる気がするなぁ」

思わず独り言が出た。私はハッとした。そんなわけない。葬儀も執り行われて、彼は亡くなったのだ。ちゃんと悲しんだ。ちゃんと前に進んだ。ちゃんと、ちゃんと…

「なんでわかったの?」

隣に座っていた男性が、私を覗き込んでそう聞いた。フードを被っててさっきまで顔が見えなかった彼は、私がよく知ってる顔をしていた。

「え?」
「なんでわかったの?」
「え?何?どういう事?」
「なんで生きてるってわかったの?」

頭の中がぐちゃぐちゃした。目の前にいるのは、死んだはずの推しだった。ニコニコ笑ってる。私はスマホをしまった。頭の中に出たワードを、震える声で言葉にした。

「生きてて欲しかったから。どんな形でも」

そう言うと推しはニコっと笑った。この笑顔が大好きだった。間違いなく、人生で1番愛した笑顔だった。今は少し、怖かった。

「ねぇ、どうしてここに?」
「俺も君に生きてて欲しかった」
「え?」
「君本当に、俺がいないと死ぬ勢いだったから」

薄い色の瞳が、私を捉えていた。この瞳に映る日がくるなんて、考えてもみなかった。

「君は、枷でもあり、ガソリンでもあった」

その言葉に、私は頭が一気に整理整頓されていった。ああ、そうか。私が貢ぐ事で追い詰められて、私が愛す事で救われて、そうやって心の均衡を取りながら彼も生きてきたんだ。私だけじゃなくて、私以外の彼を彩る、全ての世界が。

「嫌になったの?」
「全然!超楽しかったよ。でも、自分の人生をコントロールできなくなっていったから」

そう言って笑った彼の目の下には、画面越しでは見れなかったクマがあった。
彼は今、私から、自分から、解放されたんだ。そう思うと、心の欠けたピースが埋まったような気がした。

「…そっか」
「元気そうでよかった。明日海外に発つんだ。誰も俺を知らない場所に行く。1年間、ずっとその準備をしてたんだ」

彼はそう言って微笑むと、立ち上がった。次の駅で降りるらしい。私の気持ちは、不思議と落ち着いていた。

「また会えたら、次は他人みたいな顔するね」

私がそう言ったら、彼は笑った。

「ありがとう」

彼が、私の推しでよかった。生きててくれて、よかった。私はどこかで自分が、彼を殺してしまったような気がしていたから。電車を彼が降りた後、私はSNSを閉じた。

生きててさえくれればそれでいい。そう思っていた頃の気持ちを、思い出せた事が嬉しかった。

その翼で、自由に飛ぶ姿を想像しながら
私は明日のデートに着て行く服を選んだ。

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