見出し画像

もう、許してあげて

私は、他人からは「あまり怒らない人、怒りそうにない人」とよく言われる。どうなんだろう。他人に怒ることはないが、子育てや介護においては私の狭い許容範囲を超えることが多々あって、結構ブチ切れている。

一方、一般の人の一般の行動には、さして腹が立つことはない。なのに、議論というゲームにおいては論破してしまうタイプ…。若者に流行っていたMBTIでも、ENTPの討論者と出てしまい、根っこの「空論を弄する系」の性格をいいあてられて、めちゃくちゃイヤな気持ちになった。

閑話休題。

私は、長年、苦しみながら、家の片づけを続けている。モノ屋敷になった理由は、一つには、若い頃、買い物が好きだったこと。もう一つは、実家はもう処分したので、そこの荷物も来て、二軒分になっていること。そして、最悪なのは、書類や写真の整理を後回しにしてきたこと。

年単位の時間と多額の費用をかけて、モノはだいぶん処分できた。ほぼ好きなモノだけに絞ることができた。残るは書類や写真の整理。これが、最大の難関だ。整理が嫌いなくせに、きっちりチェックしないと捨てられない。

昨日、ファミレスでチェック作業を行っていた。すると、自分の中から、「もう許してあげて」という声が聞こえてきた気がした。鋭敏な感覚を持つアーティストの友人は内省すると、自分の真に心の中で思っていることがわかるらしいが、わたしの声もそういうやつかな?

そもそも、私がこういうチェック作業がやめられないのは、前聞こえてきた声によると、「昔の楽しかった思い出を追体験したいから」だそうだ、やれやれ。

ごめん、私は意外と許せない性格なのだ。チェックするならチェックするで、それを愚直にやらずにいられないのだ。ごめん、自分。また、信じられない時間がかかるかもしれないけど、やるわ、自分。

同時に、毎日をきちんと終わらせることが大事だなと猛省する。日記を書いたり、振り返りの記録をとったり、今日のことはもうこれでいいと思えるようにならないと、私は永遠に記録のエビデンスになるものを取っておき、時間がたってからチェックする癖をやめられない。

ビョーキだな。

今までの自分にひとつひとつよかったねといってあげ、未来に処理作業の負債が残らぬように今日を片付ける、この2つが必要らしい。というか、多くの大人の皆様は、「いまだにそんなこともできとらんのか」と感じられるかもしれない。

そうなんです、私には、一切習慣というものが体にない。「歯を磨くことのような習慣」とよく言うが、私は、今でも朝の「歯が気持ち悪いな、今磨こうかな」という現象への反応で歯を磨いており、習慣はいまだない。特殊体質なのかもしれない。ああ、大変。

よろしければサポートお願いします。 幸せになる記事を書くための取材費にします♥