いわゆる”朝鮮寺” 統国寺へ

▼数年前に、宝山寺や岩谷の瀧など、生駒の周辺の宗教施設めぐりをしたことがある。

 生駒山麓周辺には”朝鮮寺”も集中しており、いくつか見にゆきたかったのだが「生駒山麓周辺」と一口にいってもかなり広い。そのときは時間も限られており、朝鮮寺の跡地と元”朝鮮寺”(現在は日本の寺?)にしか行くことができなかった。

 玉皇院跡地では、生駒山麓周辺の朝鮮寺の特徴である「行場」の跡があるのか確かめたかったのだが、「入るな。サワルナ(ドロボ)」の木札と通行止めの木材があったので諦め、「七星堂」の文字にそれらしさを見出した程度で退散。

 そのうち朝鮮寺を中心に生駒山麓周辺の宗教施設めぐりを再びしてみたいと思いつつ、もう四年たってしまった。

▼さて。山の周りだけではなく大阪市内の街中にも朝鮮寺はいくつもある。そのうちの一つが天王寺区茶臼山町の「和気山 統国寺」だ。天王寺の駅から歩いて行けるところにある。というわけで…

ヽ(゙・ω・゙)人(゙・ω・゙)ゝ Let's go 統国寺!

▼令和元年5月2日。はるばる九州からやってきた筋肉直方体とにー氏を統国寺と一心寺へ案内することになったわけだが…

 昼に梅田で待ち合わせ。「観光の前にまずは腹ごしらえ!」とのことで、元禄寿司で食べまくるとにー氏、そして私。

 すごい勢いで回転ずしを食べ終わったので、天王寺に移動したら速やかにお寺を見に行くつもりなのかと思いきや。「移動したら次は肉食べたい」と、とにー氏が意味不明なことを言いだす始末。

 ともかくも天王寺駅にタクシーで移動。

 駅の近くに肉寿司の店があるのをめざとく見つけたとにー氏に引き摺られて「昼飯のはしご」という行事に付き合われるはめに。

 食べ終わったあとは、満腹で歩くのも苦痛な状態でとにー氏を目的地へ案内しようとするも、

「つぢ肛門科」の看板に魅せられたとにー氏。足を止めて写真をパシャ。

(´・ω・`)「ぢ」はいいから早く「寺」にゆきましょうよ…

優しくとにー氏のケツを蹴り飛ばして、どうにか一心寺へ到着。


 骨仏へのお参りを終え、移動。一心寺と統国寺はそんなに離れていないので徒歩で。

 ラブホテルが並ぶ道を抜けると、右手に普茶料理の阪口楼、正面に目的地の統国寺が現れる。

 普茶料理といえば黄檗宗の開祖隠元禅師が中国から伝えた精進料理である。その普茶料理を出す店がすぐ側にあるのは、統国寺が以前は「黄檗宗和気山邦福寺」であった名残であろう。

(どのような経緯があって黄檗宗の寺がいわゆる朝鮮寺になったのかについてはここではあえて全力で省略。ややこしい話に興味のある方は、統国寺のサイトやその他この件を話題にしているサイトをご自分でお調べください。)

門をくぐると…

「百済古念佛寺」の文字が。たしかに四天王寺にもそう遠くないこの界隈は百済とのつながりが盛んであった地であろう。

「だけど、どうにも解せないのは、ここは以前は日本の宗派である黄檗宗の寺だったわけでしょ?なのに…」と、とにー氏にしゃべりかけているはずが、とにー氏がすたすたと先に行ってしまっていた。

※なお、統国寺のサイトによれば「1709年に邦福寺となる以前は当時は百済寺、正式には百済古念佛寺、もしくは百済古念佛禅寺と呼ばれていたことに疑いの余地はありません」とのことだが、大阪市のサイトではそんなことが書かれていないので、にんともかんとも。

 門から少し進んで右手。とにー氏が立ち止まって写真を撮っているところには、ベルリンの壁。

「やはり南北にわかれている朝鮮半島と、東西にわかれていたドイツを重ねて、統一への思いを・・・」と、横にいるはずのとにー氏にしゃべりかけてみたのだが…とっとと他を見に行ってしまって…そばにいない…。

 のびのび見学しているとにー氏を放置する(私が放置されているともいう)ことにして、大阪市の有形文化財にも指定されている本堂を眺める。

 大阪市のサイトでも「異色の黄檗宗仏殿として極めて重要な遺構」と紹介されるこの建築物。元禄16年(1703)に法源和尚によって再建されたものである。

 中国や朝鮮の禅宗系寺院で本堂を示す「大雄殿」の文字と亀趺が写り込むように写真を撮り、次は本堂の向かい側へ。

 納骨堂の横にある施設には「天・地・人」を表す「赤・青・黄」の三太極が。やっと朝鮮半島の文化を思わせるヴィジュアルを目にすることになる。

 その少し奥には「護摩壇」と書かれた良い感じの何かが。

これで護摩供養をするのだろう。たぶん。

 統国寺に満足した様子のとにー氏を捕獲し、終了。

▼統国寺の初代住職は金星海という人物で、1948年8 月 1 日に結成された「在日本朝鮮仏教徒連盟」の発起人の一人であった。

 在日本朝鮮仏教徒連盟は、1955 年に朝鮮総連が発足するとその傘下団体となり、1989年に「在日本朝鮮仏教徒協会」へ改名。

 ということは、統国寺は総連系の寺であると言えるのではなかろうかと思うのだが、統国寺のサイト(https://toukokuji.com/faq/)によれば「総聯結成後、多くの信徒が総連に加盟するにつれ、その祭祀を司る当寺も総聯との関係が深まることとなりましたが、当寺の信徒がすべて総聯に属していたわけではなく、そういった信徒も含めたすべての同胞に対し仏教・伝統儀式を分け隔てなく挙行してまいりました。現在では元曉大師の和諍の思想の下、北・南(ニューカマーの方を含む)・日本の差異を越えて」布教に努めているそうである。

 まだまだ在日の寺としての機能が主なのだろうけど、実際に訪れると、街にしっとりと馴染んでおり、閉鎖性は感じられない。静かな「街の寺」である。

 四天王寺や一心寺を訪れる人には、もう少し足を延ばして統国寺へお参りしてみるのをおすすめしたい。