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しぜんとじねん

このところ、人間と自然との関わりについて考える機会が多かった。

某環境研究所の先生との、病原菌と社会に関する対話の場。メディアにもよく登場する著名な先生だ(だからどうということもないけど、参考情報として)。

2006年頃、正体不明の病原菌が蔓延して、世界中の両生類が大量に死ぬ問題が起こった。それが日本に上陸して両生類に害を与えるのを防ぐべく研究を進めたところ、意外なことに日本のカエルはその病原菌に対してビクともしないことがわかった。調査の結果、その病原菌は、元々日本から出ていったものだったそうだ。ここから学べることは二つある。一つは、病原菌にも地域固有性があって、本来の住処があるということ。そしてもう一つは、人間の移動範囲が広がって世界のどこへでも行き来するようになり、病原菌の伝播を媒介しているということ。結局、人間が菌やウィルスを掘り起こしてしまっている。

コロナが世界を席巻している現在、あまり目立ってはいないが、次のウィルスが爆発の機会を伺っている。
BBCでこのようなニュースが出ていた。

インフルエンザの新型、中国で発見 「世界的流行も」と科学者

先生の言葉を借りれば「豚インフルエンザが中国で見つかった。この新型インフルエンザは空気感染するし致死率も高い。コロナはトレーニングみたいなものだ。ここで社会変容できないようなら、世界は人口の何分の1か減らすことを覚悟しなければならない」という。

では、人間は何ができるのか。先生が言われていたことを少し箇条書きにしてみよう。

・コロナの今は、生活のあり方や社会の仕組みを変えるチャンス。この機を逃してはSDGsも実現できないだろう(なのに省庁はそれを活かせていないのが残念)

・日本は里山を放棄したために、山に野生生物が溢れている。彼らが増えすぎて人間社会を襲っているという問題。野生鳥獣管理の流れの中で、里山を管理することは大事だった。野生の世界から人間の世界を守るためのバッファーゾーンとしての里山。

・例えば養豚は、イノシシの持つウィルスが集約的なその畜産を脅かす。ワクチンを入れれば豚が輸出できなくなる。家畜が増えすぎていることが大きな問題。野生生物の住んでいるエリアと家畜の住んでいるエリアが近づきすぎている。

・自然保護というけれど、人間はとても弱く、一皮むけば我々ほど脆弱な生き物はない。生き物はそもそも宿敵。彼らを怒らせないように生きることが大事。生き物は全然タフだし、減っていない。人間が自分たちを守るために自然共生をどうやっていくか。里山を美化する必要もない。

・グレタさんのような若い世代が左派的な主張をするのはあり。まだ若いから、これからいくらでも主張だけでなく社会実装をどうするかという経験を自分で重ねていくことができる。年配者は、若い人たちが学べる環境を準備してあげること。勇気を出して語る若い人が干されるようなことがあってはいけない。

・日本の地方にも可能性がある。例えば四国方面はもともと地の利が悪いせいか、高知あたりへいくと、自分たちはいつ独立してもいいと言うくらいの感覚がある。自給自足の精神。かつての地方社会の根幹がそこにある。北陸方面もそうだ。

・日本の地方は山や川で分断されている。江戸時代の藩制度はなかなか合理的だった。藩で自然風土が分かれていた。日本の国土を考えると、共有する資源で地域を捉える旧来の藩のような区分は優れていたのではないか。

・欧米はリジェネレイティブ・アグリカルチャー、すなわち環境再生型農業とかいいだした。近代的な農業があまりにも使い捨てで、土地の再生を無視してやってきた裏返しだ。

・日本も欧米の近代的な農業を取り入れてきた。結果、例えば田んぼの土が変わってきた。除草剤は必要悪だが、農業の構造を見直さなければならない。安くて綺麗なものから、汚くても美味しいもの、という風に変わらなければならない。

・自然免疫を高めるためには泥を触ることも大事。食物アレルギーが増えているのは、人間の体質の変化とも考えられる。泥団子を作ったり、汚い遊びをしていないし、落ちたものを食べたりもしていない。もっと自然の汚物に接することが必要。

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