名前の話
星覚、という良き友人がいる。星覚は、お坊さんらしいお坊さんだ。永平寺を降りてから20年近く、この資本主義社会の中にありながら、貨幣経済による価値交換からできるだけ距離をとり続けた生活を実践し続けているのは、本当にすごい。
星覚は、コロナ前にアメリカでmonk manager実験プロジェクトをやった時、当時住んでいたベルリンからアメリカへ飛んでくれた戦友でもある。
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星覚と長年付き合ってきていつも感心するのは、彼の人との接し方だ。人との関係を大事にするというのは、こういうことなんだんと、いつも学ばせてもらう。
星覚は、接する人に対して、いつも下の名前で呼びかける。苗字には、否応なく、その人のイエが紐づく。だから、その人自身に呼びかけるために、下の名前で呼ぶのだという。海外で「Hi Shoukei」と呼ばれるのともまた違う、いい習慣だと思う。特に僕の場合は、僧侶としての紹圭という名前で世に流通する前の頃からの付き合いだから、星覚は僕のことを本名「ケイスケくん」と呼ぶ。
"Spiritual but not religious"な感覚の人が増えています。Post-religion時代、人と社会と宗教のこれからを一緒に考えてみませんか? 活動へのご賛同、応援、ご参加いただけると、とても嬉しいです!