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築地本願寺に響く「檀家制度終了」の鐘

僧侶派遣は派遣業なのか

ここ数年で、僧侶派遣の事業者数はずいぶん増えました。Googleで「僧侶派遣」検索してみると、事業者が大量に出てきます。みんれび改め、よりそう社が大規模な資本調達を行い、また昨今ではDMM社が僧侶派遣に参入するなど、事業者の動きも活発なようです。

「僧侶派遣」というのは、派遣元事業者が一般顧客からの要請を受けて、派遣元事業者のリストに登録した僧侶の中から、求めに応じてマッチングして手配するというビジネスモデルです。事業者によって契約形態は様々ですが、一般的には35,000円前後の価格で僧侶が派遣され、うち5割前後のマージンを派遣元事業者に抜かれた残りが、僧侶の取り分となるようです。また、事業者によっては「当該顧客から発生する将来の仏事依頼にもマージンを適用する条項」を付けることもあるとか。それって、その派遣元事業者からの紹介で最初にご縁のできた人からのご依頼に関しては、永久にお布施の5割を事業者に持っていかれるということ?

「僧侶派遣」と言いますが、冷静に考えてみると、これは派遣事業ではなく業務委託です。ふつう、派遣業というのは、派遣元事業者が派遣希望者と雇用契約を結び、人的リソースの足りない派遣先事業者(Business)に対して必要なタイミングで必要な人材を派遣するBtoBのビジネスですよね。それならば一般的に5割ということもあるでしょう。

しかし、業務委託で、マージン5割。しかも事業者によってはそれが将来に渡って続くというのは・・・ビジネスでいえば、利益ではなく売上ベースで、「売上」5割のマージンを抜かれ続けるということです。最低限の法衣や仏具にも、お金はかかります。ここから経費を差し引いたら、どうなるんでしょう。

もちろん、このような苦しい状況が生まれていることの背景として、私も含めた僧侶側に起因するさまざまな問題が根底にあります。みんながみんなではないと分かりつつも、接した僧侶の言動や振る舞いによって「坊主丸もうけ」などの言葉でまとめて非難したくなることがあるのは、我が身を振り返っても分かります。

そんな問題意識を反映してか、伝統仏教側にも少しずつ動きが出てきています。伝統仏教の寺院・宗派側が主導して行う、寺院と仏事依頼主とのマッチングのことを、ここでは上述の僧侶派遣と区別するため「寺院紹介」と呼びたいと思います。「僧侶派遣」と「寺院紹介」の何が違うのかといえば、僧侶個人ではなく、お寺とのマッチングをすることに重きを置いていることです。

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僧侶派遣の持続不可能性

「お寺の役割は何か?」には、いろんな答え方があり得ます。仏の教えに触れる場と答える人もいますし、お葬式やお墓参りで行くところと答える人もいるでしょう。どちらの答えも間違いではなく、例えばお葬式は、誰か近しい人を亡くす「愛別離苦」がそこにあります。仏教で言う「四苦八苦」のうち、愛する人と別れなければいけない苦しみを受け止め、儀礼の形を伴って亡き人を偲ぶのが、お葬式です。

生老病死、必ず生まれ老いて病んで死んでいく私のこの人生には、いろんな苦が待ち受けています。「家族を亡くしました」もあれば、「自分が病気になりました」もある。人生において内面のトランジションが必要な時に、心のパートナーとして寄り添うのが僧侶であり、僧侶と合わせて支えてくれるのがお寺という舞台装置です。お墓や納骨堂があるから、ご先祖さまに折々に「会う」ことができる。それも、その記憶を伝承してくれる、付き合いの長い僧侶とともに。

昔はよくありました、お寺の和尚さんに子どもの名前を付けてもらう人。生まれた時の名前もつければ、亡くなった時の戒名もつける。そういうお付き合いです。だから「お葬式」というピンポイントじゃなくて、一生涯の継続的な関係性があってこその、価値なんです。いわゆる檀家制度がいいか悪いかは別にして、イエのつながりで今までやってきたから、もう何世代にも渡るようなお付き合いがあるわけです。その中でいろんなコミュニケーションの場やタイミングが自然とあって、お互いによく知っている状態が生まれていきます。親戚でも知らないようなことも「この亡くなったおじいちゃんは、こんな人で、こんなことがあって」みたいな話もできる関係性、それによって価値を出してきたのが、お寺です。

でも今は、親から子への家庭内文化の継承がほとんど機能しなくなってきた。「先祖のお墓は大事にするものだ」とか「菩提寺は大事にするものだ」とか、そういう価値観が今、世代間で断絶しています。三世代同居が当たり前だった昔は、お寺がそんなに努力せずとも自然と檀信徒と前提を共有できていたものが、今はそもそもイエというものが続かなくなり、コミュニケーションが断絶しています。「菩提寺って何?」「檀家って何?」というのが、今の若い人には決して自明ではありません。

もはや家庭内での文化継承には期待できないわけですから、お寺が努力するしかないんですが、お寺がどんなに一生懸命「先祖を大事にしなさい」といっても、うまくいかない。関係性ができていない人に価値観を押し付けることはできないからです。「お寺と檀家の関係とはこういうものである」という押し付けではなく、少しずつ関係性を作りながら、そもそもお寺とは何のためにあるのか、葬儀や法事やお墓は何のためにあるのかといった、根本的なところから、地道にコミュニケーションしていくしかありません。

そのような観点からすると、「僧侶派遣」は性質として一回性が強いので、僧侶やお寺が価値を出していくには向きません。やればやるほど、関係性がやせ細っていきます。依頼主にとっても僧侶やお寺にとっても、遠からず悲しい結果を生むことになると思います。その点、「寺院紹介」は仕組みの作り方にもよりますが、僧侶やお寺が長期でサステイナブルに価値を出すモデルで設計していけば、意義ある取り組みになり得ます。

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僧侶派遣から寺院紹介へ(事例紹介)

先日、未来の住職塾の仲間で「寺院紹介」事業をテーマにした勉強会を開き、いくつかの事例について当事者を交えて議論しました。その中で出てきた話題として、浄土宗の東京教区の事例と、浄土真宗本願寺派の築地本願寺の事例がありました。

まず初めに、浄土宗の東京教区の事例です。浄土宗の東京教区では、首都圏に住む離郷檀信徒(出身の故郷にもともと先祖の菩提寺を持つ方)や、特定の寺院との寺檀関係を一切持たない宗教浮遊層への教化伝道を目的として、インターネット上に法務(法事など仏事の依頼)受付システムを構築することが検討されているそうです。まだ事業は仮の段階ですが、システムを通じて依頼のあった法務を東京教区の寺院が担い、他教区の菩提寺経由で依頼があった場合はお布施の50%が菩提寺に納められるという仕組みが検討されているそうです。

もう一つ取り上げたのが、浄土真宗本願寺派の築地本願寺の事例です。

ご存じの方も多いかと思いますが、今の築地本願寺のトップは、ビジネスの世界でヘッドハンター(企業のトップ人材候補者を探してきて転職マッチングを行う仕事)として活躍されてきた安永雄彦さんです。バリバリのビジネスマンが、縁あって得度された後、浄土真宗本願寺派において抜擢されて築地本願寺のトップを任されるという、今の仏教界の変化を象徴するような人事です。私は安永さんが得度されたばかりの頃からお付き合いがありますが、まさかこんな日が来るとは思いませんでした。

そんな安永さんのリーダーシップの下、築地本願寺は伝統仏教界の中で今もっとも改革の進むお寺と言っても過言ではない変貌を遂げています。

新生・築地本願寺、メディアでは朝食(1800円!なのにいつも行列!)が注目されますが、

浄土真宗本願寺派(東京教区)内での寺院紹介事業にも取り組みつつあります。

「ご法事・ご葬儀は、亡き方を偲びつつ、私たちが仏さまのみ教えに出遇わせていただく大切な仏縁です。築地本願寺では、営利的な僧侶派遣サービスと違い、安心してお迎え出来る僧侶をご紹介いたします」

安心その1「信頼できる僧侶」
ご紹介する僧侶は、近隣地域の寺院または築地本願寺の僧侶です。さまざまな講習や研修を受けた経験豊かな僧侶ですので、ご法事やご葬儀にあたり、安心して僧侶を迎えることが出来ます。

安心その2「その後のご縁」
ご法事ご葬儀をお迎えした後は、ご紹介いたしました僧侶に直接ご依頼いただくことも可能です。引き続き心を込めてご法縁のお取次をさせていただきます。

安心その3「お布施は仏さまへのお供え」
お布施は僧侶への報酬ではありません。すべて仏さまへのお供えとしてお預かりいたします。営利的な僧侶派遣サイトの価格とは違い、ご無理のない範囲でお受けいたします。

このように、一般事業者による「僧侶派遣」の抱える課題をクリアした、「寺院紹介」の模範解答のようなサービスを掲げています。

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築地本願寺に響く「檀家制度終了」の鐘

このようなサービスを支える背景の仕組みとして、私が注目したのは「築地本願寺倶楽部」です。寺院紹介事業を考える上ではもちろんのこと、これからの寺院のあり方についても方向性を示す仕組みといっていいでしょう。さらに、意図してかどうかわかりませんが、Post-religionという世界の流れも踏まえたコンセプトに仕上がっています。

特に、これが伝統仏教宗派最大規模の浄土真宗本願寺派の、首都圏の中心にある築地本願寺というお寺でなされていることを考えると、「檀家制度終了」が伝統仏教においてはっきりと宣言された象徴的な取り組みと、私の目には映りました。その理由や具体的な中身を、以下、詳しく述べたいと思います。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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