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山、巡礼、信仰。

「Bラーニング」という、お坊さんが集い学ぶオンラインの場がある。僧侶の神崎修生さんをリーダーに、主に九州のお坊さんたちが中心となって運営されていて、僕も時々参加させてもらうのだけど、毎回とても良い学びをさせてもらっている。お坊さん方にはぜひお勧めしたい。

中でも、先日のYAMAP代表取締役・春山慶彦さんの勉強会は、最高だった。YAMAPは、登山をする人なら初心者から上級者まで知らない人はいないNo.1登山アプリ。僕もときどき日帰り登山することがあるから、アプリのことは知っていた。けれど、春山さんという人物については詳しく存じ上げなかったので、こうしてご縁を持てたこの機会に、心から感謝している。この勉強会を実現された神崎さんや小林信翠さんが、熱心に僕につないで下さろうとしたことも、春山さんにお会い(オンラインながら)してみて、合点がいった。

春山さんのお話をシェアしつつ、考えたことを綴りたい。


春山慶彦、1980年生まれ。
これまでの人生経験で、自分にとって大きかったことが2つある。
1つは、アザラシ漁。星野道夫さんの影響もあり、同志社大学を卒業後、アラスカに渡り2年間を過ごす。エスキモーの人々と共にアザラシ漁を経験した。動物を自らの手でさばき、食べ、道具にする。「他者の生命をいただいて生きる」という人間の根本の営みを、20代のうちに経験したかった。

そういえば先日、森田真生さんとおしゃべりしていた時に、猟師の千松信也さんの話になった。千松さんは、猪と対等に向き合うために、猟銃での猟ではなく、なわ猟に拘っている。猟の最中に骨折の怪我をした時には、猪は怪我をしたらそのままなのに人間だけ治療するのはフェアじゃないという理由で、手術をしなかったそうだ。

野生のいのちのやりとり。それを春山さんも、自らすすんで20代のうちに経験していたのだ。春山さんの、並々ならぬ感性と行動力を感じずにはいられない。

もう1つは、スペインの巡礼路。1200kmの道を60日間かけて歩いた。30歳になる前の成人儀礼として歩きたかった。愛読書のパウロ・コエーリョの『アルケミスト』や『星の巡礼』の影響が大きい。歩くことがこんなにも人を豊かにするのかと感じたのは、この時の経験が大変大きい。巡礼という同じ「道」を歩く中で、人類同士が違いを超えて仲良くなれることを体験をもって理解した。そして、「この星は本当に美しい星だ」と直感で思った。地球の外に出なくとも、僕らは「何をやっていても宇宙飛行士なんだ」という感覚が降りてきたようでもあった。

スペインの巡礼路! 僕も前からずっと歩きたいと思いつつ、まだ歩けていないのだけれど、『アルケミスト』からそこに興味を持ったのは一緒だ。

自分は生涯のテーマを「巡礼」においている。YAMAPのメンバーにはあまり言っていないが、YAMAPも巡礼の事業の一つだと個人的には思っている。巡礼とは、「人間とは何か」という問いだ。そこには、「直立二足歩行」「祈り」という2点に集約される人間の特徴が詰まっている。自分は、自らの人生をもってその問いに答えたいという思いで生きている。

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日本社会の最大の課題は、「身体を使っていない」ということに尽きるのではないか。農業、漁業、林業など第一次産業(日常的に自然の中で身体を動かして生きている人々)の割合は、日本の就労人口の3%(300万人弱)にしか満たない。この状態は、生物としてバランスが悪い。都市化が進む中、ポジティブな回路で都市と自然を繋ぎたい。街を知り、風土を知り、自分たちがどういう環境に育まれて今を生きているかということを知ることは、アザラシ漁やスペイン巡礼の経験からも、具体的な「生きる力」として本当に必要だと思っている。

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自分には、根っこで常に考え続けいている2つの「問い」がある。1つは、1995年のオウム真理教の事件。あの事件は何であったか。麻原彰晃という人が、なぜ生まれたのかということ。そしてもう1つは、2011年の福島の原発事故。原爆を落とされた私たちが、今度は自らつくったシステムで被曝をし、故郷を失った人たちがいるという事実。これらの経験した世代として、どういう仕事を今作るかが本当に大事だと思っている。答えがあるわけではないが、僕なりの答えを出したい。その実践としてYAMAPを作った。

これら2つの出来事の根っこは、同じなのではないか。日本人は過去に、神様、仏様を2回殺すという取り返しのつかないことをやってしまったと思っている。一回目は、1870年の神仏分離令。そして二回目は、1945年の敗戦だ。神仏分離令では、神仏習合にこそあった、多様性や変化に応じる価値観と、そこにある鎮守の森が破壊され、寛容な心と美しい風景が失われた。この時、南方熊楠は「風景はわが国の曼荼羅ならん。風景ほど実に人世に有用なるものは少なしと知るべし」と神仏分離令に反対したが、聞き入れられることはなかった。そして、1945年の敗戦においては、それまで培われてきた価値観が全てひっくり返され、縦の繋がりの断絶が起こった。日本的街並みは消え、僅かにあった都市にある鎮守の森も失われた。

こうして自然を敬う感覚と自らが生きている感覚が切り離された結果、これまで日本人は、他の国にはあまり見られないほどに風景を壊しまくってきた。そこに断絶が生まれることにより、人々の縦の繋がりや時間軸の感覚は薄れていった。風景の破壊は、共同体の破壊に等しい。そして信仰心の薄れは山の荒廃でもあるだろう。

このようにして、風景風土の感性が弱くなった結末が、オウムの事件や福島の事故なのではないか。なぜ麻原氏があそこまで国家に対して憎悪を膨らませたか。もしも自分が福島に生まれていたら、麻原氏と同じくらい国家権力に対して憎悪を持っていたと思う。弱いものをいじめて、捨てていく。自分はその悔しさや悲しみをポジティブな方に向けたい。そのためには、自分たちを育んでいる風土を自ら掴んでいることこそ大切だろう。

登山アプリを作っているベンチャーの社長、という表面的な見え方からは思いもよらなかったけれど、春山さんの人生にもオウム真理教の事件が大きく影響を及ぼしていたとは。そして、福島の原発事故。静かで淡々とした語りの底にある、春山さんの強い怒りと深い悲しみに触れたような気がした。前回のnoteで「悲しみは感性の器を拡張する」という話を書いたけれど、春山さんは深く大きな悲しみの器の上に、強い怒りを抱えていて、それが生きる原動力になっているように感じる。お話を伺いながら、僕の中にもある怒りが共鳴した。

宮本常一(1907-1981)という民俗学者は、 土地を真に愛し、そこで生きのびていこうとする時、その環境もまた豊かに美しくなると、風景づくりの大切さを説いた。マネー資本主義の中で、僕らの仕事から「風景づくり」がすっぽり抜けてしまっているんじゃないか。いかなる仕事であっても、仕事とは、その根底は風景づくりの一環にある。

また、数学者 岡潔(1901-1978)の「宇宙樹」という世界観を、森田真生さんが『数学する人生』の中で紹介している。宇宙には、宇宙の樹がたくさんある。太陽系の宇宙の中に、地球という枝の、人類という小枝の、現代という葉っぱに自分たちは位置しているという世界観だ。戦争に負けたことで、葉っぱでしか自分を捉えていない人が増えているんじゃないかと、岡氏は悩んだ。自分たちの命が、枝や、幹や、根っこにつながっているという、そういう感覚を取り戻すにはどうしたらいいか。彼は「情緒」という言葉で表現したが、自らは大きないのちの一部であり、それをつないでいくという感覚はとても大事だろう。これは、風景の話にも通ずる。

風景は、我であり、我々だ。自分そのものであり、私たちそのものである。風景・風土に対する感性があまりにも鈍くなっている。それを取り戻すために、山を歩くことがすごく大事。そこでは「山」という舞台が大事な装置になる。今は、変化が激しくて答えのない時代。どう生きるかということを、自然から学び、自分で考えながら作っていく。問いを自分で立て、その答えを自分でつくっていく。それは本来、自然の中で僕らがずっとやってきたこと。生きる力を身につけるのは、自然の中だろう。もう一回、教育も自然に帰るべきだろう。その時、山は非常に大事な舞台になる。今、コロナもあって、自然との共生が大事になってきているが、人間が人間からしか学んでない、というのはリスクである。学校の教室で生徒が先生から一対多数で学ぶのにも、無理がある。答えを求めるような教育が強すぎる。その場を山に広げるだけで本質的な教育ができるのではないか。

人生は、意味ではない。今の社会は、意味を強く求めすぎている。僕は、経験を積み重ねていけば、それが自分なりの答えになっていくと思う。人がなんて言おうと、自分でやってみること。「感覚、感性を鍛えること」が大事。「生きているという経験」を積み重ねること。生きている経験の積み重ねが、結果的に、人生の意味を作っていくと思うし、風土から学ぶという感覚も取り戻せるのではないか。

春山さんは「風景」「風土」を大切にしている。ここも本当に同感だ。西洋的(というこの言い方も”西洋的”かもしれないが)な二元論、分断、モジュール思考が強くなりすぎると、全体性が失われてしまう。それは僕らが生きる日本社会のあちこちにみられる症状だ。山が象徴する自然こそ、人間が全体性を取り戻す大事な舞台であるというのは、僕も実感するところ。最近、前よりももっと山が好きになっているし。

「人生は、意味ではない」という言葉にも、ものすごく共感した。それは「目的志向」とか「Goal Oriented Mindset(ゴール志向)」に対する僕の問題意識とも重なるし、『ビジネスの未来』を書いた山口周さんの「コンサマトリー」な働き方や生き方にも通じる議論だと思う。僕はかねてから、お寺というものの定義の一つに「生きる意味を問い、生きているという経験を取り戻す舞台環境」であると言ってきた。これはほとんど、春山さんの語る「山」そのものではないか。

自然に対する畏れや感謝、生かされているという感覚を、どう取り戻したらいいか。この感覚は、登山をしていればある程度沸き上がってくるものの、今の登山のカテゴリーの内でやっていてもなかなか広がらない。「登山」という文脈だけでは弱いと感じる。そこで、信仰心、あるいはマインドフルネスという、意味ではい「経験」として、自らの感覚を解き放つというところから山歩きを定義し直てはどうか。「山を歩く」×「信仰心」。トレーニングジムのライザップより、外で歩いた方がよっぽど健康になると僕は思う。ウェルネスに負けているということが残念で仕方ない。

ここで僕がチャレンジしたいのが、巡礼路(山を歩く×信仰心)。「道」というのは人類がつくったものとして、ものすごくよくできた装置である。熊野古道や四国遍路の他、今では廃路となった巡礼路が各地域にあって、自分の暮らす九州にも西国三十三箇所めぐりがある。それらの巡礼路を甦らせることができないだろうかということを、今感じている。

信仰は、行為と結びついたときに具体的な感情が生まれる。今の神社仏閣に欠けているのは、具体的な「行為」だと思う。松本紹圭さんがやっている掃除のように、具体的な行為が結びついていないと、信仰は形骸化してしまう。山歩きも、信仰心や生かされている感覚が必要。どちらもできるのが、巡礼路ではないか。お寺をつなぐような道を現代に再現し、再興したい。

山と信仰、というテーマ。山で山伏修行をする修験道の人気が高まっていると聞くし、シンポジウムなどで星野先達をお見かけすることも増えた。

先日、日本テレビのプロデューサーで、山伏として活動もされている宮下仁志さんと、一緒に山を歩く機会を得た。法螺貝の響きと共に、山に登る。山には所々に石仏や神社があるが、宮下さんはその都度立ち止まり、般若心経を誦じて、法螺貝の音を供養する。いつもの登山も、信仰の要素が強まると、また違った経験となる。

巡礼路の復活は、僕のやりたいことリストの上位にある。以前、経産省の大阪万博担当の方と意見交換した際には、「巡礼」を中心テーマに据えることを進言した。個人的には、大阪万博が意味のあるものになるとしたら、巡礼テーマしかないのではないかと、今でも思っている。

自分の中に、春山さんのお話と共鳴するものが多すぎて、ちょっとまだ消化しきれていない。

人生のテーマは「巡礼」というのは、僕も同じ。Nestoでも自分の担当リズムに「掃除巡礼のリズム」と名付けている。

ただ、「巡礼」「信仰」を強く出しすぎると、今のようなPost-religion時代には、初めての人には語感がやや強く響きすぎるきらいもある。「山登り」以上「巡礼」未満の、ちょうど良いところを春山さんと一緒に考えてみたい。「信仰」という心の事柄を前に出すよりも、マインドフルネス的な行為実践を前に出した方が、受け入れられやすい気がしている。また、巡礼に欠かすことのできない神社仏閣の有形無形の資産を未来に向けてどう保全していくかについても、話し合ってみたい。

今回はオンラインだったので、次回はYAMAP本社のある福岡へ行って、直接お会いしようと考えている。楽しみ。

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