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「社会的肩書を失って得たこと、気が付いたこと」~7年半のニート生活を送った20代~ フル原稿版

自分は大学卒業後の22歳から約7年半、新卒採用における「内定」が1つもなく、実質「ニート」として社会的肩書を持たないまま時を過ごしてきた。その生活にピリオドを打てたのは、4年半前に「公共施設を自治体からの委託で管理・運営する企業」に契約社員として入社が決まったからなのだが、残念ながら今年の3月に諸事情(健康上の理由)で退社し、現在は再び「ニート」に戻っている(笑)

とはいえ、7年半に比べれば、現時点で2か月程度…確かに今だって社会に戻れるかどうかなんて全く分からないが、それでも20代のほぼ8割を無職として過ごしていたことを考えると、大した期間ではない…そう考えると、随分長い間無職でいたことになる…。何より、本来であればフレッシュな社会人として、成長も苦労も恋愛も色々経験するであろう、20代のほとんどを「ニート」というよりは「半引きこもり」として、ある意味世間から隔絶された世界で過ごしてきたということになると同時に、社会的肩書を一切失った状態となり…「社会的肩書」を7年半も喪失していたことにもなる…とりあえず、大学までは真面目に普通に生活してきた自分が、まさか20代という個人的に一番楽しみにしていた時期を、それも恐らく人生における10%にもなる期間を、ニートとして過ごすことになるとは…親だって、俺だって全く想像していなかった。

①新卒採用を「逃した」原因

どうして新卒を逃したのか…それは、2008年のリーマンショックによる社会情勢の変化も関係しているのかもしれないが、自分についてはハッキリ言って「拒絶」と「人間不信」と何より「思い込み」からくる「根拠のない自尊心」故の末路だったと言える。イギリスでの語学留学を経て、この時の体験が自分にとって非常にかけがえのないものとなった反動からか、帰国後に感じられた「虚無感」と、実は留学生活以前から感じていた大学生活における「違和感」や「苛々」が「社会への不安や疑念」につながってしまったこと、あるいは大学生活も含めて他人に感じていた「不信感」と「自己肯定感の著しい欠如」も起因したように思う。

どうしてそこまでの状態になってしまったのか…恐らく、「自分の居場所が見つからない」現象と共に、その根本的な原因にもなった「自身のキャラ設定を間違えてしまった」現象…人間不信故の「当たり障りのない性格という偽りの仮面」に死ぬほど押しつぶされそうになっていたからだろう。もしくは、所詮は「お友達ごっこを大人になって繰り返しているだけ」の大学生活…様々な人間関係を見ていて、今なら「どうでもいい」程度のことでも、若く感受性豊かな時期であると、それが未来永劫にも続くかのような感覚に苛まれてしまったのもある。

そういう精神状態であったので、この時からの大学生活で「思い出」らしい「思い出」は一切自分の中に残っていない。ゼミで「合宿に行った」程度の記憶なら残っているが、どんな話をしたとか、どういう話題で盛り上がったとかは一切覚えていないし、同級生とどこかへ行ったなんて思い出も一切ない。そういえば、俺は大学生活の中で「誰かと旅行」に行く経験を全くしていないんだよなぁ…。それ位、根暗学生として寂しい日々を送っていた。もう1つの学生のイベントでもある、アルバイトにしても(大手自動車メーカーのショールームなど)面接を受けた例はあったが結局採用に至らず、元々人間不信な上に学業への影響を過大評価してしまい、結局派遣で何度か工場の仕事に入る程度しか経験してこなかった…。

とはいえ、そんな絶望的な状況下であっても、3年の後半になると…一応表向きは就職活動に勤しんではいた…というよりは、大学で単位を取る感覚のように、何か義務感から仕方なく取り組んでいたというほうが正しいのだが、将来を考えて企業を回り、説明会に参加し、時には面接も受けて…というような、新卒が一通りやるようなことはやってきた。

しかし、自身の中で「理想と現実」の乖離が激しいどころか、「アーティストになりたい」だの「音楽で稼ぎたい」だの、中二病というよりはむしろ空想ともいえる夢に甘え逃げてしまい…結果、新卒採用を逃すことになってしまった。アルバイト経験すら全くない上、ある意味企業活動の延長にもなりうる経験としてのサークルにも所属せず、資格も「英検3級」程度であったことも大きかっただろう。

当時は「新卒逃したらゲームオーバー」的な説が根強く、「卒業間際」まで必死に頑張る新卒も多かったが、自分は益々社会や他人が大嫌いになっていて、すっかり意欲や義務感も失い、ほとんど投げやりだったので恐らく家で引きこもって、何もせず過ごしていたように思う。本来なら内定を得た学生が「卒業旅行」で盛り上がる時期にも、自分は毎日のようにmixiで他人のイライラを煽るような日記を書いていたと思う…迷惑な奴だね(苦笑)

就活時は親にも「遅すぎた反抗期」のように反発していたし、既卒になって親父から「映画の翻訳に携わる仕事」の話が来ても理由を付けて断ってしまった。これは今思えば本当に後悔しかないが、当時の自分では絶対に続かなかっただろうし、致し方がなかったと思う。

とにかく、大学3~4年の時期は就活云々以前に、外に出て誰かに会うのも苦痛で仕方のなかった時期だったし、今思えば「うつ状態」であったように思う。医療機関の診断書による証明はないし、あくまで主観的な話ではあるけど…記憶がない現象というのも、今思えば「うつ」に起因していたのだろうしか思えない。中学時代も不安定で正直戻りたくない時期なのだが、大学時代はそれ以上に苦痛で怒りをどこにぶつければいいのか分からない位、ふさぎ込んでいたと思うね…。

ただ、「学業」だけはしっかりこなしていたので、必要単位はすべて取得し卒業だけは確定させていた。むしろ「さっさと卒業して大学生活を無きもの」にしたかったという気持ちの方が強かった…今であれば、「就活留年」か「大学院進学」を決めていたと思うが、そういう「冷静」かつ「現実的」な判断ができない位に落ち込んでいたし、人生に対しても投げやりで身勝手になっていたからね…。結局、卒業式の思い出といえば、大学時代に一番時を過ごした親友との昼食位で、まぁ本当に…呆気なかったね。

②卒業後の「どん底」から救ってくれた親友の一言

とはいえ、そういう「生きていく上で非常に不安定で何もない状態」で卒業してしまい、明らかに自身に対する異変に気が付いた地元の友人たちだけは、この頃の自分を特に心配してくれたらしく、一度親友から愚痴を毎日書いていたmixiの日記に、「お前何がしたいの?意味不明なんだけど」的に「怒り」と本音をぶつけてくれコメントをしてくれた。

そのコメントを見た当時は、「お前らも俺をそんなに惨めな存在だと思っていたのか」と随分ショックを受けたけど、同時に自身が精神的にも「どん底」の状態を改めて冷静に認識し、自身の不甲斐なさに怒り、心配してくれていた親友との関係もこのことで一度こじれてしまったのだが、自身が大いに反省しそのことを伝えて修復した。さらには、後日に今ではすっかり腐れ縁になっている別の親友からも、直接会って「本当に心配していたんだよ、死んじゃう(自殺)かと思ってたから…」と、自分に対して心配しながらも距離感を感じ取ってしまい、中々言い出せなかったことを打ち明けられ、「ああ、本当に俺はどうしようもない状態にいたんだな…」と、あらためて痛感させられ、どん底からの立ち直りを自分自身にも誓った。

このことがきっかけで、実質うつ状態の原因の1つになっていたMixiを完全に退会し、すべての大学関係の関係や嫌悪を断ち切り、新しいスタートを切るため、あるいは過去の自分との関係を断つために、卒業前まで一切おろそかになっていた「英語勉強」と「資格取得」も並行しながら、当時は圧倒的にハードルが高いと言われた「既卒」としての就職活動を開始した。

(※ゼミの先生には、その年の5月末の段階で合宿の会場に挨拶に伺い、激励のお言葉も頂いていた…実は、あれから連絡が途絶えてしまっているので、非常に申し訳ない気持ちがある…お元気だろうか、コロナが落ち着いたら必ずご挨拶に伺いたい…)

③孤独と「自身の問題」と戦いながら取得した英検1級

今も昔も実家暮らし、親の脛をいつまでもかじっていることは変わりがないが…(ごめんなさい、俺も早く一人暮らしがしたい…/笑)実は、卒業してからは実家で「一人暮らし」の状態をしばらく続けていた時期がある。というのも、両親がアメリカに駐在することが決まり、自分は1人日本に残って「仕事を見つける」ことにしたからだ。両親からは「向こうの大学・大学院の進学でもいいよ」とは言ってくれたが、なんとなく両親から一度離れて生活してみたかったこと、あるいは自身のどん底の精神状況の中で勉学に再び励むことへの激しい不安もあったことも大きいし、何より散々「迷惑」かけたことへの罪滅ぼしというか、後ろめたさみたいなのもあって、ひとまずは自分の感情を押し殺して「表向きの社会復帰」を模索しようとしていたのもある。まぁ、生活面は親頼みであったので、実家の財産食いつぶして一人暮らしのフリ、というほうが正しいのだけれどね(笑)

晴れて、既卒としての就職活動と共に社会復帰に向けて動き出したのだが、当時の俺だって、まさかこの時から7年半も「ニート」をするとは思わなかっただろう…。時間間隔がこの時期は本当におかしいのだが、長かったような短かったような…いずれにせよ、楽しいこともあったし、実は非常につらい時期でもあった。

両親がいなくなり、1人の生活が始まってからは基本的に転職サイトを見て既卒募集のカテゴリーに応募し、書類が通ったら面接に行くパターンの生活と、TOEICや英検のような資格試験の前に徹底的に勉強するパターンの2種類で生活が構成されていった。もちろん、中学時代からの親友との交流であったり、ちょっとした「便利屋」を頼まれたりすることもあって(今思えば、もっとお駄賃をもらっても良かったと思う…/笑)案外最初の頃は「充実」していた時を過ごしていたと思う。一応、両親からは「自分たちがいないときは他人を読んでもOK」的な赦しが出たので、地元の仲間たちを夜な夜な呼んでは盛り上がり(集合住宅なので自重する部分は勿論あってのこと)大学時代の暗く退屈な生活からは考えられないほど、楽しい日々が続くような時も多かったと思う。

東日本大震災の混乱も経験し、アメリカの両親の家にも遊びに行き、自身の英語力がTOEIC800点に到達した段階で、自身のモチベーションも最高潮に達し…一番目標にしていた「英語を伴う職務」の就職活動を開始させることにした。しかし、現実に職務経験もない上に「スコアチェイサー」…要するに、表向きの成績だけが良くって英会話の面では到底及ばない状態だったため、ことごとく不採用通知が続き…再び、自信を失い大学生の頃のような「病んだ」生活に戻る羽目になってしまった。面接が苦手だったというのも大きい。赤の他人と話すときの「仮面」が、相手方にとっての「不信」につながっていたのだろうけど、それは自身の「人間不信」にも起因するだろうと思うし、自信を失うと他愛ない会話であっても「笑われている」「バカにされている」意識に苛まれるのも辛かった。

実際、この7年半というものは記憶的な時系列が非常に曖昧で、自身も具体的にどこのあたりで病んでいたとか、実はあまり記憶を辿ることができない。しいて言うなら、「英検1級」に合格するまでは、基本的に「暗く病んでいた」という印象しか残っていない。毎日パソコンを前にTwitterで大学時代の暗い頃の話だったり、そこから生まれる憎悪や嫌悪、あるいは社会時事に関する尖ったツイートを発信するような…典型的な「バーチャルに逃げ込む」タイプになっていたのも強く覚えているし、食事量も増えて、半額かそれ以下のスーパーの食材で、焼き肉とチゲ鍋をルーティンで食べる生活を続けて激太りしたのも、まさしくこの頃…。

とにかく、人に会わないとどんどん独りよがりになっていく自分がいたのは覚えている。あるいは、孤独が怖くて何か「切り離されるような現象」が起こると、ひどく精神的に不安定になりそうなことも多かったと思う。今でこそ、昔のことを思い出して勝手にイライラしだすような現象は随分減ったと思うが、当時は毎日そういうことを繰り返して「苛々」していたし、本当に「人生終了」を意識するような毎日を過ごしていたのも憶えている。

気が付けば、抜け出せないほどに「ニートの引きこもり」になっていた自分に対し、ある時に多大なる危機感を覚えて、その日から生活をすべて変えることから始めた。それまで口にしていた肉類等を一切やめ、野菜やわかめといった食物繊維を中心とした食生活に切り替えた。ほぼ買い物以外は動かない生活が続いていたから、まずは朝晩と熱めの風呂に入り代謝を上げ、運動することも心掛けた。結果、それまで80キロあった体重がみるみる減り…2014年の冬に再び両親のいるアメリカに行ったときは72キロ台にまで減少した。この頃は遊ぶ機会が減っていた地元の友達の1人も、積極的に声をかけてくれるようになり、外へ出る機会が増えたのも精神面の回復に大いに役立っただろうと思う。

堕落した廃人生活を経て、地獄のような単語学習を乗り越えて、英検1級に合格したのが2014年の10月のことだった。意外かもしれないが、試験前は友達と「ゲーセン」で遊んですごしていたのだが…一番成績が良かった…(笑)英検1級までの道のりは相当の時間を要し、極めて厳しく険しかったが、独学で「2級」からのスタートで取得できたので、勉学においてはまだまだ捨てたもんじゃないと自信をつけることができたし、自身の中でも1つの区切りとなり、改めて社会復帰へのモチベーションにつなげることができた。ただ、結果的に社会復帰ができたのは、この3年後にはなってしまったのだけれどね…(笑)

結局、正社員採用にこだわりすぎていたこと…それは野心や意志の類である能動的な理由ではなく、なんとなく世間的な体裁と両親への義務感から受動的というよりは否定的に活動していたことも、あるいは内心「社会が怖い」故に「社会復帰したくない」自分がいたことも、社会復帰を大きく妨げることになったのだと思う。

最上級の資格取得を持ってしても社会復帰は叶わない中、絶望的な状況の中でたまたま見つけた「公共施設の委託運営の契約社員」の採用を見つけて、「ひとまずバイトでもいいから仕事を見つけるか」的な方向転換も兼ねて応募し、面接で手ごたえがなかったのに「受かって」しまったことで…7年半のニート生活にピリオドを打つことができた。この契約社員も、結局は諸事情で今年の3月に終了となり、再びニートに戻っている状況ではあるが…(笑)一時的とはいえ社会復帰の機会を与えてくださった、当時の会社やお世話になった方々には感謝の気持ちしかないし、職務を経て自身の弱みと強みを知ることにもなったので、本当に「助かった」と感じている。

④7年半ものニート生活で「学んだこと」

さて、随分長くなってしまったので、そろそろ本題に入ろうと思うが…誰がどう見ても絶望的でしかないニート生活の中で、結局自分は何を得たのだろうと、「あの失敗があったから」というパナソニック様のありがたいテーマを見つけて、改めて考えてみることにした。

7年半…いや、学生生活も含めて失敗し続けてきた20代を振り返って、そこから何を学んだのかといえば…一言で言うなら、

「どのような状況であっても、やるべきことをやっていれば道は開ける可能性がいつでもあるが、その可能性は”自身を信じて前に進もうとする意志”がない限りは開かれることはない…」

仮に大学生の頃に抱いていた「アーティストになりたい」という思いが本当に能動的に強ければ、それに進むための労苦も受け入れていただろうが、そういう気概もないまま、どこか楽な方に受動的に逃げていたから何も行動することなく終わったのだろうし、正社員になることも、ニートから抜け出すことも、とりあえず誰かに後ろ指を指されたり、後ろめたさを感じたくなくって「消極的」に進めていたから、結局どれも実現しないまま7年半も宙ぶらりんで過ごしてしまったのだと思う。可能性はあったとしても、結局自分の強い意志がなければ前に進むことはできない…。

最も、そうした状態になってしまったのも…過去の人間関係における自身の問題やトラブルを、なんとなく「やり過ごす」「誤魔化す」形で過ごしてしまい、うやむやにしてしまったことも大きな原因であることは間違いない。それも、自身の能力や可能性を「信じられなかった」が故に、なんとなく社会や今いる環境下でとりあえず「それっぽい」選択肢をして、世間的には「真面目」な印象で過ごして、なんとかなるだろう…そういう安易で自主性のない考えも、結局7年以上の空白期間という形で、自身の人生にも大きな汚点になってしまった。さらにもう1つ、

「怠惰は意識次第でどうにでもなるが、絶望や不安を超えていくのは容易ではない…そういう時、他者に助けを求めるのは恥ずかしいことではないし、結果的に自身の回復も図れて、そのことで社会にも貢献することになる」

このことも、この7年半で強く学んだことの1つでもある。逆に言うなら、どんなに意志が強く真面目であっても、自分を律するだけではどうにもならないこともある…これって案外、精神的に参っている方が無理をして「自分は無能」だと思い込んでやりがちなことでもあるかもしれないが、そういう時は一度立ち止まって自分自身を「メンテナンス」することも大事だろうし、肩の荷を下ろすことも大事なのだと思う。

人から助けを求める、というと大げさかもしれないが…何か困った時に助けや力になってくれる人がいることも、何か絶望や不安で押しつぶされそうになった時には非常に大きい力になると思う。自分はそれが「両親」であり「地元の仲間」だったのだけれど、そういう「頼れる」人がいる、あるいは日ごろから「頼られてもいいと思われる」信頼関係を築くことも大事かと思われる。幸い、人間不信で人間関係が希薄な故に、信頼関係や思いやりは人一倍大事にしているように努めていたから、どんなに「失敗」を繰り返してもやり直しができたのだと思う。どんな状況であっても、最低限の人としての行いは守れば、まだまだ希望は捨てたものじゃないと思うしね。

あるいは、そうした空白の時を経た後に、4年半の社会人生活を送って、逆に学んだこともたくさんある。まず、空白はそれほど「マイナス」ではないことだ。確かに、経験が少ない分仕事の覚えは遅かったし、随分と責任者の方にもご迷惑をおかけしたことは言うまでもない。けれども、「後がない」という意識もそうだが、普通にまじめに仕事をしていれば必ず評価はついて回るし、他のスタッフの方への信頼にもつながる。当たり前のことではあるけれども、空白の長い自分に対してもそうした視点で接していただいたことは有難かったし、本来全く興味のない仕事を4年半も継続できたのは、そうした環境に恵まれていたからだろう。その意味では、仕事というものは「運」の要素も強く、「修行」の精神で進めていくと破綻するというのも確かだと思う…。

最後に、これも非常に大事なことだけれど…

苦しみや孤独の伴う努力も大事だが、その時の社会や環境のニーズを考えて効率よく努めていくことのほうがはるかに大事

結局、自分は英検1級を取得できたけれども、社会から「能力」が求められていなければ、その努力もすべて水の泡になる可能性がある。中には自らその強い意志で開拓し掴む人もいるだろうが…自分のように気が弱く、能力に対して自信を持てない人なら、「どういうことをしたら食っていけるだろう」とか、そういうことを考えた上で賢く努力することも大事だと、7年半の不器用ながら努力を惜しまなかった時期を振り返っても感じる。

ということで、最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。7年半無職だった男の教訓やら回想なんて、誰も興味ないだろうと思いながらも、もしかしたら今色々悩まれている方、あるいはニートであることに絶望されている方にとって、少しでも力や何か得て頂けるものがあれば…と思い、パナソニック様のテーマに合わせて記事にさせて頂きました。


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