噺家の着物【無料記事】

落語家の着物について、
「先輩から聞いたこと」と「分析やら私の感想」について書きます。

先輩から聞いた内容及び事実については、
以下、できるだけ太字で表記します。

それ以外は私の推測なので、不確かです。

噺家の「白い襟」

この頃、男の噺家の着物で、
白い襟をつけている人が現れ出しました。

昔、普通に落語をする場合(襲名や法事などの正式な場合を除き)、
白い襟、白い帯、白い羽織紐
をつけると、先輩から

「浪曲師やあるまいし」「ドサか(=地方巡業専門の芸人か)」

みたいなことを言われました。

つまり、通常、噺家は白い襟をつけなかったということです。

おそらく、落語は都会の芸=オシャレな芸なので、
服装のオシャレでよく言う「ハズす」と
いうことなのでしょう。
正式な「白い襟」からハズシて、「色のついた襟」となったのだと思います。
(色紋付も黒紋付からのハズシとも言えると思います。
色紋付は普段着ではないですから)
※また噺家と違い、昔は浪曲師の人は全国巡業の仕事が多かったので、地方の人にウケる格好「(正式な)白い襟+派手な格好」ということだったのかと思われます。

女性の落語家さんが白い襟をつけようが、
あまり気にならないのは、
もともと女性の落語家が発生していなかったので、
女性が噺家になった場合、高座着として華やかな着物であれば十分だからでしょう。
(また女性の場合は白い襟の方が顔写りがよく、
美しく見えやすいので、その方がええのかもしれません)

しかし、今や誰も普段着に着物を着ない状況ですので、
「白い襟でない」ことが、「ハズシ」にならないのかもしれません。
「白い襟をする」という「もともとのニュートラル(正式)」がなくなったのですから、、、。
逆に「白い襟以外」の方がよく目にします。

その状況だと、
逆に「白い襟」=「少数派」になるので、
「白い襟をした方がカッコええ」という流れも
若い噺家の感覚で生まれて来るのも納得できます。
(白い襟の方が「噺家としてのハズシ」にもなりますし、
そもそもその方が綺麗に見える効果もあるのかもしれません)

噺家のファッションもどんどん変化していくのでしょう。

噺家の羽織

ちなみに、

「芸人の羽織は短い」という話を、だいぶ上の先輩から聞いたことがありますが、
背の高い噺家が増えたことで、
長い羽織も結構見かけます。(流行とかもあるのかもしれませんが)

少し上の先輩から、
「俺は背ぇ高いから、短い羽織やと、”生地がなかったんですか?”て言われたことあるわ」とか
「背ぇ高い人間は羽織が長い方がシルエットが綺麗に見えるやろ」とか
言う話を聞きました。

まあそんなんで私も羽織は長い目です。
また振袖の生地から作った羽織を作ったりしていますので、振袖の柄を活かすために、だいぶに長い羽織も作って着たりしています。
つまり、これも「普通の羽織(ニュートラル)」からの「ハズシ」=オシャレを考えてのことです。

着物の季節感

着物を大きく分けると下記です。

袷(あわせ)=冬物・・・・生地が合わさってるので「あわせ」
単衣(ひとえもん)=合いの時期・・・・生地が1枚なので「ひとえ」
夏物=絽・麻・紗など・・・・すけてる生地の単衣

着る時期は、先輩方から本来は、

袷は「10月~5月」
単衣は「6月、9月」
夏物は「7月、8月」

と言われます。

しかし、昔と今では日本の「気温や気候」が違います。
一方で、落語は屋内でやりますので、冷暖房設備が整っていることがほとんどです。

そんな訳で、
「袷」を着る時期を短くしている人も多いですし、「袷」を作らない人も増えています。また「夏物」の期間を伸ばしている人も多いです。

また私は「コロナ禍」以前は6月~9月末は夏物でした。

今年は例年以上に暑い日があったので、
5月から夏物にしました。
すると周りの芸人さんから

「5月で絽(夏物)は早いやろぉ~」

と、Tシャツ姿で言われました・・・・。

普段、Tシャツになって来てるのですから、もうええ気はします。

洋服は「気温や気候」に合わせて変化する訳ですから、
そんな「教科書通り」にする必要は無いと思います。

着物がなぜ「ハズシ」がしにくいのか?

ファッションは、
「ニュートラル(定番)」があって「ハズシ」がある訳です。
そして、多数派が「定番」になるわけですが、
洋服の場合、時系列で考えると、

「教科書」(定番)→「ハズシ①」

があり、しばらくすると、「ハズシ①」までが定番になるので、

「教科書、ハズシ①」(定番)→「ハズシ②」

となり、しばらくすると、「ハズシ②」までが定番になり、

「教科書、ハズシ①、②」(定番)→「ハズシ③」

となり、これが・・・・とどんどん「新しいオシャレ」が増えて、
色んな定番になっていっています。
今や、流行はあるものの、凄い多様な形になり、他人のオシャレには「誰も口が出せないぐらいの好き勝手状況」だと思います。
(全員が全員に「好きなように着ればよい」になっています)

ただ、着物は来ている人数が少ないので、

「教科書」(定番)→「ハズシ①」

があり、多くの人が「教科書」で止まり、
一定の人が「ハズシ①」までで止まります。

もちろん「ハズシ②」「ハズシ③」に行く人はいるのでしょうが、その人は、「強烈な個性と歴史を踏まえた人」みたいなことになります。

となると、洋服なら「ハズシ100番」みたいな格好でも許されますが、
着物の「ハズシ100番」だと、「ルール知らずの珍妙な人」のように感じてしまうことが多いのでしょう。

なぜなら、おそらく「ハズシ③」ぐらいまでの人は「型をわかった、型破り」であり、自分勝手な着物の着方は「型を知らない、型くずれ」みたいな認識を生みやすいからです。そうなると、つい「着物警察」感覚になってしまいがちです。

でも、洋服の「ハズシ100番」は「定番+ハズシ①~99番」までの系譜を知ってるはずもなく、どっかで「定番などがなくなる限界点」が発生し、ただただ多様性を認める状況というのがやってきます。

ですから、着物も好きなようにすれば良いのかもしれません。

漫画の「へうげもの」で「甲があっての乙」というような言葉があったと思いますが、着物を着ること自体が、「洋服のフォーマル」みたいな「甲」扱いになってるんでしょうね。しかも着る人が少なすぎて「気温や気候変動による標準形の最低限の変更」すら、集団的合意が得られないようです。

集団的合意というのも、無意識のものですが。いわば「言葉が辞書に載る」みたいな話で、特定の言葉の使用例が多くなること=無意識の集団的合意であり、その証として「辞書に載る」みたいな感じです。着物の場合、「辞書(着物の教科書的なルール)」が不動になっており、新たな使用例を認めにくい空気が発生してしまう状況です。

しかし、ただただ、先人の書いた「古い言い伝え」を教科書にしてるのがオカシイと思います。日本は昔の気候ではないのですから。それに、そもそも南半球に行けば、季節が逆転する訳ですし、同じ北半球でも北欧とかでは温度が違います。別の地域や別の気候になっても、「●月は袷」とか言うのはおかしいですから。

【結論】


私は、最低限、「***(袷・単衣・夏物)は、●月」というのは無視していくつもりです(笑)  そこぐらいは気温や気候に合わせます。



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