上方落語協会志演義④〜繁昌亭初期の事件簿【歴史編】~
繁昌亭が出来た直後は、予想外にお客様が沢山お越しになり、繁昌亭ブームとなりました。
ある意味、初期の繁昌亭は、「経営」という意味では、誰も何も考えなくても上手く行ってる時期でした。
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それは立ち上げの岩本さん率いる社員さん達のおかげもあり、団体誘致が出来ていた部分も大きいかとも思います。
また設立までに1年間をかけて寄付を募ったことは、1年分の広告を上方落語協会員全員で行ったのと同じなので、その効果もあったんでしょう。
さらに団塊の世代=仁鶴師匠からの落語ブームを味わった人たちが、お金と時間が出来て繁昌亭に来てくれたなど、、、色んなプラスの効果があったんやと思います。
今、思うと、繁昌亭開設初期は、
経済が安定してるがゆえに、経済問題が主眼ではなく、
「修行が違う」問題、「昼席の出演者の落語の仕方」や「朝席&夜席のルール」など、内部的な話で色々揉めていました。
一方で、初年度は六代文枝師匠が記者会見を2か月に1回ぐらいやって情報発信をしていました。そして文枝師匠がメディアで「繁昌亭からスターを!」とよく言うてました(笑)・・・ちなみにこれの経済効果については私がnoteで書いています(→note記事「落語界からスターを作ろう!」って、正気か?という思いとは裏腹に…)
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今思うと、六代文枝師匠が記者会見をしていた内容の具体案を作っていたのが当時の企画委員会でした。文枝師匠が開設後、隔月ぐらいで記者会見ができるように、何か繁昌亭イベントを作るようにと、企画委員会に発注をしていました。ちなみに、当時の企画委員長は笑福亭仁智師匠で、アイデアマン的な噺家を仁智師匠が集めて運営していました。そこの委員会では、私が一番下っ端でした。
そんな「繁昌亭初期」時代を振り返った事件簿をご紹介します。
ただし、今回は、制度的なもの=「どうやってそのルールができたかの歴史」を書いていきます。ですので「ゴシップ要素」は少なめです。
【モンスター師匠】
上方落語四天王は沢山の弟子を育てました。
バラエティ豊かであるというのは業界の強みでもあります。
繁昌亭初期の時代は、上方落語四天王の弟子が更に弟子を取ったり、孫弟子を取る時代が到来した時期です。また繁昌亭ができた時に、TVで「タイガー&ドラゴン」「ちりとてちん」などのドラマが流行し、多くの入門者が現れました。
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繁昌亭が無い時代なら、思想の違う噺家も、ご互いの文化圏でそれぞれが生活をしますし、たまに出会ったとしてもトラブルも単発的なもので、噂話や笑い話になるだけです。しかし、繁昌亭という寄席小屋があると、異なる文化圏の弟子がそれなりの時間、共同生活をする形になります。しかも、上方落語界始まって以来の突然の共同生活です。すると、今では考えられない事件が発生するのです・・・。
(ここからはセンシティブな内容なので、有料です。)
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