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価値を適正に判断しよう

社内ボランティアという矛盾

最近サロンのお客さんとした話。
なんでも理学療法士の専門学校で講師をされてる方で、最近悩みがあるという。
講師業だけではなく広報関係にも携わることになったらしい。
部署の上司から一眼レフを渡され授業風景などを中心に写真を撮ることになったらしいのだが、兎に角使い方が分からない。
広報というぐらいなので対外向けにいい写真が要求されるわけだが一眼レフ初心者がそんなの撮れるわけがない。
スマホでいいんじゃと提案したら、なぜか周りは写真が好きな先生が多いらしく当たり前のようにみんな一眼レフを持っているらしい。
その流れで一眼レフじゃないとという雰囲気になったようだ。
だが、自分は写真が好きでもないしカメラも好きではないし、でも仕事だからと割り切り、カメラの本も買って勉強しているそうだ。
まじめだな~と思いつつふと質問した。

「その分給料上がったんですか?」
「いや、別に・・・」

よくよく聞くと仕事が増えただけらしい。
もとい。それって仕事じゃない。ボランティアだ。

ものすごく違和感を感じた。
多分これと似たようなことが日本中で起こっている。

仕事と報酬、価値の大切さ

仕事とその対価である報酬は必ずセットで考えなければならない。
決められた期日・時間内で決められた内容の仕事をする。
その成果に対して報酬が支払われる。
基本だ。
仕事が増えれば報酬も増えるのが自然だし、内容の専門性が高いものになればなるほど同じように増えていく。
出来ないことができる人の価値はとてつもなく高いのだ。

それに関連して常に気にしていることがある。
僕は人にものを頼むとき、まず自分で出来ないか考える。
時間、クオリティを考慮して自分が出来ることは自分でやるのが基本だ。
ただ自分よりできる人にやってもらった法がいい場合がある。
自分がいろんな理由で出来ない・もしくはクオリティが下がる。
そんなとき誰かに頼むのだ。
やり方が分からないからできる人に頼む。
時間がないから頼む。
その人にやってほしいから頼む。
そこには価値が生まれる。

そして価値が生まれた以上頼むときは内容だけでは絶対だめだ。

「いつまでに」
「何を」
「どうする」

そしてそれに対する「対価」を示してようやく依頼が成立する。

それを頼まれた方は価値を適正に吟味して受ける・受けないを選択すればいい。
たとえ上司から頼まれようが、対価が見合わなければ受ける必要はない。
上下関係は抜きだ。
ボランティアになってしまうなら絶対に引き受けてはいけない。
何のために仕事に来ているのか目的意識をはっきりする。
そうでなければ報酬に過不足が発生してしまう。

管理職は個人の価値を大事にする。
適正な量と質を見極めて仕事を用意する。
必要以上に個人の時間を奪わない。
結果で評価する。
経営者・管理者はここが抜けているといつか必ずそのコミュニティは崩壊するので注意が必要だ。
労働者側も自分の住んでいる都道府県の最低賃金ぐらいは知っておくべきだ。

この時代に大切なこと

最近は副業OKという企業も増えてきた。
SNSが普及し、ハウトゥー動画があふれ、いろんなスキルを身につけられる環境も整っている。
そんな中、自分の価値を高めていくことがとても重要になってくる。
興味のあることは何でもやってみたらいい。
いろんなスキルを身につけることで新しい価値が生まれることがある。

例えば僕は美容師でカメラマンなので、「ヘアメイク付きプロフィール写真」が撮れる。
僕一人でカメラマンとヘアメイクの2人分の仕事ができるのだ。
学校では美容師として講師をしているが作品撮りの観点からもアドバイスが出来て授業内で撮影まで出来る。
そして講師もしているの事で、まだ本格的にしたことはないが写真系のセミナーなんかも開けそうだ。
動画撮影も始めたことで配信系も可能性があるし(まだ絶望的にカメラに向かってしゃべるのは下手だが)、作品性の高いPVも作れそうな気がする。

自分を知ってもらう

何回も言うが自分の価値をいかにして高めていくかがこの社会での生き残っていく最大のカギだ。
そしてそれは、あなただけが知っている価値では全く使い物にならない。
あなた以外の不特定多数が知って初めて機能し始める。

僕もInstagramを中心にSNS上で活動しているがそこから仕事につながることもあった。
そして世界中と繋がれるこんな世の中だから何があるか分からない。
ひょんなことからバズって仕事が舞い込むかもしれない。

そしてその可能性を少しでも上げるためにいろんな媒体を活用するべきだ。各SNSや動画配信系サイト、掲示板のようなプラットフォーム、このnoteだってそうだしラジオ系アプリだってある。
探せばいくらでも溢れている。

一方いろいろやりすぎると管理が大変というデメリットもある。
やるからには中途半端にはしたくない。
自分で管理できる分をしっかりコントロールしなければならない。
といいつつ僕はキャパシティぎりぎりだが。

準備をする

もし来るべき時がやってきたときに自分の価値が中途半端だったらどうだろう。
せっかくのチャンスを最大限に活かすためにはそれじゃダメだ。

クオリティを高める。
希少性を高める。
安定して供給する。

常日頃自分をブラッシュアップしなければならない。
ただ勘違いして欲しくないのだが出来ないことはしなくていい。
出来る事を更に伸ばす方がいい。

出来ない事が人並みに出来るようになったところで、その分野においてもっとクオリティが高い人は沢山いる。
完全に無駄とは言わないが、時間がもったいない。
上記でも述べたが出来る人に対価を払ってやって貰った方がいいだろう。

ところで好きなことと得意なことは違う。
これを理解しておかないとちょっとまずい。

好きや楽しいを仕事にするって本当にいいの?

やりがいのある仕事。
好きな仕事。
楽しい仕事。

そんな仕事と出会い毎日楽しく過ごせたら幸せだろう。
だが世の中そんな人の方が少ないかもしれない。

皆さんはこんなアカウントをご存知だろうか。

その名も

全日本もう帰りたい協会

フォロワー数 56万人の人気ツイッターアカウントだ。
どんな内容かは見れば一目瞭然なのでチラッと覗いてみればいい。

こんなアカウントが人気あるのだから嫌々仕事をしている人も一定数いるのだろう。
嫌なことをして稼いで休みは充実した生活をする。
それもいいかもしれない。

ただよく考えるとこの先の人生、退職するまでずっと週休2日だとして5日/7日はしんどい思いをしなければならない。
僕は嫌だ。
どうせなら365日楽しい方がいい。
じゃあ、好きや楽しいを仕事にした方がいいに決まってる。

ここでまたじっくり考えて欲しい事がある。

好きなことは勉強しやすく上達も早いのも事実。
だけどどれだけ上達するかは未知数だ。
得意なことを仕事にするべきだ。
ただ注意しなければならないのは「得意なこと≠好きなこと」であるということ。

得意なことは決して楽しくないかもしれない。
可能性としてだが他人より出来てしまうがためにつまらない可能性もある。
簡単すぎて面白くない。
そんな場合もあるのだ。

余談だが簡単に出来すぎてしまうがために料金を低く提供している場合がある。
本人が思っている価値と本来の価値がずれるのだ。
提供する側は高すぎるのはもちろん、低すぎてもいけない。
適正な価値で仕事しよう。

話を戻そう。

いずれにせよ本来仕事として捉える場合は得意なことをやるべきだ。
人より出来るということは、よりクオリティが高く生産性の高いものが提供できる可能性が高い。
極端に言えば楽して稼げるのだ。
この場合楽しく仕事ができるかどうかは別問題だ。
むしろその仕事が嫌な可能性すらある。
やっぱり楽しく仕事がしたいと思う。

”好き”を仕事にするうえで大事なこと

さあ、やっぱり好きや楽しいを仕事にしたい。
そう思ったら、よく考えなければならない。
自分がその好きな分野において果たしてどれほどの価値を提供していけるのか。
他と比べて何が強みなのか。

クオリティ。
生産性。
希少性。
専門性。

いろんなことを考え抜いてしっかりマーケティングして、本当にそれで仕事していけるか考え抜いてやるべきだ。
出来ないなら趣味に留めておくべきだし、チャレンジできる環境ならやってみて確かめてもいい。
中途半端にするとそれなりで楽しいだけで仕事として大きく成功は出来ない。
自分の価値を上げていけるかどうか分からないので本当によく考えてほしい。

あらゆるものの本質を見極めてほしい

いろんな価値があふれている中、気軽にいろんなことができるようになったおかげでいろんな価値が下がった。
今一度よく考えてその価値は適正なのか自分の頭で判断してほしい。
人それそれぞれもっと高い価値を生み出せるはずだ。

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